今日、恒例の寮の部屋替の発表があったけれど、俺とサイファーは引き続き同室に割り当てられた。教官も、サイファーが誰かと揉め事を起こすぐらいなら、初めから俺とセットにしておいたほうがいいと判断したんだろう。もう二年近く変わらない部屋割は他に例が無く、いったいいつまで続くのか分からない。
サイファーは嬉しそうに「また俺と一緒で良かったな、スコール」なんて言っている。実際俺は人見知りだし、付き合いも苦手だから、助かるには助かる。だけど…
「なあ、お前、ホントにリボルバーにすんのかよ」
「…そのつもりだ」
サイファーが、背後のベッドから立ち上がる気配がする。
「あんなの、めんどくせーのに」
「…俺には、そのほうがしっくりくるから」
机に向かっている俺の後ろから、サイファーが腕を回して、ぎゅっと抱きしめてくる。
…こんな関係になったのは、同室が長過ぎたからだと思う。
好きだと言われてキスされて、すんなりこういう仲になったわけではなく、俺は、長い間悩んだ。
初めは、サイファーの気の迷いだとしか思えなかった。
部屋割が変われば、彼の興味も他に移るんじゃないかと密かに期待していたが、別の部屋に割り当てられても、結局は何かトラブルが起き、俺たちは同じ部屋に戻ることになった。
…抱きしめられて、嫌な気はしない。
サイファーにそうされると、胸の辺りがじんわり温かくなる。
俺は…たぶん、本当は嬉しいんだと思う。
だけど、そう思う自分で良いのか、漠然と不安になる…。
「ま、すっかり俺と一緒じゃつまんねえか。どっちにしろ、お前、もうちょっと腕力つけねえとな」
俺より力があると思って、すぐ威張るんだ。小さい頃からそうだけど。
「…スコール、」
その呼び方でキスされると分かって、俺は緊張する。
顎にサイファーの指が掛かって振り向かされると、予想通りに彼の顔が近づいてくる。
数えきれないほどしているはずなのに、俺はどうしても、この一連の流れに慣れることが出来ない。正面から真っ直ぐに見つめられるのが苦しくて、俺は目を閉じる。
唇が触れ合えば普通、キスは終わりだと思うのに、離れようとしても、頬に掛かったサイファーの手が離してくれない…。
「サイファー、長い」
「別にいいだろ。なにも、窒息するわけじゃねーし」
やっと解放された俺が文句を付けると、サイファーはムッとして口を尖らせる。
「でも…なんか…」
「なんだよ?」
それでも一応、俺の言い分も気になるのか、サイファーは俯く俺の顔を覗き込んでくる。
「なんか…変な気分になるから、嫌だ」
上手く説明出来ずにそう言うと、サイファーは一瞬ぽかんとした後、「お前、可愛いこと言うなよ」と笑い出した。
サイファーは上機嫌だが、俺は…穏やかな気分では居られない。
このところサイファーは急に大人びて、どんどん男っぽくなってきた。俺はそれを見て、ただでさえ置いていかれたような気がしてるのに、「可愛い」なんて笑われると、どうしたってモヤモヤする。
サイファーだけじゃない。昔からいろんな人に、ときどきからかわれることがある。「スコールって女みたいな顔してる」って…俺はその一言が、すごく嫌いだ。
* * * * *
薄闇のなか、俺は暗澹たる気持ちで半身を起こした。
時刻は0458。
アラームはまだ鳴っていないが、もう、呪わしいベッドに横たわる気になれなかった。
これで3回目だ。…どう考えてもおかしい。
深いため息をついて上掛けを退け、スリッパに素足を突っ込む。
こんなにも、そっくり同じ設定の夢が破綻無く続くのは、あきらかに異常だと思う。
しかも、いちいち無駄に生々しい。
サイファーの腕に強く抱きしめられた痛み、微かな汗の匂いや、鼻息が頬に当たって少しくすぐったかったことまで覚えているというのは…単なる夢にしては、妙に描写が細か過ぎる。
どうせ眠れないなら、早くシャワーを浴びてベタつく身体を洗ってしまおうと、俺はクロゼットの中から着替えを取り出す。寝室のドアを開け、まだ真っ暗なリビングを抜けて浴室に向かった。
のろのろと着衣を脱ぎ、シャワールームの床に立つ。給水のコックを捻ると、温水が降り注いで、肌にこびりついた寝汗が流れて落ちていく。床を打つ水音を聴きながら、俺は覚悟を決めて、あの夢のことを考える。
1回目のときは、おかしな夢だと思った。
2回目のときは…もしかすると、と思わないでもなかったが、あえて意識から消去してしまった。
しかし3回目ともなると、嫌でも、ある可能性について疑わざるを得ない。
魔女戦争が終わった後で、一度記憶を整理しようと、思い出した過去を書き出してみたことがある。
時系列順に出来事を並べると、中等部時代だけが、ぽっかりと空白になった。G.F.のジャンクションを始めた頃だから、副作用が重いのだろう、と俺は推測し、その時期のことについては、一生忘れたままになるのだろうと思っていた。夢の中の俺は、ガンブレを選んでいた…。時期的にはぴったり合う。
…そうなんだろうか。
なんのためらいもなく俺を抱き寄せる、夢のサイファーの仕草を思い出す。あの恐ろしい夢は…失われていた、俺の「記憶」なんだろうか。
俺は目を閉じた。
まさか、そんな…。やめてくれ。
温水に打たれているのに、背筋に寒気が走った。
だって…それじゃ、俺はサイファーと…本当に、あんな関係だったのか…?
夢に現れるサイファーは、どうも、俺をひどく…好いているらしい。夢の俺の方も、悩んではいるけれど、問われればしぶしぶ「好きだ」と答えていた…。
…ウソだろう。
俺は、恋愛なんか、ずっと縁無く過ごしてきたつもりだった。
リノアとしたのがファーストキスだと思ってたのに…あんなふうに、毎日誰かと唇を合わせてたなんて。
さらに、相手が男で。
しかも、まさかのサイファーだなんて…、冗談にしたって、性質が悪すぎる。
信じたくない…いや、到底信じられない。
サイファーのキスを待って、素直に目を閉じていた夢の中の自分を思い出すと、頭を掻きむしりたくなってくる…。
俺は大きく息をつき、心を鎮めようと、コックを捻って水流を強める。ついでに何か作業をしようと思い付き、シャワーの角度を変えて身体にだけ湯が当たるように調節し、シャンプーを手にとって髪を泡立てつつ、この問題をどうにか軟着陸させようと強引に思考をまとめ始める。
だいたい、仮にだ…仮に、あれが過去の事実だとしても、今さら思い出してどうなる。
どうしたくもないし、どうしようもないだろう。
俺もサイファーも、この数年ですっかり変わった。
もう、あの夢に出てくるような子どもじゃない。
昔はさんざんからかわれたが、今の俺を見て「可愛い」なんて言うのは、魔女のリノアぐらいだ。
サイファーの方だってとっくに忘れて…、と、そこまで考えたところで、不意にひとつの疑問が浮かび、ぎくりと身体が強張った。
もしかして、サイファーは…あれを覚えているんじゃないだろうな?
顔から血の気が引くのが分かった。
それは無いだろう、そう思おうとしても眩暈がして、俺は裸でパネルの床にしゃがみ込んだ。頭上から注がれる水流が、まだ途中のシャンプーの泡を流し、排水溝に渦を巻いて落ちていくのを意味無く見つめる。
そうだったら……どうしよう。
いや、あり得ない。そんなはずはない。
必死に否定してみても、俺は、どうしたって客観的な自分を捨てきれない人間だ。
結論から言えば…可能性は、ゼロじゃない。
サイファーは、あの戦争の前から俺のことを知っていた。
もちろん俺だってサイファーのことを知ってはいたが…いったいどのぐらいのことを知っていただろう?
(俺は魔女の騎士になったんだぞ。ガキの頃からの夢だったぜ)
かつてサイファーは、それがいかにも重要なことかのように、俺に得意げな顔を向けた。キスティスでも、ゼルでも、…リノアでもなく、サイファーはいつも俺を見ていた。
どうしてサイファーがあんなに俺に執着してくるのか、不思議に思ったことが無いでもない。しかし、俺は…勝手に、サイファーは俺をライバル視しているのだと考えていた。もちろん、今となっては、俺はサイファーと互角に戦うだけの実力を付けている。だが、やりあってもほとんど勝てなかった頃から、俺はそう思っていた。皆が「いじめ」だという例の執拗な手合わせも、俺だけは訓練だと言い張り、サイファーは俺のガンブレード使いとしての腕前を気にしているんだ、そう決め込んでいたのに。
もしかして、ぜんぶ、俺の勘違いだったんだろうか…。
急にとてつもなく恥ずかしい人間になった気がして、俺はシャワーの下で頭を抱えた。
自分で立てた仮説に打ちのめされ、目の前が暗くなる。
こんな状態でサイファーと会って、普通の顔が出来るだろうか…?
上司で監視官の俺に逃げ場は無い。執務室でも、部屋でも、顔を合わせなくちゃならない。…どうして今になって突然、こんな夢を見始めてしまったんだろう。
「おい、スコール!」
出し抜けに扉の外から怒鳴り声がして、心臓が止まるかと思った。
「スコール、そこに居んのか!?」
シャワーの水音のせいで、全く気づかなかった。今にもドアを開けそうな勢いの相手に、俺は慌てて叫び返す。
「居る! …何か用か」
急いで立ちあがり、シャワーのコックを締めた。ざあざあ音を立てていた水流が止まって、サイファーの声がクリアに聞こえた。
「用じゃねーけど、いい加減出ろよ。長過ぎんだろ」
「ああ…」
もうそんな時間なのか。
確かに、シャワーを当て続けていた皮膚が痺れていた。
サイファーの気配が遠ざかるのを待って、俺は脱衣所に出て、タオルで身体の水気を拭いた。拭いてしまってから、洗髪が途中だったことに気付いたが、もうやり直す気力もなかった。
「こんな朝っぱらから水ごりか? いったい何時からシャワー浴びてたんだよ」
服を着てリビングに出ると、さっそくサイファーが小言をぶつけて来た。
「…少しぼうっとしてただけだ」
ぼそぼそ弁解しつつ、俺は出来るだけ彼のほうを見ないようにして、リビングを横切る。
「ぜんぜん出て来ねえから、中で死んでんのかと思ったぜ」
そう言いながら、サイファーがカウンターの上に俺の分まで皿を並べかけているのに気付き、俺はますます気まずくなった。
「悪い。朝食は要らない」
「ああ? 何だよ、もうお前の分の卵、焼いちまったのに」
サイファーが不満そうな声を上げるのが、実に耳に痛い。
「済まない。帰ってから食べるから。…今日はもうすぐ出る」
「おい、待てよ!」
サイファーの制止を無視して自室へ逃げ込み、思わず大きくため息をついた。
閉めた扉の向こうから、乱暴に食器を重ねる音がしている。
あれは…相当怒ってるな。
気を悪くさせてしまったのは分かるが…今の俺は、とてもサイファーの隣に座ってオムレツなんか食べられる気がしない。
これから…どうすればいいんだろう。
俺は途方に暮れて自問した。
何もなかった、思い出さなかったような顔をして、今まで通りやっていけるんだろうか…?
ベッドに腰掛けて、履きなれたブーツを履く。
ガンブレードのケースを開け、そこにライオンハートがいつもどおりに在ることを確かめる…
表面上は、何も変わりない。
昨日の朝と同じ支度なのに、まるで道に迷ったときのように、確信が持てない。
ガンブレのケースを閉じて、ベッドから立ち上がる。
そうだ、まだあれが事実と決まったわけじゃない、と俺は思う。
俺が無意識に創り出した、ただの長すぎる夢なのかもしれない。
それはそれでまた大いに問題ありな気もするが…それなら、俺の頭の中だけの問題だ。とりあえず、今日の仕事が終わったら、昔の記録を探してみよう。こんな状態じゃ、いつまで経っても安眠できそうにない。
我ながら姑息だとは思ったが、サイファーがシャワールームに入った隙を見計らって部屋を出た。
当のサイファーに直接訊くのが一番早いのは分かってる、しかし、それだけは絶対に避けたかった。
2014.07.06 / Time after Time 3 / to be continued …