ろくに眠れないまま迎えた翌朝。
サイファーも俺も言葉少なく、「おう」とか「ああ」とか口の中で呟いて挨拶を済ませた。
先に起きたサイファーが準備してくれたトーストとコーヒーの簡単な朝食を取り、制服に着替えて一緒に部屋を出る。
その間、ほとんど無言だった。
…決して険悪と言うわけではない。
ふとした拍子に目が合うと、お互いパッと反らすのに、油断すると…また視線がぶつかる。
そのたびに、いちいち顔に血が昇るのが困る…。
何か話したい気がするのに、何を話したらいいのか、見当もつかない。
こんな状況も三回目で、慣れているはずのサイファーの方も気まずそうな顔をしている。
執務室までの廊下を、サイファーの後ろについて、黙々と歩いた。
…今のこの状態は、一体どういう名前の関係になるんだろうな。
サイファーと俺は既に、二回は付き合い直したという話だが…。
記憶にある限り、かつて悩んだことの無い問題に直面し、俺は歩きながらため息をつく。
こういう場合って、きちんともう一度申し込んだり申し込まれたりするものなんだろうか…?
ウイークデイのデスクに着いてしまうと、否応なしに仕事が始まり、少し気が紛れた。
バラム市からの依頼で、サイファーが現地調査の出張に出ると、俺も雑念なく事務に集中出来た。
キスティスからは体調と業務について尋ねられ、セルフィにはキラキラした目で探りを入れられ、ゼルとアーヴァインには何事も無いかと心配されたが、すべて「問題ない」で押し通した。
事態が急変したのは、夕方のことだ。
そろそろ終業、という時刻になって、執務室のスライドドアが開き、伸びやかな声が響いた。
「おっハロ~、スコール!!」
思いがけない人物の登場に、俺はゆっくりと椅子から立ち上がった。
「リノア…」
つきり、と胸の傷が引きつる。
「へへ~、ひっさしぶり~! みんな元気~?」
彼女は輝く笑顔を振りまきながら、水色のストールをひるがえし、足取り軽く室内に入ってくる。
皆が重苦しい制服のせいか、左手に銀のバングルを嵌めた彼女の姿は、特に鮮やかに見えた。
「リ、リノア…今日はまた急に、どーしたん?」
セルフィが面食らった顔で、魔女を見上げた。
「ママ先生のお使い~。ちょうどいい時間だから、一緒に晩ご飯でもどうかな~っ?って」
「あ、う、うん…」
珍しく、歯切れの悪い返事だ。
セルフィだけじゃない。
モニタから顔を上げたキスティも、書類を手に何事か相談していたゼルとアーヴィンも、出張から戻ったばかりで、カメラからデータカードを取り出しかけていたサイファーも…どこか強張った表情でリノアを見ている。
「…あれ?…もしかして、お邪魔? ねえ、何かあった?」
微妙な空気にリノアが眉をひそめ、居並ぶ顔を見回す。
これは皆、「別れたばかり」の俺に気を使っているんだろうか…。
「いや…。実は…俺、また記憶を失くしたんだ」
俺がうつむき、ぼそぼそと説明すると、リノアはのけぞった。
「えええーーー! またあ? しんっじらんなーいっ!!」
ぐさりと突き刺したうえに、言葉の刃をぐりぐりと抉りこむようなリノアの大声…。
これで悪意が無いから始末に負えないんだ…。
…。
しばらく沈黙があった。
「?」
リノアが再び、不思議そうに周囲を見渡す。
何だろう。…確かに、変な雰囲気だ。
普段なら、ここでてんでばらばらに皆からリアクションがあって、わいわいと騒がしくなるはずなのに。
それに…もしも「俺に気を使っている」のなら、キスティスあたりが無難な話題を出して、さりげなくリノアを俺から遠ざけるはずだ。
いつもなら彼女と話が盛り上がるセルフィも、妙にそわそわしているような…?
「…それで、今回はどのぐらい忘れちゃったの?」
この会話の続きに答えがあると判断したのか、リノアは俺のデスクに近づいて来る。
「…一年分ぐらい」
「な~んだ! またそこまで戻っちゃったの~?」
魔女は呆れたように笑う。
そんなふうにあっさり流されるぐらい、俺との関係は、リノアにとっては過去のことなんだ…。
そう思うと、俺の中ではまだ新しかった別れの痛みも、少し薄らいでいく気がした。
「…俺、三回目なんだってな」
軽くため息をつきながら、何気なくそう口にすると、リノアが不思議そうに訊き返した。
「え? 四回目でしょ?」
「…?」
確かに三回目だと言われたと思うんだが。
「ほら、この前、キスティスが『仏の顔も三度まで!』ってすっごく怒ってて…」
「…」
向かいの席のキスティを見遣るが、目が合わない。
「セルフィなんか、『次があったらどーんと担いで思い知らせたる!』って息巻いてたじゃない。ねっ?」
リノアが同意を求めて振り返ると、当のセルフィは「あちゃ~」としかめた顔を片手で覆った。
かつぐ…?
会話の繋がりが…理解できない。
「んも~、リノア~! せっかく明日、盛大に発表しようと思ってたのに~」
「え~? わたし、…なんかマズかった??」
「せっかくの企画だったんだけどな~。 ま、一日繰り上がっただけだからいっか!」
セルフィはそう言って、ゴソゴソとデスクの下を探る。出てきたのは…レトロなプラカードだ。
立ち上がった彼女はそれを勢いよく掲げ、俺に向かって高らかに宣言した。
「じゃーん!! ドッキリです!!」
周囲から、「おおー」とか「はあー」とかいう声が漏れ、まばらな拍手が湧く。
…何が起きたのか分からず、俺は突然現れたサインを目の前にして立ち尽くした。
確かに、カードには派手な色調で大きくそう書かれている。
下には「記憶喪失 再発 回避企画!!」というキャプションが添えられている。
セルフィは「どうだ!」という決め顔で俺に向けてくるのだが…いまひとつ話が見えない。
「ドッキリって………何がだ?」
三回目じゃなくて四回目だっていうのが、「ドッキリ」なのか?
「何がって…やだ~、はんちょってば! ホントに信じちゃったんだ~?」
俺のぴんと来ない反応にセルフィが目を丸くすると、ゼルが見かねたように割り込んで来た。
「だからー、サイファーが恋人ってヤツだよ! スコール、真剣に悩んでたろ?」
…。
寝不足の頭に、ゼルの言葉がなかなか入って来ない。
しかし、非常に重要な事を言っていることは分かる。
俺は…ぼんやりと瞬きした。
「ああ……悩んでた」
自分の口が動いたけれど、まるで誰かが勝手に喋っているようだ。
「だろ~? オレさ~、もう昨日の時点で、何回言っちまおうかと思ったぜ~」
「ゼル、抜け駆けはダメだよ! 僕らだって怒られんの怖いんだから~」
ゼルとアーヴァインのやりとりが…ようやく認識と馴染んでくる。
俺は脳天から、しびれのような寒気が体に広がって行くのを感じた。
「…じゃ、………今までの、…嘘か」
掠れた声で確認すると、セルフィがあっけらかんと笑う。
「そ。うっそだよーん。へへへー。はんちょ、焦った?」
嘘…
だって~、はんちょってば、無茶ばっかりするんだもん。
そうよ、スコール。あなた、自分の記憶を安易に犠牲にしすぎ。
いくら口で言っても、ちっとも改まらないから、本格的に懲りてもらおうと思って。
でもさ~、みんな意外と演技派だよね~? 僕なんか嘘下手だから、驚いちゃったよ~。
だよなぁ。オレ、まさかあの設定をスコールが信じるとは思って無かったぜ。
ねえねえ、どう? はんちょ、悪い夢から覚めたご感想は?
次々と耳から言葉が入って来ては、上滑りしてゆく。
「スコール? ちょっと、スコール、大丈夫?」
キスティスの声だ。
身体じゅうがつめたくなっていく。思考が停止してしまって、俺は返事が出来ない。
机の上に視線を落としたまま、動けない。
あんなに悩んだのに。
でも、そうだよな。
俺だって、…変だと思ったんだ。
俺とサイファーが恋人同士なんて。
愛し合ってたなんて。
まるで突拍子もない話なのに、俺は…。
やっと体が動いて、どうにか顔を上げる。
ゆっくりと、斜め前の席で、行儀悪く机に腰掛けている男に目をやった。
これまで黙って成り行きを見物していた緑色の両目と、視線がぶつかる。
サイファーは、呆然とする俺を見て、堪え切れなくなったのか、不意に横を向き…
くっくっと声を立てて笑いだした。
その瞬間。
凍りつきそうだった全身の血が…いきなり熱く逆流した。
「…あんたら、全員出ていけ」
俺の低い声に、セルフィの無邪気に笑っていた顔が引きつった。
「ちょ、はんちょ…マジで怒っちゃった?」
「出てけよ」
本気だと分かるよう、強く繰り返す。
「おい、スコール…そんな…」
「ご、ごめん~、スコール、あの、」
「出ろって言ってるのが聞こえないのか?」
これ以上怒らせないで欲しい。今だって、俺の拳は震えている。
「スコール…」
リノアの困惑した顔には、気が咎めた。
「あんたには申し訳ない。関係無いのに、嫌な気分にさせて」
「ねえ、スコール。皆の話…」
「聞きたくない」
遠慮がちに提案してくるリノアの言葉を遮った。俺には、そこまでの度量は無い。
「スコール。ごめんなさい、わたしたち…」
意を決したようにキスティが立ち上がり、悲愴な面持ちで俺に訴えるが、今は無理だ。
「キスティス、出てってくれ。今日だけでいい」
泣きそうな彼女の顔を見れば分かった。
きっと、こんなはずじゃなかったんだ。ここまで俺を怒らせるつもりなんか無かったんだ。
「頭が冷えるまで、独りにしてくれ。こんな馬鹿げたことで、あんたを殺したくない。…分かるだろ?」
キスティスが息を呑み、小さくうなずくと、仲間たちは肩を落として、席を立つ。
斜め前に残った気配が、戸惑った声で俺を呼んだ。
「…スコール」
「失せろ」
俺は一言で片づけて、立ち去りかけていた魔女を呼び止めた。
「リノア、頼むから、こいつを連れてってくれ」
彼女は一目で俺の窮状を見てとり、男の腕を引く。
「ね、サイファー、とりあえず行こ?」
「なあ、待ってくれ、スコール。悪かった。まさか、お前がそんなに…」
「とっとと失せろっ!!」
自分でも聞いたことの無い声で俺は怒鳴った。
抜き身のガンブレードがあったら、とっくにサイファーに斬りかかっていた。
サイファーはリノアに引っ張られて、部屋から出て行った。
最後まで首だけを振り向け、俺の逆上した醜い顔を、信じられない目で見つめていた。
ようやく独りになった部屋で、俺は糸が切れたように、椅子に座りこんだ。
広げた書類の上に、構わずにうつ伏せる。
世界がぐるぐると回りながら、螺旋を描いて落ちていく感覚。
初めからありもしない場面が次々と現れて消えていく。
嘘だったんだ。
俺が先にサイファーを好きになり、サイファーも俺を好きになったことも…俺が記憶を失って、また恋人に戻ったことも、夜のキッチンで隠れてキスをしたことも、すべて無かった話だった。
…皆が想定したように、それが嘘だったという結末を、俺は喜び、歓迎してもいいはずだ。
ところが、俺の反応が違って…サイファーは驚いていた。
他の連中もそうだ。
取り乱した俺を見て、後悔に青ざめていた。
…そうだな。
この嘘が、こんなふうに俺を傷つけるなんて、想像もしてなかったんだろう。
騙された俺が多少怒ったところで、皆で笑って終わる、楽しい企画のはずだったんだ。
誰も…俺が本気で真に受けるなんて、思ってなかった。
俺がそこまで馬鹿だなんて、思ってなかったんだな。
でも…俺は信じた。
サイファーと俺は、恋人同士だったって。
自分の愚かさがみじめで、薄暗くなっていく執務室の机の上に頬を乗せたまま、ひっそりと笑った。
俺は信じた。
サイファーの言ったとおりに、愛し合ってたって、信じたんだ…。
2013.06.29 / Lovefool : Squall : 10 / to be continued …