Time after Time 2 : Squall


 年少クラスの四人部屋から卒業して、二段ベッドの相部屋に昇格すると、サイファーはルームメイトと決まって衝突するようになった。俺は俺で、滅多に口をきかない愛想の無さから、好き好んで同室になりたがる奴は居なかった。
 寮担当の教官達は、サイファーや俺みたいな問題物件を、どの生徒に押し付けるかで頭を悩ませた。しかしあるとき、上手くいくはずもないように見えたふたりを組み合わせてみたところ、特に表立った問題が起きなかったので、良い厄介払いとばかりに、彼らはしばしば俺たちを同じ部屋へ押し込んだ。
 サイファーと俺は、もちろん、最初から友好的な関係だったわけじゃない。理不尽な理由で絡まれて、喧嘩になることだってしょっちゅうあったが、俺が他の奴らのように教師に泣きつかなかったので、「問題なし」と見なされただけだ。
 けれど、ふたりで過ごす時間が経つにつれて、サイファーは少しずつ変わっていった。初めは自分より要領の悪い俺を笑っていたのに、ずっと見ているうちにイライラしてきたのか、あれこれ俺に指図するようになった。それはそれでうるさかったが、俺は合理的だと思えば、その指図を受け入れた。その結果、攻撃のミスが減ったり、ブレードが上手に磨けるようになったりすると、サイファーは「俺の指導がいいからだな」などと喜び、いつの間にか険悪な空気は無くなっていった。
 いったん親しくなると、遠慮のないサイファーは俺の手を引いて訓練に誘い、機嫌がいいと強引に肩を組んできたりした。そこまでならともかく、ふたりきりの部屋で後ろから抱きつかれたり、意味無く髪を触られたりするようになってくると、人間関係全般に疎い俺でも、流石に疑問を覚え始めた。
 …これはいささか、「友好的」の範囲を超えているんじゃないだろうか。
 俺がようやく「どうもおかしい」と問題意識を持ち始めたある晩に、とうとうサイファーは、深刻な面持ちで俺に「好きだ」なんて言ってきた。そのときデスクチェアに座っていた俺は、目の前に立つ彼の思い詰めた顔を、まじまじと見返した。
 まさか、という驚きと、どうして、という疑問と、やっぱりそうなのか、という矛盾した思いが混じり合い、頭がぼうっとなった。
 サイファーに常識はずれなところがあるのは、昔から知っていた。けれど、それがこんなかたちで自分に向かってくるとは…。
 本当は、そこでもっときっぱり断らなきゃいけなかったんだと思う。
 俺は困って、「サイファー、…俺、男だけど」と根本的な問題を指摘してみたが、「何言ってんだお前。そんな当たり前のこと、知ってるに決まってんだろ」と呆れたみたいな返事が返って来るだけだった。
「なあ、お前は?」
「え?」
 熱っぽい眼差しで正面から訊かれて、戸惑った。
「…俺のこと、嫌いか?」
 サイファーの顔が曇る。見たことが無い、不安そうな表情。
 サイファーは、本当に俺が好きなんだ…そう実感すると、それはすごく変な気分だった。
 見当違いの褒められ方をしたときのように気まずく、胸の中がざわざわして…どうしたらいいのか分からない俺は、視線を床のあたりにさ迷わせた。
 俺はもともと、過剰なスキンシップは苦手なほうだ。
 もしも嫌いな相手だったら、何が何でも拒んでいただろう。
 ちょっと迷惑そうにするぐらいで済ませてきたのは、相手がサイファーだったからだ。
「嫌いってわけじゃないけど…」
 困惑して曖昧に答えると、サイファーは「じゃ、いいよな!」と怒ったふうな顔をして俺の両肩を掴み、いきなり唇を重ねてきた。
 それが、初めてのキスだった。
 いいよな、も何もない。
 俺はまだ12歳で、目をつぶることさえ出来なかった。ほとんど事故に遭ったようだった。

* * * * *

 夜更けに目が覚めてしまい、それから一睡も出来なかった。
 じりじりと時間だけが過ぎていき、辺りが明るくなってきて、俺は眠るのをあきらめた。
 やがて隣のリビングにサイファーが起きてきて、湯を沸かし始める気配がした。
 あんな夢を見てしまった後で顔を合わせるのは気まずかったが、本物のサイファーをこの目で確かめた方が、早くあの悪夢を忘れられる気もして、俺はベッドから起き上がり、リビングのドアを開けた。
「どうした。やけに早ええな」
 俺がよろよろと姿を現すと、問題の男がキッチンカウンターの向こうから、驚いたように顔を上げる。
「…眠れなくて」
 俺はこめかみを揉みながら、ため息を吐いてカウンターに座った。
「何だ、悩み事か? 今、そんなやっかいな案件あったか?」
「…良く分からないんだ」
 俺の前にコーヒーを置いたサイファーは、自分のマグカップを片手にパンを焼き始めた。金色の短い髪はまだセットされておらず、夜の間に伸びた髭もそのままだ。首も腕も、あの夢の中の生徒よりもずっと太くなっている…。
「なんだよ、お前。人のことじろじろ見て…何か文句でもあんのか?」
 俺の視線が気になるのか、サイファーは怪訝そうにカウンターの向こうから見下ろして来た。
「いや、…何でもない」
 そうだ。これが現実のサイファーだ。俺と目が合ったって、あんな切羽詰まった目で見つめてきたりしない…。
 俺は目の前の「まとも」なサイファーに安堵を覚えながら、コーヒーを啜った。
 けれど、あの変な夢のおかげで、気付いたこともある。俺はサイファーの淹れてくれたコーヒーをもう一口飲んで、彼が俺の分のトーストも焼いてくれるのをぼんやりと眺める。いつの間にかそれが当たり前のように受け入れている自分を…昨日まで不思議だとも思わなかった。
「ほれ。メシぐらいちゃんと食えよ」
 サイファーはパン皿を俺の前に置いてから、隣に座り、自分のトーストに噛みついた。…思えば、俺は周りの人間が何を考えて暮らしているのか、あまり真剣に考えたことが無い。
 なかでもサイファーという男は、共感できる部分と出来ない部分の差が激しく、俺の理解を超えた行動については、「サイファーはサイファーだから」で済ませてきた。
「ところで、お前…ありゃ何だ?」
 そう言ってサイファーが指差したのは、カウンターの隅に置かれた、一冊の本だ。
 深い緑色の表紙のハードカバー。
「ああ…エルから送って欲しいってメールが来て、買ったんだ」
 本のタイトルは「魔女の騎士」。昔、ラグナが出演したあの映画の原作だ。エスタでは、なかなか手に入らないらしい。昨夜、カウンターに置きっぱなしにして、すっかり忘れていた…。
「送んねーのか?」
「特に急がないってメールに書いてあったから、送る前に読んでみるつもりだ」
「…お前、小説なんか読まねえだろ」
 サイファーは驚いたように、サーバーから二杯めのコーヒーを注ぐ手を止めて俺を見た。
 彼の言うとおりで、いつからか、俺はあまり「物語」というものを読まない。同じ時間を使って読むなら、実用書を読むほうが有意義だと思っていたし、俺はフィクションに感情移入することに対して、どうも苦手意識がある。
 だが、この緑色の本を手に取ったとき、珍しく心惹かれた。
 ぱらぱらと本文をめくってみると、内容は児童書と一般小説の中間ぐらいの密度で、これなら自分でも読み終えることが出来そうに見えた。
「たまにはいいかと思って。あのフィルムは何度も見たはずなのに、未だにどんな話か知らないんだ」
 俺がそう答えると、何故かサイファーは眉をしかめた。
「やめとけよ。…つまんねえ話だ」
「そうなのか? …そう言えば、あんたは『魔女の騎士』、覚えてたんだっけな」
 そう答えながら、不思議に思った。
 …あんたは、あの話が好きだったんじゃないのか?
「…昔、その本も読んだしな。…でも、もうよく覚えてねーよ」
 目を伏せて、サイファーは実際つまらなさそうに言った。
 覚えていないのに、つまらないというのは妙な話だ。
 だが、詮索するのはやめにした。
 今のサイファーにとって、「魔女の騎士」の物語は、忌まわしい思い出なのかもしれない。アルティミシアは、あのフィルムの魔女とはあまりにも違っていた。彼女本来の騎士とはぐれてから、既に気の遠くなるほどの孤独を経た、救いようのない女だった…。
 サイファーは、急に無口になった。
 …失敗したな。
 俺は苦い気持ちになって、その本をサイファーに見えないように、反対側の椅子の上に下ろした。
 名目上の立場とはいえ、俺は一応、サイファーの更生を見守る監視官ということになっている。無神経にこんな物を、目に付くところに放置するべきじゃなかった。
 結局、俺はその本を読む気を失くして、そのままエスタへ送る手配をした。



 2014.06.29 / Time after Time : 2 / to be continued …