Time after Time 7 : Seifer


 エレベータを降りると、普段は真っ暗なはずの通路を、ライトが煌々と照らしていた。その突き当たり、分厚い鉄扉に付いたハンドルを下ろして押すと、抵抗なく開いた。書庫の中も、白い照明が点いている…スコールはまだ、なかに居るはずだ。
「おい、スコール?」
 一歩入って呼んでみても、反応は無く、埃臭い室内は静まり返っている。怪しい気配は感じねえ。俺は書棚の並ぶ通路を先に進んだ。
「おい、スコール! スコール! 居ねえのかぁ?」
 やはり返事は無い。
(何処に消えやがった…)
 左右を見渡しながら、中ほどまで行ったところで、俺は足を止めた。スコールが…書架の間に、崩れたように倒れていた。
「おい! スコール! …聞こえねえのか?」
 大股に近づいて呼びかけると、目を閉じた顔をわずかにしかめ、身じろぎした。膝を折って横たわった身体に、外傷は見当たらない。床に落ちた手首を取り、血管の上に親指を当て、脈を調べるが、特に異常はないようだ。顔色はやや青白いものの、呼吸は正常…嘔吐もしていない。近くに、一冊のファイルが投げ出されている。過去の議事録だった。
 スコールは、これを読んでて倒れたのか…。
 背表紙に、俺には忘れ難い年号が記されている。それは、「スコール」が居なくなった年だ。心の一番奥にある古傷がいまさら疼き、俺は頭を振って、蘇りかけた記憶を追い払う。スコールは目を閉じたままぐったりとして、俺にされるに任せている。
(とにかく、ここから連れ出さねえと)
 俺は脈を取っていた手首を離し、ゆっくりと、倒れた身体を床から抱きあげる。
 スコールは抗わなかった。うっすらと目を開けかけて、すぐにその目を閉じ…それから俺の肩に額を付け、身の重みを預けて来たのには驚いた。わずかにでも意識があれば、「下ろせ」ぐらい言いそうなものなのに、
(…こりゃ、そうとう参ってるな)
 朝飯を食わなかった時点で、もうおかしかったのか…それならそれで、どうして身体を休めるぐらいの管理が出来ねえのか、そう苛立つ一方で、こうして腕の中に収めてみると、昔の「スコール」と今のこいつは、やはり同じ人間なんだと実感し、俺は胸が苦しくなる。
 足元の議事録を捨て置いて、エレベータへ向かううちに、スコールはやがて寝息を立て始めた。よほど具合が悪いのかと思ったが…そう言えば、夜、眠れねえって言ってたな。
 以前なら真っ先にG.F.からの干渉を疑うが、おそらく今回は違う。一兵卒だったころと違って、指揮官のスコールの記憶は重要だ。必要ない時はジャンクションを外しているし、G.F.の数も減らしている。それでも先月、シヴァを手放すにあたっては、ずいぶん悩んでいた。
 あの戦争が終わった後、スコールにそれとなく探りをいれてみたときには「中等部の頃だけは思いだせない」と言っていたから、例の強姦未遂についちゃ知らないはずだが…無意識に、恩のあるシヴァを頼りにしていたんだろう。
 俺は未だにG.F.をジャンクションすることに多少の抵抗があるが、スコールはヘタな人間よりもG.F.のほうがずっと相性が良く、G.F.の方からもたいてい好かれる。
 なかでもシヴァは別格だった。
 スコールが召喚すると、初めから呼ばれると分かっていたように、たちまち現れる姿を何度も見た。…俺はあの氷の女が、昔から俺を嫌っていたことを知っている。

 * * * * *

 どのG.F.も、ジャンクションするためには、最初にバトルして勝つ必要がある。だが、ガーデンが初心者に貸与する奴らは、ちゃんと手加減してくれるのがお約束だ。そうして「負けてくれた」G.F.の中から、お互いに相性のいい組み合わせを選ぶのだが、これは天性の資質によるところが大きいらしく、G.F.を何体試しても、どれもしっくり来なかった俺とは違い、スコールはすぐに彼らに馴染んだ。
 いろいろなG.F.の試用期間が回って来ても、俺は半分もジャンクション出来なかったが、スコールはほぼ毎回ジャンクションを許されて、かえってG.F.を選ぶのが難航したぐらいだ。
 その相性の良さが深い結合を許し、記憶領域に深刻な副作用をもたらすことになったのだろうが、彼らを使い始めたばかりの頃は、何の異常も感じなかった。
 俺とスコールは、相変わらず同室で、相変わらず好き合ってるにもかかわらず、相変わらずこれといって進展のねえ日々を送っていた。
「お前、結局G.F.どれにすんだよ?」
 先に宿題が終わった俺は頬杖をつき、隣の机に向かうスコールの横顔を眺めた。
「…まだ、決められなくて」
「あの鳥にすんじゃねえのか?」
「鳥じゃない。ケツァクウァトルだ」
 スコールはムッと眉間に皺を寄せ、俺の適当な呼びかたを訂正してから、少し嬉しそうに頬を緩めた。
「でも、実は今度、シヴァを貸してくれることになりそうなんだ。それから決めようと思ってる」
 意外な話だった。
 シヴァは、今空いてるG.F.のなかじゃ一番人気で、すげえ倍率だ。今んとこはまだ「中の上」レベルのスコールが、あのケツァクウァトルにいたく気に入られたことも話題になってたが、今度はシヴァを試すとなると…担当教師も、スコールには相当の才能があると判断したわけだ。
 スコールにはそこらの奴とは違う、特別な何かがある…そんなことは、俺は大昔から知っている。いつかはこの俺と互角に戦えるようになる、密かにそう見込んでいるのは確かだが、
「シヴァぁ? あのエロいカッコした年増を、お前がジャンクションすんのかぁ?」
 そんなの全然似合わねえ、と俺は思わず吹き出して、ますますスコールの機嫌を損ねちまった。
「…サイファーは、そういう見かたしてるから、G.F.に嫌われるんじゃないのか」
 ふい、とデスクチェアごとそっぽを向いた。そういうとこがガキっぽいってのに、と俺は笑いを噛み殺しながら立ち上がり、「怒んなよ」と椅子ごとスコールを抱きよせる。
「サイファー、俺のことバカにしてるだろ」
「してねえって。…お前、この頃モテ過ぎだから妬いてんだよ」
「…嘘だ。騙されないからな」
 不貞腐れてるスコールの両方の頬を手のひらで包み込み、上向かせる。
「嘘じゃねえって」
 そう言って、じっと両目を見つめてやると、スコールは続きを察して、あ、と気まずそうな顔になった。毎日欠かさずしてんのに、そのたびに「キスされるんだ」って困った顔をするのが、すげえ可愛い。
 ゆっくり距離を詰めるうちに、スコールの瞼が下りて、唇が重なる。
 スコールがあまりに嫌がるので、少しずつ深いキスに慣れさせようという試みは棚上げにして、近頃の俺は再び紳士に徹している。まったく手が掛ることこの上ないが…そういうヤツだと知ってて惚れたんだから仕方ねえ。
 ただそっと触れ合わせるだけのキスを終えて目が合うと、スコールは照れて視線を反らす。ぼうっとなってたのを誤魔化すみたいに何度も瞬きし、背けた耳まで薄赤く染まってるスコールを見ると、コイツもやっとそういう意味で俺を意識してきたんじゃねえかと思って期待しちまう。それは他の誰も知らない、俺だけのスコールだ。
「お前、照れすぎ」
「うるさい」
 嬉しくなってついからかうと、怒ったスコールが軽く肘鉄をかましてくる。そのときの俺はまだ、こういうふたりの関係が、この先もずっと続くものだと思っていた。

 * * * * *

 俺がスコールの異変に気付いたのは、それから間もなくのことだった。
「…お前、その本、まだ読み終わらねえのか?」
 スコールが机に置いた教本のなかに、見覚えのある背表紙が混ざっているのを不審に思った。ガラスを煮詰めたようなビリジアンの装丁は、魔女の騎士の物語だ。
 孤児院時代に、姿を消したエル以外の何にも興味を示さなかったスコールが、唯一気に入っていたあのフィルムの原作で、長年にわたり絶版になっていたが、最近になって復刻版が出版された。先月図書室に配架されてすぐ、俺は先に読み終えて、続けてスコールが借り…それから、ゆうに二週間は経っている。
「うん。…どうしてかな、しおりが挟んであるところから読んでも…ときどき、話が分からなくて」
「分からない? …そんな難しい話じゃねえだろ?」
 やや古風な文体だったが、辞書を引くほどの単語は無かった。
 学業優秀なスコールなら、じゅうぶん読めるはずだ。
「…覚えてないんだ」
 スコールは俯いて、小さな声で言った。
 ずっと、言葉にするのをためらっていたようだった。
「…覚えてない?」
「仕方ないから、また初めから読み始めるんだけど、しばらくすると、また話が見えなくなる」
 スコールは淡々と続けた。
「お前…それ、まずいんじゃねえの?」
「分からない。教科書やノートは大丈夫なんだ。今のところは、その本だけ」
「…もしかするとそれ、G.F.のせいかもしれねーぜ」
「…そうなのか?」
「あいつらジャンクションすると、すげえ忘れっぽくなったり、性格変わったりするって噂あんだろ」
 その噂を聞いてから、俺はG.F.って奴がどうも薄気味悪い気がしてならなかった。
 奴らは何の見返りもなく、強大な力を宿主に与える。
 気に入った相手には負けたフリをして仕え、味方してくれるのは何故なのか、俺には理解できない。
「そうなのかな。…でも、ジャンクションしないわけにもいかないし」
 スコールの言葉は正しい。バラムガーデンに居る限り、G.F.は避けて通れねえ。
 俺は、考え込んでいるスコールの肩を軽く叩いた。
「悩んでてもしょうがねえだろ。一度カドワキに相談したらどうだ」
「…………嫌だ」
 とたんにスコールの顔が曇るのが分かりやすくて、笑っちまう。
「そんなに嫌うなよ。あいつ、見た目ほど怖くねえって」
「怖いんじゃない。苦手なだけだ」
 スコールはこの話題になると、いつもムキになって言い返してくる。
「それじゃ、今度分かんなくなったら、俺に訊けよ」
 そう言ってやると、スコールは黙って頷いた。
 それで不安が消える訳じゃねえが、たかが一冊の本だ…俺もスコールも、そう思い込もうとしていた。

 それから何度か、本を開いたスコールが戸惑うたびに、俺はそこまでの粗筋を説明してやった。続けて読んでいれば問題なかったが、少しでも間が空くと、スコールの読書は振り出しに戻った。そんなことが続くと、「何度も同じ話をさせるのも悪いから、もういい」とスコールは俺の説明を断り、黙って続きを読み始めた。
 さらに数週間が経っても、スコールの机の上には、まだあの本が置かれていた。気になって手に取ると、挟まれた栞は、また初めの方に戻っていた。
 …確か、もうほとんど読み終えていたはずなのに。
 白いページの浅い層から突き出た赤いリボンがひどく不吉に見えて、しばらく目が離せなかった。
 あいつ、また全部忘れっちまったのか。
 うそ寒い不安が、しずかに胸にひろがるのを覚えた。何かの予兆のように感じた。

 * * * * *

 事実、それは予兆そのものであり、意味するところは明白だった。だが、俺がどういうルートを選んでも、終いにはおそらく同じ道を辿ったに違いねえ、と現在の俺は考えている。
 魔女には騎士が必要で、騎士はスコールでなければならなかった。それはスコールが5つのときには、俺の知らないところで既に決まっていたことだった。
 魔女を追って現れたスコールが過去のイデアに会い、未来の出来事を告げたことで、俺たちの属するこの世界は、ひとつの定まった姿を目指して動き始めた。
 いや、「動き始めた」なんていう自動的な話じゃねえ。
 何の証拠もない、白昼夢のようなイデアの話を信じ、妄想じみた構想を実現させるのに、シドの親父がどれほど苦労したか、今なら少しは理解できる。
 ふたりは穏やかな人生をなげうって金をかき集め、バラムガーデンを設立した。シドはいつも遠くから、スコールのことを気に掛けていた。ガンブレに興味を示したと知るや狂喜し、すぐにリボルバーを手配したのも、後から思えば当然だ。あの決まり文句は気に食わねえが、実際「何故と問うなかれ」と言い含めるしかなかったのだろう。
 俺たちは何も知らなかった。何も知らず、強くなりさえすれば全てが解決すると信じ、自分で決めたつもりの道を歩いていた。



 2014.08.17 / Time after Time 7 / to be continued …