Time after Time 4 : Squall


 時刻が1800を過ぎたところで、業務に無理に一区切りつけた。
 壁のキーボックスの前に立ち、番号順にぶら下がっている鍵の群れから、目的の鍵を探す。
「あら、スコール。書庫なんかに、何の用?」
 俺がひときわクラシックな鍵を取り出すのを、キスティスが目敏く見咎めて首を傾げる。
「ちょっと、調べものがあって」
 気まずい俺はキーボックスを閉めて、曖昧に答えた。
 キスティスは、あの頃の記憶が戻っているんだろうか?
 いや、そうだとしても…彼女は飛び級の秀才だ。俺との接点は無かっただろう。
「この間のガーデン史の話? あなた、そんな暇あるかって怒ってたのに」
「…その話とは関係ない。個人的な用だ」
 キスティスは「個人的」という言葉に目を丸くした。
「まあ、珍しいこと。何か面白いものが見つかったら、わたしにも見せてちょうだい」
「…ああ」
 生返事をして、部屋を出た。
 俺の希望はその逆だ。
 何も見つからなければいい、そう願って鍵をポケットに突っ込み、俺は足取り重く書庫へ向かった。

 * * * * *

 閉架エリアに足を踏み入れるのは久しぶりだ。
 日ごろ人の出入りの無い室内は、淀んだ空気の匂いがした。照明を付けてもやや薄暗く、書棚の列が奥へと続いている。棚の中には、どうしてこんなものまで取ってあるのか、と首を捻りたくなるような資料まで並んで埃を被ってる…おそらく、学園長の性格によるものだろう。
 書架に貼られた分類の明細を目印に、俺は通路を奥へ進む。
「あった…」
 寮の日誌の棚だ。
 俺は書棚の列に入り、背表紙のタイトルにざっと視線を走らせる。中等部の寮の日誌は、きちんと年代順に並べられていた。
「……」
 ここまで来ておいて何だが、いざ目の前にすると、見ない方が良い予感がする。
 背表紙に伸ばしかけた手が止まる。
 引き返そうか。…いや、それでは何も解決しない。俺は意を決して、一冊を手に取り、茶色く日に焼けた表紙を開いた。
 初めのページに、部屋割と当番の表がある。
 上から順に目を通すまでも無かった。表の真ん中に、妙に訂正だらけの目立つ行があり、それが「サイファー・アルマシー」の部屋だった。
 同室者の欄は、知らない生徒の名前が二重線で消されている。その上に書き足された他の名前にも修正の線が入り、さらに隣に、ちいさく俺の名が書かれていた。
「……」
 俺は次の学期のページをめくる。
 サイファーは、別の部屋に移っていた。
 隣の欄の氏名は、やはりインクで消されていて、今度はいきなり俺に変わっている。ますます重苦しくなってきた胃の辺りを撫で、閉じた日誌を棚に戻し、翌年度の冊子を手に取る。
 目的のページを開くと、予想は的中した。
 サイファー・アルマシーとスコール・レオンハートの名前が、初めからセットで並んでいる。次の学期の一覧表を確認しても、同じだった。
 ぴたりと合っている。
 あの夢と記録との間に、矛盾が無いのを目の当たりにして、俺はよろめいて棚に凭れかかった。
 いや、だからって…まだ、これで決まりとは言えないはずだ。
 そう冷静なフリをしてみても、俺は心の隅でじわじわと、あの夢を信じ始めている。
 夢に現れるサイファーは、とにかく造形がリアルだ。俺はあの戦争の途中で、ある程度までは記憶を取り戻した。おかげで、12歳のサイファーも、16歳のサイファーもおぼろげに思い出せる。
 夢のサイファーは、いわゆるミッシング・リンクに似て…ちょうどその真ん中に繋がる姿をしている。12歳のサイファーと11歳の俺は、決して仲が良くはなかった。16歳のサイファーと15歳の俺だと、すでに明らかに険悪な関係だ。
 だから俺はてっきり…その間も、殺伐とした間柄だったのだろうと思い込んでいた。

(…スコール。俺のこと、好きか?)

 あの夢のサイファーが俺を呼ぶ甘い声。
 …あれは…本当にあったことなのか?
 そうなると、昔のサイファーの、俺に対する嫌味な態度も、まるで話が違ってくる…。
 俺はずっと、サイファーは理不尽な気分屋で、謂れのない因縁をつけられているのだと思っていた。
 考え違いをしていたのは、俺の方なのか?
 あの敵意を含んだ執着には、それなりの理由があったのか?

(お前にだって、夢ぐらいあるだろ?)

 戦争前に、サイファーにそう訊かれたことを思い出す。
 俺の夢は、強くなってエルを探しに行くことだった。
 あれほど固く胸に誓ったのに、俺はいつの間にか、その夢を見失った。俺が正しく答えられない事を、彼は知っていたんだろうか?

(俺は魔女の騎士になったんだぞ。ガキの頃からの夢だったぜ)

 彼のあの言葉を再び思い出して、どくん、と心臓が大きく収縮した。そうだ。サイファーは俺たちと違って、初めから…子どもの頃の夢を覚えていた。そのくせ、それが俺にまったく通じなくても、意に介さないようだった。どうせお前に言っても無駄だろうな、と言いたげな顔をしていた。

 …あのとき既にサイファーは、俺には昔の記憶が無いことを理解していたんだ。

 俺は開いていた日誌を閉じ、元の位置へ戻した。情けなくも手が震えた。
 …俺も知っていたはずだ。サイファーのほうが、俺よりも昔のことを覚えていると知っていた。
 だが俺はその事実にも、あの自分史の空白にも、さしたる興味を持たなかった。忘れてしまったものは仕方ない、どうせ大した記憶じゃないだろう、勝手にそう考えて終わりにしてしまったんだ。もし、何も思い出さないまま、サイファーにその頃のことを尋ねたら、彼はどう答えたんだろう…?
 普段の顔で相部屋へ戻る自信が無く、俺は見るともなしに対面の棚の資料の背表紙を目で追った。
 運営会議の議事録が並んでいる。
 事務的な気分に切り替えたくて、向かいのその棚に手を伸ばした。埃を吸わないように注意して、染みだらけの汚いページを、ぱらぱらとめくってみる。
 さっきの日誌もそうだが、この文書もフォントが古くて、少し読みづらい。カリキュラムの変更や、期末試験の難易度、実習時の安全対策など、今と変わらない議題を読み飛ばしていくうちに、風紀委員の新設、という項目が目に入って、俺は手を止めた。
「…あれって、初めから正式な制度だったのか…」
 なんとなく、サイファーが勝手に始めたものかと思っていた…。そう言えば、ちゃんと予算もついてたな。
「提案の背景」という小見出しの後に、思いのほか長い説明文が続いている。

 ――となる事態となった。残る2名も未だG.F.への恐怖心が強く、ジャンクションすることが出来ない状態である。
 このような事件が二度と起こらないよう、G.F.の貸与の時期を見直すとともに、生徒の健全な心身育成のため、早期に危険な兆候を把握し…――

 …このような事件?
 俺は目についたところから斜め読みしていた視線を、ひとつ前のパラグラフに移す。
 さっきは気にも留めなかった一行目が、目に飛び込んできた。

 ――○年○月○日○時頃、調整のため閉鎖中の訓練施設S地区において、男子生徒(以下X)がG.F.シヴァを召喚した…

 その一文に何故か視線を吸われて、俺は身動きが出来なくなる。
 白い輝きに包まれたシヴァのイメージが、脳裏に広がる。
 どんなにすぐれたG.F.でも、実戦で使わなければ宝の持ち腐れになる。そう考えて、俺は自分の集めた召喚石をひとつずつガーデンに寄贈してきたが、個人的な愛着から、本来ガーデンの所有物であるシヴァを、なかなか手放せなかった。
 だが、シヴァはもともと初心者向けの、優しいG.F.だ。いつまでもSeeDトップの俺が独占するわけにもいかない…ようやくそう思い定めて、長く仕えてくれた彼女をガーデンへ返還したのは、つい先月の話だ。今は、他にジャンクション出来る人間が居ないG.F.だけが俺の手元に残っている。
 …俺が、初めてシヴァを召喚したのはいつだっただろう?
 召喚魔法実技の難易度を考えれば、この日付よりは、だいぶん後のはずだ。
 しかし、シヴァに初めて会ったのは、もう少し前になる。まだ年少クラスで、ジャンクションも出来なかった頃、教師が呼んで見せてくれた彼女は眩しかった。生徒は皆、優雅な姿と、その力の大きさに見惚れ、その石を欲しがった。
 現在のG.F.の貸与と同じシステムだとすると、彼女は適性のある生徒複数にそれぞれ試用期間を与えられて、最終的に俺に割り振られたはずだ。そうすると、このXは、俺よりも以前に彼女を貸与されていた生徒ということになるが…
 それにしても、この胸騒ぎはなんだろう。
 俺はシヴァとの次の出会いを思い出せないまま、文章の先を読み始めた。

 ――これはXが他の生徒ら6名(以下Yら)に取り囲まれて暴行を受けそうになったためであり、まだ召喚魔法を習得していなかったにもかかわらず、Xは召喚に成功した。この結果、XおよびYら7名全員が一時意識不明、加害者側のYら6名は重軽傷を負う事態に至り…

(ヤラせろよ。サイファーと別れたんだろ?)

 突然、誰かの声が明瞭に頭の中に響いて、皮膚がぞわりと粟立つ。
 残虐な遊びの興奮にギラギラした幾つもの白眼が、照明を絞った薄闇のなかで白く浮き上がる。

 そう、あれは…過去の訓練施設だ。あの日、施設は閉鎖されていた。圧倒的なリアリティで再現される過去に、意識を奪われる。

 その午後、俺はサイファーを探していた。
 どうしても、謝らなくちゃいけないことがあったんだ。
 施設の入り口には、調整中の表示が出ていた。
 訓練用モンスターをいったん収容し、設備の改修を行うと、事務局から事前にアナウンスされていた。それなのに、扉を開けて施設内に踏み込んだのは、中に彼が居ると聞かされたからだ。
 だが、サイファーは居なかった。
 植栽の間に目を凝らし、辺りを探しながら進んでいくと、奥の突き当たりに人影があった。
 男子生徒がたむろしている、その中心に、あの嫌な転校生がいた。遠くからこちらを窺う目が、嬉しげに細められる…まるで、待ち構えていた獲物を見つけたように。
 罠だ。
 直感して振り向くが遅く、すでに後ろに二人が回りこんでいた。
(立ち入り禁止区域にようこそ、スコールくん)
 気色悪い猫撫で声に、神経がざわつく。
 正面に向き直り、一歩ずつ間合いを詰めて来る声の主を睨みつける。相手は大柄なデュエリストで、間抜けな俺は丸腰のガンブレード使いだ。
 全部で6人、と把握した敵の作る輪が狭まる。情勢は圧倒的に不利だった。隙を突いて逃れようと試みたが失敗し、よってたかってその場に引き倒された。頭上で口々に怒鳴る声が混ざり、背中に地面の小石が鋭く食い込む。
 湿った草の匂い、高い天井に並ぶ丸いライトパネル、それを遮って覆いかぶさって来る黒い影――。
(なあ、ヤラせろよ。サイファーと別れたんだろ?)
 転校生のその一言で、全身に鳥肌が立った。
 冗談じゃない。
 殴られたり、蹴られたりするだけなら、訓練と思えば耐えられる。
 だけど…そんなのは嫌だ。
 それだけは死んでも嫌だ、とはっきり思った。
(やめろ! 俺はサイファーと…そんなことしてないっ!)
 俺は喚いて、力の限り抗うが、四肢がそれぞれ一人ずつの体重で押さえつけられる。俺も相手もG.F.を付けている。俺はまだ、防御力を上げる方法を知らなかった。下手に暴れれば、自分の手足が折れるだけと知り、焦りで呼吸が苦しくなる。
(そうだな、してないんだろうな。分かるさ、この間の反応見れば)
 気味の悪い含み笑いが、逆光で暗い顔の輪のなかで広がる。
 地面に磔になった俺を、転校生がはるか上から見下ろしてくる。
(サイファーも案外オクテなんだなぁ。お前ら、ずっと部屋割一緒なんだろ?)
 はだけたシャツの裾に、ブーツのつま先を突っ込まれてまくりあげられるが、どうすることも出来ない。
(今まで二人で部屋で何してたんだよ)
(実はサイファーもやり方、知らなかったりしてな)
 誰かのおどけた嘲りに、わざとらしい笑い声が起きた。
 腹の中が煮えそうな怒りを覚える。
 大柄な転校生が腰をかがめ、ニヤニヤ笑う顔を近づけて来る。
(怒ったのか?)
 お前なんかに、サイファーの何が分かるんだ。そう思って睨みつけると、他の生徒が俺の考えを読んだようにせせら笑った。
(けどよ、サイファーのほうは、もうお前なんか関係ねえって言ってたぜ?)
(……嘘だ)
 俺は呆然として、その男子生徒を凝視した。
 くだらない嘘だと思いたかった。
(ハハッ、嘘じゃねえよ。さっき、本当にそう言ったんだ。なあ?)
 強い衝撃で、頭が痺れた。
 そうか。…そうだな。
 だから現に、俺はこんな目に遭ってるんだ。
 生意気な俺が今まで無事だったのは、こいつらがサイファーを恐れていたからだ。
 俺は何処まで間抜けなんだ、と気が遠くなった。サイファーには、もう俺なんかどうなろうが関係ない。
 なにも間違ってはいない。この連中の言うことを真に受けて、俺自身が、サイファーを突き離したんじゃないか…。
(なんだ、その顔。サイファーが振られたんじゃねーの? よく分かんねえなぁ、お前ら)
(ま、どっちでも俺は構わねえけど)
 気の抜けた俺の無力を確信したのか、もはや警戒する様子も無く、転校生は膝を折って俺のすぐ脇にしゃがみ込む。爛々と光る眼で俺の表情を観察しながら、忌まわしい手で剥き出しの脇腹を撫であげられる。ゾッとする感覚が背筋を走った。
 ここまで来ても、まだ信じられなかった。
 本当に…聞かされたとおりの辱めを受けるのか。あんな…
(その嫌そうな顔、たまんないな。…本当に良く出来てる)
 背けた顎を掴まれ、薄気味悪く両目を細めた顔に無理やり向き合わされる。
 これから起こる、おぞましいことをサイファーに知られたら…
 いや、それさえも…もうサイファーには関係ないことなのか。
 そう思うと、絶望で何も見えなくなった。目に映ってはいたが、意味の無い景色だった。
 俺はきっと耐えられない。…耐えられなければ……どうなる?
 そのときだった。

(……?)

 誰かが俺を呼んだ。その呼び声は鼓膜も通さず、意識に直接響いた。
 心を閉ざしかけていた俺は、ハッとなった。
 その呼びかけに、言葉は無い。それでも、頭に広がるイメージの清らかさで分かった。
 今のは、シヴァだ。
 ジャンクションしている彼女が、初めて俺を呼んだんだ。
 俺はぎゅうと目をつぶって結合に集中し、シヴァに向かって意識の限りで声無く叫んだ。

(!!!!!)

 俺の必死の呼びかけに、シヴァはすぐさま応えた。
 次の瞬間、頭上で白いフラッシュが弾けた。
 辺りの何もかもが、消し飛ぶほどのまばゆい閃光。

(ぎゃあっ!!)
 獣じみた叫び声があがる。
 網膜を焼かれたのだろう、圧倒的な光は、瞼を閉じていた俺でさえ、眼に痛く眩しかった。
(うわっ!! 何だよ、これ!?)
 一拍置いて、上から突風が吹きつけてきた。
 うっすらと目を開けると、視界は白かった。…雪だ。
 ひいいいっ、と誰かの喉から笛に似た甲高い音が抜けた。
 俺にのしかかっていた生徒の肩越しに、人間のものではない、青白く透きとおった腕のかたちだけが見えた。
(うわっ、よせっ! や、やめろっ!! わあぁ!!)
 奴らは俺を放り出し、自分を抱くようにして、次々と周りの地面に倒れた。亜熱帯の気候と植栽を再現した訓練施設が、みるみるうちに雪景色に変わっていく。
 不思議と寒くなかった。
 俺は半ば朦朧としながら、周りのすべてが白く凍りついていくのに見惚れていた。
(今の光はなんだ!?)
 施設の外まで光が届いたのだろう、慌てて駆けつけて来た教師のものらしい叫び声がした。
(シヴァ! …どうして。誰が呼んだ!?)
 遮るものがなくなった視界で、彼女がゆっくりと振り返る。
 クリスタルの彫像を思わせる、冴え冴えとした美貌。
 まるで夢みたいだな、と俺は思った。
(来るな! みんな離れろ!!)
 教師が後ろに向かって怒鳴った。キャーッ、と女子生徒の悲鳴が聞こえる。
(シヴァ)
 途切れそうな意識の中で呼ぶと、シヴァはこちらに注意を戻した。せめて身体を起こしたかったが、神経が切れてしまったように動かせない…。仕方なく俺は地べたに横たわったまま、彼女に呼びかけた。
(もういい…ありがとう。助かった)
 感謝が伝わったのか、完璧な造形の唇が、少しだけ微笑んだ気がした。
 シヴァはその右腕を、俺の方に伸ばした。ヴェールのようにまとった冷気のなかで、氷の結晶がキラキラと光っている…。
 クリスタルの指先が近づいてくる。
 恐怖は感じなかった。ただただ美しかった。
 彼女は俺の味方だと、すでに分かっていた。
 呼び方も知らない俺に、シヴァは向こうから、この手を差し伸べてくれたんだ。
(……)
 シヴァが何か言った。俺は黙って頷いた。
 つめたい指先は俺の頬をひんやりと撫でて、宙に消えた。

「…そうだ」
 俺は一人きりの書庫で呟いた。
 出し抜けに始まった記憶の再生は突然途切れ、俺の意識は埃臭い書架に戻って来た。
 そうだ。忘れていた。
 あの日俺はシヴァを召喚して、もう顔もおぼろげだが、男子生徒6人を病院送りにした。そのうちの5人は、確かその時点でガーデンを自主的に辞めた。
 熱烈なSeeD志願者だったあの転校生だけは、処分が明けた後もガーデンに留まった。俺とは別のクラスに組み替えられたが、深々と植え付けられたG.F.への恐怖心はとうとう消えなかったらしく、やがて姿が見えなくなった…。
 押し寄せた記憶の奔流の余韻で、すうっと、頭の後ろのほうに血が引っ張られる。
「あ…」
 まずいな、と思ったときには、もう膝が折れて、俺は書庫の汚い床に崩れ落ちた。初めてシヴァを呼んだあのときもそうだった。こんなふうに俺は意識を無くした。
 床が冷たい。…誰か呼ぼうにも、こんなところじゃ、誰も通りがからない。
 またキスティスに怒られるな…。
 俺は為す術もなく、ひたひたと闇が押し寄せてくる、その波に呑まれた。

 * * * * *

 スコール! スコール! 居ねえのかぁ?
 遠いような近いような…声がする。…サイファーの声だ。
 今朝、シャワールームで同じように呼ばれたのが、百年も昔のことのようだ。
 懐かしさに、胸が締めつけられる気がした。
「おい、聞こえねーのか!?」
 突然、声が近くなった。
 彼のブーツが床を踏む振動が伝わって、すぐ側まで来ていることが分かる。
「…スコール?」
 頭上に、しゃがみ込む気配がする。閉じた瞼のあたりに視線を感じる…。
 手首を取られる。
 脈を看たのだろう、サイファーはしばらくしてその手を離した。
 床と身体の間に彼の腕が滑り込んできて、ゆっくりと抱きあげられる。
 いつもの俺なら、考えるまでもなく目を開けて「下ろせ」と言っただろう。
 だが、そうしたくなかった。
 身体に力が入らない…それ以上に、気持ちのほうが参っていた。
 …夢の俺の感情が、まだ俺の中に色濃く残っている。
 サイファーが、自分を探しに来てくれた…、今の俺にはそれが、心に染みて嬉しかった。
 目を開けたら、「下ろしてくれ」と言わなくちゃいけない…。
 サイファーの腕が、俺の身体を安定させようと、角度を変え、しっかりと抱え直す。
 こんなのは卑怯かもしれない。
 そう思いながら温かい肩に凭れ、目を閉じているうちに、俺はまた眠ってしまった。



 2014.07.19 / Time after Time 4 / to be continued …