Lovefool : Seifer : 11

 見慣れたスライドドアを前にして、俺は耳を澄ました。
 ドアの向こう側からは、何の物音も聞こえねえ。
 俺は深呼吸して、白いドアをノックした。
 …返事は無い。
 照明器具の立てる、微かな唸りが聞こえるほどに静かだ。
「…スコール?」
 馬鹿みたいに緊張した声が出た。
 またも返事はねえが、この部屋の中にスコールは居るはずだ。
 くじけずに、今度はもう少し強めにノックする。
「おい、スコール。…悪かった。開けてくれ」
 もしも落ち着き払ったスコールに戻っちまってれば、これが一番いいだろうと思い、いつも通りのトーンで呼び掛けた俺に、扉の向こうから、ぞっとするような声音がした。

「……面白かったか?」

 憎しみさえ感じる、冷たい響き。
「スコール…」
 この部屋に立て籠もり、独りで怒りをやり過ごそうとしているスコールを思った。
「さぞかし面白かったんだろうな。俺のことからかって」
 スコールの声が、氷の針のように俺の胸を貫く。
「…スコール。悪かった。俺が悪かった」
 喉が狭まり、声がかすれた。
 謝り慣れない俺は、ひとつ覚えのように、ひたすら同じ言葉を繰り返す。
「バカだよな、俺。あんな作り話を真に受けて」
 スコールの自嘲に、どうしようもなく心が痛み、俺はドアに取りすがった。
「なあ、スコール。…頼むから開けてくれ」
「…帰れよ。もういい、騙される方がバカなんだ」
「スコール」
「そんな心配しなくても、仕事なら明日からちゃんとする」
 仕事なんざどうでもいい、と飛び出しそうになる言葉を、どうにか飲み込む。
 スコールが今、こうして曲がりなりにも俺と話しているのは、きっと明日からの仕事のためだ。
「帰ってくれ」
 静かに言い渡されるが、帰るわけにはいかねえ。
 このまま今夜会えなければ、もう、取り返しがつかねえ気がする。
 いや、取り返しとか、そんなことよりも、もっと…。
「…なあ、どうしてもお前の顔が見たい。ここを開けてくれ、スコール」
 少しでもスコールの気配を感じたくて、両手と耳をドアに押し付ける。
 たったひとめでもいい。
 こんな扉越しじゃなく…俺はスコールに会いたかった。
 わずかに開いた間に、もしかして、ドアを開けてくれる気になったのか、と期待した次の瞬間…
 そのドアが、バン!! と震えて、俺を物理的に跳ね返した。
「……なんで俺が?」
 はっきりと怒りを含んだ声が、低く響いた。
 スコールが向こう側からドアを殴ったのだと理解するのに、数秒かかった。
「なんで俺が、あんたの罪悪感を和らげるのに協力しなくちゃいけないんだ? そんな義務ないだろ?」
「それはわかってる。けどよ…」
「あんたがそこまで気にしてくれるとは意外だったが、あいにく、俺は心が狭くてな」
 憎々しげに、話を切り上げようとするスコールを、俺はどうにかして引き留めようと呼びかける。
「スコール。ちょっとだけでいいんだ。なあ、頼むから」
 どうしても、いま、会ってお前の顔が見たい。
 お前の目を見て、謝りたいんだ。
「話は終わりだ。明日の朝には、水に流してやる」
 スコールにしてみれば、信じられないほど譲歩してやったつもりだろう。
「帰れよ、サイファー」
 扉の向こうで、スコールが顔を上げ、俺に向けて言い渡すのが分かった。
 踵を返し、離れていく背中が俺には見えた。
「スコール!」
「しつこいな!」
 焦って呼び止めると、スコールは素のままで怒鳴り返して来た。
 もう、何を言えばお前がこの扉を開けてくれるのか、俺には分からねえ。

「……好きだ、スコール」

 閉ざされた扉に、せめて、顔を見てから言うつもりだった言葉が、口をついて零れた。
 こんなふうに言っても、どうにもならねえだろう。
 だが、どうしたって言わずには帰れねえ。
 俺はスコールの答えを待った。
 扉の向こうにいるスコールは、長い間黙っていた。
 何でもいい。何か言ってくれ、スコール。
 やがて、部屋の中で奴が歩く気配がした。
 心臓が、期待と不安で割れそうに高鳴る。
「スコール? …スコール、居るんだろ?」
 緊張に耐えられず呼びかけたとき、とうとう、スライドドアが開いた。
「スコール!…っ、」
 目の前にぎらりと何かが光り、俺は危うく次の一歩を踏み止まる。
 勢い込んで一歩踏み出した俺を迎えたのは、ライオンハートの刃先だった。
 その向こうに輝くスコールの眼には、本物の殺意が満ちて、俺をまっすぐに睨んでいる。
「…ほかの連中は何処だ」
「ちょ…ちょっと待てスコール。ガンブレはねえだろ」
 俺は無意識に両手を前にかざし、わが身をかばって後ずさった。
 ヤバい。…こりゃ、完全に理性が飛んじまってる目だ。
「何処だと聞いている」
「何処って、…自分の部屋だろ」
 質問の意図が読めず、俺は戸惑いながらも答える。
「嘘をつくなよ。あの角か? またみんなで仲良く、俺を笑いに来たんだろう?」
 スコールが刃先を廊下に向けて、ようやく意味が分かった。
 俺が「好きだ」と言ったから…それを信じられねえスコールは、まだあの企画が続いてると判断した。
 この期に及んで、俺がまた自分を騙しに来たと思っているんだ。
「スコール、そうじゃねえ。俺はひとりだ。どうしても、お前に謝りたくて…」
「何を今さら。笑ったくせに」
 俺の必死の弁解に、スコールの口角がつり上がり、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
 そのぐらい冷ややかな笑顔だった。
「スコール」
「あんた、笑ったくせに。あんな下らないウソにひっかかって、あんたのこと、恋人だって信じた俺を、笑ったくせに」
 …そのとおりだ。俺は、何にも分かっちゃいなかった。
「スコール…済まねえ。ほんとに、俺が悪かった」
「悪いと思ってるんだったら…なんでわざわざ蒸し返しに来るんだ。どうして、俺の頭が冷えるまで、放っておいてくれないんだ」
「なんでって、」
 好きだからに決まってるだろ。
 そう言いたいのに、申し開く隙さえ与えず、スコールは俺の言葉を遮って苦しげに続けた。
「そんなふうに謝られたりしたら、俺がもっと傷つくって思わないのか? いっそ、あんなの信じる方が間抜けだって言ってくれた方が、ずっとマシだ」
 スコールは、吐き捨てるようにそう言いきって目を反らした。
「スコール…違う。好きだ。俺は、本当にお前を」
 ここで引き下がるわけにはいかねえ、そう思いきって一歩を踏み出した途端、スコールが怒鳴った。
「帰れよ!!」
 その手のブレードがふっと消え、間髪いれず、上から銀色の光が振り下ろされる。

 視界を白く焼くフラッシュと、鼓膜の割れそうな衝撃音。
 頬の皮膚が震えるほど間近に、目の眩む閃光と波動が走り…俺の立つ床が、すぐ脇から背後に向かって地割れのように砕けた。

 俺は身動きも出来ず…ただ、怒れるスコールを見つめた。
 今の一撃が何かのセンサーをふっ飛ばしたのだろう、セキュリティシステムが赤い回転灯を回し、びーっ、びーっとけたたましい警告を鳴らし始めた。
「…うるさいな」
 スコールが憎々しげにガンブレをもうひと振りして、すぐわきの壁を切り裂く。
 壁材ごと配線を断ち切られて赤い光は消え、アラートはたちまち沈黙した。
 変わり果てた廊下で、俺は再びスコールと向かい合う。
 薄闇のなかで、ゆらりと俺の方に向けられた刃先は、ひどく毀れていた。
 スコールが、どれほどガンブレードを愛しているか、俺は誰よりも知っている。
 こんな使い方をするなんて、信じられなかった。
「スコール。お前、こんな…」
「いいかげんにしろよサイファー」
「…」
「俺が冗談が好きじゃないのは、もう十分わかっただろ?」
 スコールの全身から、青白く燃えて揺らめくオーラが見えた。
 そうだ。
 スコールは、こんなにも本気だった。
 こんなにも本気で…俺の嘘を信じたんだ。
(ごめん、サイファー)
 あの言葉も、頬に触れた唇も、本心からのものだった。
 俺が衝動に負けて、訳も分からずしてしまったキスも、黙って受け入れてくれた。
 もともとスコールは、そういうことを軽々しく出来るヤツじゃねえ。
 俺はあのとき、紛れもなく…スコールの恋人だったんだ。
 それなのに、俺は…
「…わかった。いい、殺されても仕方ねえ。それでも、」
「黙れ!」
 スコールが鋭く睨みつけてくる。
 それでも、俺は言わなきゃいけねえ。どうしても。
「…お前が好きだ。信じなくてもいい。そうしたきゃ、そのブレードで俺をぶった切れよ」
 斬られる覚悟を決めて、真っ直ぐにスコールの両目を見つめる。
 スコールも、目を反らさなかった。
「俺が悪かった。…初めは騙してたんだ。お前が怒るのも、当然だ。でも、嘘を信じたお前のことが、だんだん、本当の恋人みたいに思えてきて…」
 スコールが忌々しげに顔を歪めて、俺はいっそう胸が痛くなる。
 あの企画の嘘にそっくりな、これを信じろなんて、とても言えねえ。
 俺は…今度こそ嘘偽りない、本当のことを話しているのに。
「あのキスは、俺がどうしてもしたくて、ついしちまったんだ。あんなことまでするシナリオじゃ無かった。俺が、勝手にやったことだ」
 キス、という単語に、スコールがびくりと体をすくませる。
「ネタばらしのときに笑ったのだって、お前をバカにするつもりで笑ったんじゃない。いつもクールなフリのお前が、ぽかんとしてるのが可愛かったんだ」
 スコールがだんだん俯いていって、顔が見えなくなる。激しい怒りのオーラが薄れていく。
 だからって、赦されたわけじゃねえってことは分かってる。
 構えていたブレードの刃先が下がっていく。俺は一歩ずつ、スコールに近づく。
「傷つけるつもりじゃなかった。そもそも、お前がこんなに…傷つくと思わなかった」
 スコールがいつも周りを固く鎧っているのは、心を開いた相手に裏切られると、こんなふうに、ひどく傷ついてしまうからなんだ。
 そして俺はまさに、そのとおりのことをやった。
 お前が心の内側の柔らかい部分を初めて俺に開いて、精いっぱい応えようとしてくれたのに、…俺はそれを裏切ったんだ。
「お前がマジに怒りだしても、まだ分からなくて…さっき、やっと分かったんだ。…この三日間、あんなに楽しかったのは、お前を騙してたからじゃねえ。お前と…ほんとに恋愛してたからだって」
 下を向いてしまったスコールの両腕に触れ、そっと引き寄せる。
「俺が悪かった。…なあ、頼む。許してくれ」
 反応の無いスコールの身体に、ゆっくりと腕を回す。
 そうしていいのかどうかも分からないが、自分でも止められなかった。
 握り締めていたライオンハートが、スコールの手から床に落ちた。
「スコール」
 伝わればいいのに。
 俺が今、どんな気持ちでお前の名前を呼んでいるか、そのまま伝わればいいのに。
 ためらいながらも、俯いた、冷たい頬を両手で包んだ。
「お前は馬鹿じゃない。馬鹿なのは、俺だ」
 どうしても顔を見たくて、ゆっくり上を向かせると、スコールが俺を睨んでくる。
「馬鹿だよな。騙してこっちを向かせておいて、お前に惚れたことも気づかないで、呑気に笑ったりして」

「…バカ」

 スコールが小さな声で言った。
 その声は、さっきまでのスコールとは違っていた。
 俺は、耳も目も疑いながら、それでもそれを信じたくて、指先が震えた。
 スコールは、まだ怒っている。
 でも、見れば分かった。
 スコールは、昨日の夜キスしたときと同じ、恋人の顔をしていた。
 今度は俺が騙されるのかもしれない、という考えが一瞬脳裏をかすめる。
 俺は、それでもいい、と思った。
 それでもいい。
 俺がお前を好きだって、お前が信じてくれるなら。
 この愛しい唇に、もう一度キス出来るなら。
 ゆっくり顔を近づけても、スコールは逃げなかった。
 ブルーグレイの瞳に涙を溜めて、じっと俺の目を見つめてくる。
 俺は目を閉じて、唇に唇を重ねた。
 ごめんな、スコール。
 思いを込めて、そっと触れ合わせる。
 頬に掛けた指に温かい雫が伝わって来て、俺はスコールも瞼を閉じたのを知った。



2013.10.20 / Lovefool : Seifer : 11 / to be concluded…