Lovefool : Squall : 11

 執務室から全員を締め出して…どのぐらい時間が経ったのだろう。
 デスクにうつぶせている頭の中で、幾つもの想いが渦巻いては消えていった。
 気が付けば室内は、すっかり暗くなっていた。
 少し前に、リノアが夕食のトレイを持ってドアをノックしてくれたが、断った。
 食事を取ることを想像しただけで、吐き気と苦痛を覚えた。
 今は何も聞きたくないし、誰とも話したくなかった。

 リノアが帰っていくのをドア越しに確かめてから、俺は部屋の奥の、応接用のソファに横たわった。
 灯りを付けなくても、外部ライトの反射が窓から差して、室内はぼんやりと照らされている。
 今夜はここに泊まるとしても…明日の始業までに、整理をつけなくちゃならない。
 やり方は分かっている。
 こうやって独りで怒り終ってしまえば、やがて全てをあきらめて、元の俺に戻れる。
 まだ脳全体が痺れている気がするが、徐々に現実を受け入れられるだろう。
 もう、済んでしまったことだ。
 後は皆に謝らせてやって、俺が許す。それしかないんだ。
 そうしてこの話を早く終わりにして、記憶が薄れるのを待つほうが賢明だ。
 大丈夫だ。
 あの荒唐無稽なウソを受け入れられたんだから、この現実が受け入れられない筈が無い。
 俺は自分に言い聞かせる。
 大丈夫だ。
 俺は何も失っていない。

 薄闇のなかで、白く浮き上がる天井のパネルを眺めた。
 俺は何も失っていない。
 それなのに、この喪失感はどうだ。
 まるで、本当に恋人を失くしたみたいな…。
 馬鹿げてるな、と俺は目を閉じ、両手で顔を覆った。
 驚く俺を見て、サイファーは、笑っていたじゃないか。
 俺は、嘘とは知らず努力した。
 信じられない恋愛を信じ、理解できないサイファーを理解しようとしたのに。
 昨夜のことが記憶から浮かびかけ、俺は思わず頭を振った。
 …嫌だ。思い出したくない。
 俺が理解しようとしたサイファーは、初めから居なかったんだ。
 あれはサイファーにとっては、俺を騙す楽しいゲームに過ぎなかった。
 それなのに、俺はすっかり信じ込んで…。
 ひとりでのぼせ上がっていた自分を思うと、屈辱で消えてしまいたくなる。
 誰も居ない部屋だが、俺は仰向けの顔を両手で覆った。
 …大丈夫だ。
 俺は懸命に自分を励ます。
 どうしてもこの状況に耐えられなければ、また実戦の任務を受けて、リミットを越せばいい。
 俺が記憶を喪失する条件データは揃っている。
 実戦が危ないなら、訓練施設で、限界まで負荷を掛けるのでも構わない。
 その気になれば、俺はきっとこの三日間の記憶もリセットして、また一年前に戻ることが出来る…。
 狭いソファの上で寝返りを打とうとしたとき、誰かがドアをノックする音が聞こえた。
 壁の時計に目を遣る。…あと約1時間で日付が変わる。
 律儀なキスティスなら、明日まで待ってくれるはずだ。
 セルフィか、彼女の代理のアーヴァインだろうか。
 ずっと済まなさそうな顔をしていたゼルかもしれない。
 あるいは…、と、一番会いたくない相手の顔を思い浮かべる。
「…スコール」
 ドアの向こうで、その声が俺を呼んだ。
 せっかく宥めかけた怒りが、ゆらり、と腹の底で揺らめく。
 再びコンコン、とノックの音が響く。
「おい、スコール。…悪かった。開けてくれ」
 …開けてくれ?
 俺は、ソファから身を起こした。
 よくもそんなことが言えたものだ。
「……面白かったか?」
 スライドドアに歩み寄り、その向こう側にいる男に、俺は低く尋ねた。
「スコール…」
 形だけの質問には答えず、サイファーは途方に暮れた声で俺を呼ぶ。
 もうそろそろ、俺の頭が冷めた頃とでも思ったのか?
「さぞかし面白かったんだろうな。俺のことからかって」
 腹の底の揺らめきは力と熱を蓄積し、沸々と俺の全身に血を巡らす。
「…スコール。悪かった。俺が悪かった」
 他にどうしようもないのだろう、サイファーは、同じ言葉を繰り返した。
「バカだよな、俺。あんな作り話を真に受けて」
 今さら言っても仕方のないことだが、言わずには居られない。
 どうして俺は…あんな話を信じたのだろう。
「なあ、スコール。頼むから開けてくれ」
 ドア一枚を隔てて、サイファーの訴える声がする。
 そうだな。
 あんたにとっちゃ、そう言えば俺がこの扉を開け、謝罪を受け入れると思う程度の問題なんだろう。
「…帰れよ。もういい、騙される方がバカなんだ」
 それでもこの男なりに悔やんでいるのかもしれないと思うと、やりきれない。
「スコール…」
「そんな心配しなくても、仕事なら明日からちゃんとする」
「…」
 立ち去る気配が無い。
 だが、ずっと廊下に居られても、俺が困る。
 俺はどうしたって、明日の朝までに…表面上だけでも、元の俺に戻らなくちゃならないんだから。
「帰ってくれ」
 今度は努めて柔らかに言ってやったのに、サイファーは退かなかった。
「…なあ、どうしてもお前の顔が見たい。ここを開けてくれ、スコール」
 …『お前の顔が見たい』?
 その言い草に俺は絶句し…思わず白いドアを睨みつける。
 どうしてそんな無神経なことを言えるんだ…ついさっきまで、あんたのことを恋人だって信じてた俺に。
 新たな怒りに眩暈さえ覚え…俺はこぶしを固め、スライドドアをぶん殴った。
 無意識に手加減を加えたが、 バン! と薄い板が震える。
 扉の向こうが静まり返った。
「……なんで俺が?」
 悪意のような、鋭利な怒りを込めて、俺はサイファーに問いかける。
「なんで俺が、あんたの罪悪感を和らげるのに協力しなくちゃいけないんだ? そんな義務ないだろ?」
「それはわかってる。けどよ…」
 食い下がるサイファーを、俺は冷たく突き放した。
「あんたがそこまで気にしてくれるとは意外だったが、あいにく、俺は心が狭くてな」
「スコール。ちょっとだけでいいんだ。なあ、頼むから」
 ほとんど懇願のように聞こえるそれを、俺はもう、一秒だって聞いていたくない。
 どうして分かってくれないんだ、サイファー。
 俺は、こんなにも必死で…あんたとのことを忘れようとしているのに。
「話は終わりだ。明日の朝には、水に流してやる。帰れよ、サイファー」
 これでも寛大すぎるぐらいの、いい条件だろ。
 きっぱりと申し渡して、ドアから離れる俺の背後から、なおもサイファーが呼びかける。
「スコール!」
「しつこいな!」
 もう一発ドアを殴るべきかと振り返ると、信じがたい台詞が聞こえた。

「……好きだ、スコール」

 一瞬、なにも考えられなくなった。
 全てが遠のいた後、目の眩むような怒りとともに、感覚が戻って来る。
 そのとき俺は確かに、自分の正気を繋いでいた何かの、最後の一本が焼き切れる音を聞いた。

 あんた、まだ言うか。そんな白々しいウソを。
 これでも、まだ騙し足りないっていうのか。
 ああそうか、ドアを開けるとあれか。また、全員勢ぞろいで待ってるってオチか。
 あんた達って、ホントにお茶目な奴らだな。
 俺は、もうひとりの自分が部屋を大股に横切り、壁に立てかけてあったガンブレードのケースを開けるのを許した。
 しょうがないだろ。
 ここまでされたら、俺だってキレる。
 もう、なにがどうなろうが知るものか。
 自分の体から、炎のような殺意が立ちのぼっているのが分かった。
 準備のために照明を付け、皮手袋を片手ずつ嵌めた。
 抜き身のブレードを右手に下げて、感覚を確かめるために振る。
 増えた重量を持て余していたはずなのに、昨日よりもずっと軽く感じる。
 今ならいくらでも振り回せそうだ。
 親指で撃鉄を起こす。トリガーに人差指を掛ける。
「スコール? …スコール、居るんだろ?」
 もちろん居るさ。お望み通り、出て相手してやる。
 電子ロックを外すと、スライドドアがしゅん、と横に流れた。

「スコール!…っ、」
 ライオンハートの切っ先に自ら刺さりそうになったサイファーが、たたらを踏んだ。
「…ほかの連中は何処だ」
「ちょ、ちょっと待てスコール。ガンブレはねえだろ」
 俺と同じに、まだ制服を着たままのサイファーは、当然丸腰で後ずさった。
「何処だと聞いている」
「何処って、…自分の部屋だろ」
 何を言ってるのか分からない、という顔で、サイファーは答える。
「嘘をつくなよ。あの角か? またみんなで仲良く、俺を笑いに来たんだろう?」
 サイファーの背後の廊下をブレードで指すと、質問を理解したサイファーは、慌てたように否定する。
「スコール、そうじゃねえ。俺はひとりだ。どうしても、お前に謝りたくて…」
「何を今さら。笑ったくせに」
 自然と冷笑が零れる。自分で思い出したって滑稽なんだ。
 騙したほうからすれば、ずいぶん楽しい見物だっただろう。
「スコール」
「あんた、笑ったくせに。あんな下らないウソにひっかかって、あんたのこと、恋人だって信じた俺を、笑ったくせに」
「スコール…済まねえ。ほんとに、俺が悪かった」
 嘘には聞こえなかった。
 サイファーの顔は苦しそうに歪んで、その緑の目は、俺に許して欲しがっているように見えた。
 だが、俺にはもう、何が本当なのか判断できない。
 あのいつも尊大なサイファーが、ここまで謝っているのに、俺はまだ、あんたを許せない。
「悪いと思ってるんだったら…なんでわざわざ蒸し返しに来るんだ。どうして、俺の頭が冷えるまで、放っておいてくれないんだ」
「なんでって、」
「そんなふうに謝られたりしたら、俺がもっと傷つくって思わないのか? いっそ、あんなの信じる方が間抜けだって言ってくれた方が、ずっとマシだ」
 あんた、ここまで言わなきゃ分からないのか。
 苛立ちを募らせ目を反らす俺に、サイファーはなおも歩み寄ろうとする。
「スコール…違う。好きだ。俺は、本当にお前を」
「帰れよ!!」
 激しい苦痛と、弾ける怒りに任せて、俺は力の限りライオンハートを床に振り下ろした。

 形容しがたい轟音。
 網膜を焼くほどに眩しく白い稲妻が走り、目の前の廊下が一直線に、突きあたりまで割れた。

 ガーデンの躯体が震えている。
 衝撃派で、俺自身も鼓膜が痺れた。
 身体のすぐ脇の空間を切り裂かれたサイファーは息を呑み、目を瞠って俺の蛮行を見ている。
 びーっ、びーっ、とセキュリティのアラートが一斉に鳴り響き、赤い警告灯が廊下じゅうを狂ったように照らし出す。
「…うるさいな」
 ガーデンの配線図の記憶を辿る。
 俺はライオンハートをもうひと振りして、壁ごと、アラートの回線を切断した。

 深い切れ目の入った壁から、焦げくさい火花が散ると同時に、回転灯が止まる。
 再び、薄闇と静寂が戻った。
 サイファーは、呆然と突っ立っている。
 そうだろうな。
 指揮官自ら、こんな派手にガーデンをぶっ壊して…どういうつもりなのか、正気を疑うよな。
 セキュリティのプログラムは侵入者と判断したのか、廊下の窓越しに、別棟の当直室の周辺から明かりが次々と点って行くのが見えた。
「……スコール。お前、こんな…」
 震える声で、どうにか俺を制止しようとするサイファーを、殺意を込めて睨みつけた。
「いいかげんにしろよサイファー」
「…」
「俺が冗談が好きじゃないのは、もう十分わかっただろ?」
 サイファーは大きく息をついた。
「…わかった。いい、殺されても仕方ねえ。…それでも、」
「黙れ!」
 しばし睨み合った。
 開けっぱなしの部屋から射す灯りが、対峙するサイファーの青ざめた顔を、廊下の闇から浮かび上がらせている。
 やがて、サイファーは覚悟を決めたように、再び口を開いた。
「…お前が好きだ。信じなくてもいい。そうしたきゃ、そのブレードで俺をぶった切れよ」
 まっすぐに俺の目の奥を見据えて、サイファーは言い切った。
「俺が悪かった。…初めは騙してたんだ。お前が怒るのも、当然だ」
 顔をゆがめたサイファーは、苦しげに訴えてくる。
 頭の中でもうひとりの俺が、同じぐらい苦しげに「騙されるな」と囁く。
「でも、嘘を信じたお前のことが、だんだん、本当の恋人みたいに思えてきて…」
 嘘だ、信じるな、と俺は声に出さず唱える。
「あのキスは、俺がどうしてもしたくて、ついしちまったんだ。あんなことまでするシナリオじゃ無かった。俺が、勝手にやったことだ」
 あの唇を重ねていた時間のことを思い出すと、気が遠くなる…。
 サイファーの言うことなんか、信じるな。
 そう思うのに、サイファーの弁解は続き、俺の耳は次の言葉を待っている。
「ネタばらしのときに笑ったのだって、お前をバカにするつもりで笑ったんじゃない。いつもクールなフリのお前が、ぽかんとしてるのが可愛かったんだ」
 笑われた瞬間の記憶がよみがえって、ぎゅう、と胸が痛んだ。
 こんな話、聞いてやることないんだ。
 そう思うのに、その「こんな話」を、俺は心の何処かで喜んでる。
 サイファーがただ、こうやって俺の慰めになる言葉を並べるのを、もっと聞きがってる…。
「傷つけるつもりじゃなかった。そもそも、お前がこんなに…傷つくと思わなかった」
 サイファーの腕がゆっくり伸びて来る。
 振り払うべきその腕が、ガンブレードをぶら下げた自分を、そっと引き寄せるのを振り払えない。
「お前がマジに怒りだしても、まだ分からなくて…さっき、やっと分かったんだ。…この三日間、あんなに楽しかったのは、お前を騙してたからじゃねえ。お前と…ほんとに恋愛してたからだって」
 俺は自分のつま先を睨みつけたまま、頭の中のぐるぐると戦っている。
 いったい、どうすればいいんだ。
 また信じるのか…この、嘘みたいな話を?
 この話は、あの話にそっくりじゃないか。
 サイファーがした、俺たちの馴れ染めの…
 俺が、サイファーが自分に気があると勘違いして、サイファーを好きになって…
 サイファーもそういう俺を好きになったっていう…全部、なにもかもウソだった話。
 もし、もう一度これを信じたら、また向こうの角から誰かが笑いながら出て来て…。
(じゃーん、ドッキリです! ご感想は?)
 …。
 想像しただけで、くしゃり、と気がくじけた。
 駄目だ。
 そんなことになったら、俺、…たぶん死ぬ。
 まるで…世界でいちばん弱い生き物になったみたいな気分だ。
 耐えられない。
 いっそ、体をずたずたに切り裂かれた方がまだマシだ。そのぐらい、

「俺が悪かった。…なあ、頼む。許してくれ」
 身体に回された腕の輪が締まって、隙間なく抱きすくめられ、俺の手からブレードが落ちる。
 サイファーの匂いがする。眼の奥が熱くなる。

 そのぐらい、好きだ…。

「スコール」
 恋人だと信じた優しい声で呼ばれて、涙が出そうになる。
 温かい両手で、俯いた頬を包まれて、仰向かされた。
 見上げたサイファーは、辛そうに顔を歪めている。
「お前は馬鹿じゃねえ。馬鹿なのは、俺だ」
 後悔に彩られたグリーンの瞳。
 これが嘘なら今度こそ殺してやる、そう思って睨みつける。
「馬鹿だよな。騙してこっちを向かせておいて、お前に惚れたことも気づかないで…呑気に笑ったりして」
「…バカ」
 罵ったつもりの自分の声が、嫌になるほど弱々しい。
 サイファーの目が、驚いたように少し見開く。
 それから、その眼光がふっと柔らかくなり、やがて…ゆっくり近づいて来た。
 俺は動かなかった。
 ただ黙って、サイファーの美しい金色の睫毛が、目の前で下りていくのを見ていた。
 彼の唇が、俺の唇に重なるまでの間…ずっと。



 2013.10.20 / Lovefool : Squall : 11 / to be continued…