Time after Time 5 : Squall


「起きたのか」
 そう訊かれて、目が覚めたことに気付いた。
「…書庫で倒れてたんだ。覚えてるか?」
 視界に映る、自室の見慣れた天井と、苦虫を噛み潰したようなサイファーの顔。
「…ああ。あんたが運んでくれたんだな…。済まなかった」
 まだぼんやりする頭で経緯を探り、黴臭い資料室の床を思い出す。意識のフォーカスを現実に合わせようとして…瞬間的に、あのシヴァのイメージが頭を掠める。訓練施設で起こった事件、…少なくともあれは、夢じゃなかった。
「ここんとこ、ぶっ倒れてばっかじゃねーか。いったいどうなってんだ」
 ちいさく舌打ちして、サイファーは腕を組んで俺を見下ろしてくる。その視線から逃れようと、俺は額のあたりを片手で擦るふりをする。
「…夜、よく眠れないせいだと思う。もう迷惑かけないように、気を付けるから」
 数日前なら、サイファーの小言を、ただうるさいと思ったかもしれない。今まで俺は、サイファーの何を見ていたんだろう…うんざりするほど、知っているつもりだったのに。
「起きてメシ食うか?」
「いや…明日にする」
 派手なため息が聞こえた。
「とにかく明日、カドワキに診てもらえ。いいな?」
「…わかった。そうする」
 別に大丈夫だ、と言いたいのをこらえ、サイファーの命令を受け入れた。カドワキにこの事態をどう説明するかは難問だが…明日の俺に考えてもらおう。
「なんだ。いやに素直だな、お前。『ところであんた誰だ』、とか言い出すんじゃねえだろうな?」
 俺のしおらしい返事が意外だったのか、サイファーはそんな軽口を叩く。
「…いくら俺でも、そこまでは忘れない」
 からかうような口調に、カチンと来て言い返した。
「どうだか。…お前、前科があるからな」
 口元に笑いを浮かべたまま、サイファーの目だけが、ふいに色を変えた。いつもの俺を見る目つきとは違う。どこか遠くを見るような目の色…。
 …前科?
 その単語に引っ張られて、意識の水面に、またひとつのイメージが浮かび上がってきた。

(…あんた、誰だ?
 確かに俺はそう訊いた。初めて見る顔だった。
 目に眩しい金色の短髪、光の強い瞳は、はっとするほど美しいグリーン。
 俺より、ふたつ…みっつぐらい年上だろうか。
 鮮やかな印象の男子生徒だが、見覚えがなかった。
 俺の誰何に、その表情が強張る。驚きに見開かれた両眼は、やがて、ひどく傷ついたように俺を睨んだ。
(誰って…スコール、お前…ふざけてんのか?)

「ぼーっとした顔してっから、また記憶すっ飛ばしたのかと思ったぜ。あんなところで何調べてたんだ?」
 何気なく話しかけてくるサイファーの声で、我に返った。
 返ったが、返事が出来ない。それほど、甦った記憶が鮮烈だった。
 今のは、どう考えても夢じゃない。
 まちがいなく、過去に俺自身が体験した出来事だ。
 ベッドサイドで俺を見ていた、金髪の上級生、…あれは、サイファーだ。夢の中に現れるあのサイファーと、声も、顔も、髪の形も、何もかも同じだった。
 どう見てもサイファーじゃないか。
 どうしてサイファーを…初めて会った人間みたいに、すっかり忘れるなんてことが出来たんだろう?
「スコール。…どうした?」
 目の前の、現実のサイファーが不審そうに身を乗り出して訊いてくるが、俺の思考はまだ衝撃にしびれている。
「…別に。……何でもない」
 何も考えられずに、俺は言い慣れた言葉が口から出るに任せた。
「お前、めんどくせえといつもそれだな。…まあいい、まずは寝ろよ」
 あきれ顔のサイファーは、「電気消すぜ?」と灯りを落とし、部屋を出ていった。
 薄闇のなかで、ベッドに横たわった俺は、まだ呆然としていた。
 さっきのヴィジョンのせいで、世界がぐるぐる回っていた。
 あの夢の日々の直後から記憶の喪失が始まる、それは前後の流れから薄々分かっていた。だけど、サイファーについては…特別な関係だったこと、それだけを忘れたのだと思っていた。あんなふうに、何もかも忘れてしまっていたなんて…思わなかった。

(スコール! 目ぇ覚めたのか? …お前、大丈夫かよ?)
 知らない男子生徒
(サイファーだ)が、俺を見下ろしている。
 頭が重たかった。白い衝立。消毒薬の匂いがする…。
(…ここは…保健室か)
 どうして俺は寝かされてるんだ? カドワキ先生は居ないんだろうか。
(お前、何だってガンブレも持たずに施設なんか行ったんだよ、馬鹿じゃねーのか)
 武器も持たずに施設に…? …俺が? 人違いじゃないのか?
(…それ、俺の話なのか)
 そもそも、この上級生は誰なんだろう
(だからサイファーだろ)。さっき、俺の名前を呼んだよな…。
(お前…覚えてねーのか? だいたい、初めっからあいつには気をつけろってあれだけ言っといたのに)
 いったい、何の話をしてるんだ…?

 そうだ…。あのとき俺は、直前に起きた出来事を、すっかり忘れて目覚めた。

(…覚えてない。なあ…あんた、誰だ?

 そのときのサイファーの凍りついた顔を、俺は思い出した。
 あの事件のあった日、俺は…サイファーに謝ろうと思って、彼を探していた。
 主犯の男子生徒も、俺に「サイファーと別れたんだろ?」と訊いていた。多分…俺が何かひどい失敗をして、喧嘩別れしたところだったんだ。早く謝って、元通りに戻れたら…、そればかり考えていて、周りが見えてなかった。そのせいで、ガンブレも持たずに一人で、閉鎖地区なんかに誘い出されてしまったんだ。
 そして、俺は窮地をシヴァに助けられ、そのまま気を失った。
 氷漬けになった連中はガーデンから医療機関に搬送されたが、俺はカドワキの判断で保健室に留め置かれたのだろう。
 仲違いしていたはずのサイファーは、それでも俺の意識が戻るまで、ベッドに付き添っていてくれた。
 それなのに俺は…そんなサイファーのことを忘れてしまった。
 全部だ。
 何ひとつ、覚えていなかった。

(誰って…スコール、お前…ふざけてんのか?)

 震える声が甦って、俺は思わず眉間を押さえた。
 もう、間違いない。
 あの繰り返される夢はすべて、ただの夢なんかじゃない。
 俺が、本当にやったことなんだ…。
 無意識に指が、額の傷跡を辿る。
 俺は、この傷をつけられるよりも先に、サイファーに、もっと酷い傷を付けたんだ。
 それも、全然フェアじゃ無いやり方で。
 まだ、ふたりとも子どもだったけれど…俺とサイファーは、恋人としか言いようが無い関係だった。あの夢の中のサイファーは、俺をすごく…好いてくれてるみたいだった。
 俺のほうも自分を好きだって、毎日確かめたがっていた。
 そんな相手から忘れられたら、…俺なら、何も信じられなくなる。何も。

 俺は…最低だ。

 そうすれば居なくなれるわけでもないが、自分のしたことに耐えられず、ベッドの中に潜り込み、手のひらで顔を覆った。

(…お前、前科があるからな)
 さっき、目の前でそう言ったサイファーは、それなのに、笑っていた。
 遠い過去を透かし見るあの目には、怒りの気配は感じなかった。
 まるで…それを懐かしんでいるようにさえ見えた。
 …俺の裏切りは、昨日や今日の話じゃない。
 サイファーにとっては、とうに過ぎ去った、昔の出来事なんだろう。その上に降り積もった、一日ずつの歳月を思うと、気が遠くなる…。
 空っぽの胃が捻じれて、吐き気のような自己嫌悪が込み上げる。
 俺は…なんにも分かっていなかった。
 サイファーがどうしてあんな憎々しげな眼で俺を見るのか、どうして俺にいちいち絡んでくるのか、少しは疑問に思いながら、結局は「サイファーだから」で片付けて来た。
 あの戦争の前も、終わった後も、サイファーは過去の話をしなかった。ずっとひとりで、何を思っていたんだろう。うるさそうに自分を無視する俺を見て、どんな気分でいたんだろう。
 長い間、俺は思い出しもしなかった。
 そうやって、忘れてしまったことさえも、俺は…ついさっきまで、忘れていたんだ…。



 2014.07.27 / Time after Time 5 / to be continued …