夕食の後片付けの途中、リノアからの電話のためにいったん自室へ籠り、通話を終えてリビングに戻ると、サイファーはまだソファに陣取っていた。
「お、やっと終わったのかよ。長えなあ、相変わらず」
「…ちょっと込み入った話があって」
答えながらキッチンに入る。
流しに置いた洗いかけの食器からは、すっかり泡が消えてしまっていた。仕方ない、やり直しだ。
「なんだよ、ついにあの女と別れてくれんのか?」
くだらない軽口を叩いてくる。
まったく。あんたのそういう態度が問題なのに。
「…俺、リノアと結婚する」
スポンジに新しく洗剤を付けながら宣言すると、サイファーはカウンター越しに俺を見遣り、大げさに片方の眉を吊り上げてみせた。
「…へえ。それはそれは。…いつ?」
「……まだはっきりしないけど、出来るだけ早く」
「…急だな」
サイファーはひゅう、と口笛を吹いて、ソファから立ち上がった。
誰のせいだ、誰の。
「あんたが変なアプローチするからだ」
「魔女がとうとうキレたか。あいつも豪腕だな~。いきなり結婚かよ」
「…」
別に、リノアと結婚したくないわけじゃない。
だけど、こんな変な形で、急いでするつもりじゃなかった。
リノアはティンバーの独立運動が大詰めだし、魔女の修行もまだ途中だ。
俺は俺で、いまだにあの戦争の残務整理がつかなくて、指揮官の椅子から降りられない。
残務の中には、あんたの監視官も入っているんだぞ。わかってるのか。
「結婚するったって、お前、ガーデンどうするんだ?」
「放り出すわけにもいかないし。とりあえず籍をいれるだけで、しばらくは今まで通りだ」
サイファーがキッチンに入ってくる。
水でも欲しいのかと、冷蔵庫への道を開けるように体をシンクに寄せてやるが、そういうわけでもないらしい。
「別居ってことか?」
「リノアもティンバーから離れるわけにいかないしな」
「ふーん。入籍ねえ」
「…! サイファー! 真面目に聞いてるのかっ」
いつの間にか俺の真後ろに回ったサイファーが、なんというか…、
セクハラとしか言いようがない行為に及んでくるので、泡だらけの手でその手をはたいた。
「聞いてるぜ。あーあ、洗剤が飛び散るじゃねーか」
「誰のせいだっ」
怒鳴っても、サイファーは悪びれる様子も無い。
「いーだろ、ケツ撫でるぐらい。俺とお前の仲じゃねえか」
抜け抜けと信じられないような台詞を口にして、いつもの人の悪い笑いを浮かべている。
それがまた男っぽい顔に似合うから始末に負えない…。
「あんたはどうしてそういう…、」
不真面目な態度をただそうとして、途中で力尽きた。駄目だ。俺、今日は疲れてる。
にしても、男の体なんか触ってなにが楽しいんだか…。
SeeD試験が差し迫って、ストレスが溜まるのは分かるが、見境なく近場で発散させるのは迷惑だ。
「なんだよ。お前だってそこらに猫が転がってりゃ、いっつも撫でたがるくせに」
そりゃ猫は可愛いから…、と言おうとしてやめた。
どうせロクでもない返事しか想像できない。
「それで? 式とか挙げんのか」
「…まあ、一応。リノアが準備してくれてて…式場が取れたら、その日に合わせて入籍しようかと…」
「へー」
サイファーの気の無い相槌が耳元で聞こえた次の瞬間、ぞわっとする寒気が尻から背筋に抜けた。
「…っっ!! …サイファーっ!!」
ばっちーん!!
俺はスポンジを放り出し、振り向きざまにサイファーの横っ面を張り倒した。
「い、い、い、いい加減にしろっ、この変態!! 殺すぞマジで!!」
ヤラシイ触り方しやがって!!
「いって~な~オイ。口ん中切れたじゃねーか」
よろけて冷蔵庫に凭れかかったサイファーが、顔をしかめてぼやく。
「知るか! あんたが変なことするからだっ!」
かなりの手ごたえがあったが、構うものか。
尻の間に指を差し込むようにして撫で上げられて、まだいかがわしい感触がそこに残ってる…。
もう完全に嫌がらせの範囲を超えてるだろ!!
「ケチくせえなあ。ちょっと触ったぐらいで、なにも妊娠するわけじゃあるまいし」
「するか馬鹿! してたまるか!! あんた脳味噌腐ってんじゃないのかっ」
気色悪い抗議にさらに鳥肌が立って、俺はサイファーをキッチンから追い出した。
「したらマジで伝説だよな、ハハハ」
俺に張られた頬をさすりつつも、明るく笑うサイファーに、改めて殺意を覚える。
伝説なんか要らないし、不本意ながら、もう間に合ってる。
とっとと部屋に帰れ!と心中で呪い、シンクに落ちたスポンジを拾って皿洗いを続行しようとすると、自室のドアの前で、サイファーが振り返った。
「そんでお前、ホントに腹くくったのかよ?」
ふざけた調子を引っ込めて、存外柔らかく聞いてくる。
最初っからそういう態度を取ってくれればいいのに…。
「形としては不自然だと思うけど…」
「少しでも迷ってんなら、今のうちに保留したほうがいーんじゃねーのか?」
俺は本心を言い当てられたような気がして、シンクに視線を落とした。
「でも…リノアがそれで安心するなら、それもいいと思って」
嘘じゃない。そう思っている自分も居る。
魔女の支えになることが、騎士の一番の務めだと言うなら、俺はそれを果たしたいと思う。
ただ、まだ早いような気がする俺も同時に居て、自分の決断に…実感が湧かないんだ。
「ふ~ん。俺にはまだ、覚悟が決まった顔には見えねーけどな。ま、よく考えろよ。…おやすみ」
サイファーはさっきまでとは違った顔で微笑んで、スライドドアの向こうへ消えた。
ついていけないようなふざけ方をしたり、ああやって親身になってるような発言をしたり…。
最近の彼が何を考えてるのか、俺にはさっぱり分からない。
まあいい。悩んでもしようがない。
サイファーの考えなんて、昔から俺には半分も理解できない。
本当は、「あんたも式に出席して欲しい」と話すつもりだったのに…言いそびれてしまった。
話の始まりは、つい10日ほど前のことだ。
ここのところ、リノアはずっと不安定だった。
以前は2~3日に一度だった電話が毎晩になって、その日の出来事を細かく聞きたがった。
そうして、通話の最後に、思いつめた調子で訊く。
(ねえ、スコール。わたしのこと、愛してる?)
何がそんなに心配なのか、俺には…分からないことばかりだ。
魔女の修行も上手くいっていないらしく、無理にでもどこかで休みを取って、ティンバーに会いに行った方がいいな、と考えていたとき、突然、リノアが電話口で言ったのだ。
スコール、わたしと結婚してほしいの、と。
今は籍を入れるだけでいい、式は一緒に住めるようになったら、いつか挙げよ?という話だった。
それが、カーウェイ大佐やらラグナやらエルやら、その他もろもろの関係者に話を通すうちに、結局式も挙げることになってしまった…。
来賓の顔ぶれを考えれば場所はやはりバラムが無難だが、リノアが調べたところによれば、それ相応の式場はだいたい半年先まで予約で埋まっている。一応半年以上先の、ラグナのオフに合わせて仮予約を入れたが、リノアはキャンセル待ちリストにもエントリーしたと言っていた。
大佐に正式な挨拶もしていないうちに、どんどん話が走り始めてしまって、確かに…俺は少しばかりとまどっている。
けれど、毎日のようにリノアから、「こういうことになっちゃったんだけど…いいかなあ?」と心細げに訊かれると、「ああ、構わない」と答えるほかなかった。
とにかく恐ろしいスピードで話が進んでいる。
三日ほど前、電話で話したカーウェイ大佐にも、「うちの娘が暴走してるようだが、大丈夫かね?」と尋ねられたぐらいだ。
洗いものを終えた俺は、PCの電源を入れて、リノアからのメールを開いた。
さっきの電話で、大きいから、PCのほうへ送るね、と言われた添付ファイルを見る。
何種類かのドレスの写真と、席次の案だった。
俺はゆっくりと時間をかけて、リノアがいちばん気に入っているドレスがどれかを検討し、ミニ丈の軽やかなものを選んだ。当たっているといいのだけれど。
席次の方は、考えて少し修正を加える。招待客は、ほぼ身内と友人だけの最小限に絞ったものの、傭兵、レジスタンス、ガ軍幹部、元魔女イデア、大統領となかなか個性的なメンバーをテーブルに配置するには…それなりに工夫が必要だ。
最後に、頑張って準備を進めてくれていることに感謝の言葉を添えて、返信した。
(ねえ、スコール。わたしのこと、愛してる?)
もちろん愛してる。最初は…なかなか口に出来なかったけれど、今は出来る限り、気持ちを込めて伝えるべく心掛けているつもりだ。
それなのにリノアが、ありがと、と応える声は、だんだん元気が無くなっているように聞こえる。
俺はここのところ、どうしてもひとつの疑問が頭から離れない。
俺は…本当にリノアに似合っているんだろうか?
2012.3.30 / ミスディレクション。*1 / to be continued …
今回も読んでくださった方、どうもありがとうございます。
「ミスディレクション。」は深刻屋のスコールが悩むお話で、少し暗い展開になります。タイトルは、ミステリではよく使われる言葉で、間違った方向へ導く指標、と思っていたんですが、もともとはマジック用語なんですね~。知らなかった。
冒頭のキッチンのシーンは、必要以上にエロくなってしまいました…スコール、セクハラしてごめんね。でも書いてて楽しかった(笑)。
続きます。
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