Time after Time 1 : Squall


 食堂から寮に帰って来て、相部屋のドアを閉めるとすぐに、待ち構えていたサイファーに捕まった。
「遅かったじゃねえか。食堂で何かあったのか?」
「別に。何でもない」
 目を伏せて短く答えると、サイファーは「本当だろうな?」となおも重ねて問い詰めて来る。実を言うと、廊下でまた嫌な連中に絡まれかけたけど、俺は無視してまっすぐ帰ってきた。それがサイファーにバレると、また面倒なことになる。
「本当だ。サイファー、心配しすぎ」
 ならいいけどよ、とサイファーは一応納得したようで、けれど、すぐには解放してくれない。
「スコール。俺のこと、好きか?」
 扉と二本の腕で俺を閉じ込めるようにして身体を寄せ、いつも通りに訊いてくる。
「……好きだけど。…毎日言わなくたっていいだろ、そんなこと」
 無駄な抵抗と分かっているが、俺はどうしても気恥ずかしくて、小さな声で文句を付けた。
 いちいち言わされるのが嫌で、何とかはぐらかそうとしたこともある。しかし、サイファーはとにかくしつこい。俺が「好きだ」って言うまでは納得しない。
 そのうえ、このところサイファーはどんどん身長が伸びている。同じように鍛えているつもりでも、筋肉の付き方も明らかに違い、捕まって力勝負になると敵わない。
「いいじゃねーか、俺は毎日聞きてーんだから」
 サイファーは機嫌良くそう言って、俺の顎をすくって上向かせ、当然のように顔を寄せてくる。それは既に習慣と化していて、彼の顔が近づくと、俺は覚悟して目を閉じ、唇が重なるのを待つ。
 だけど、そのたびに(こんなことしていいんだろうか)と思う。
 もちろん、こうしてキスしていることは、ふたりだけの秘密だ。
 サイファーの手のひらが、俺の後ろ頭を抱く。
 同時に、俺の唇にゆっくりと押し付けられる、柔らかく温かな彼の唇…その心地よさが、俺にはひどく後ろめたい。
 左手に持っていた読みかけの本が滑り落ちそうになって、俺は緑色の表紙を掴む指に力を込める。多分、本当はしちゃいけないことなんだって、日に日に胸が疼く。
 …こんなこと、誰にも言えない。

* * * * *

 瞼のうちに、消えていく残像を追いかけていた。
 頬に枕の肌触りを感じる。
 ああ、俺は夢を見ていたんだ。ずいぶん昔の…中等部の頃の夢みたいだった。
 遠くで何かが鳴っている。チャイムだ。…喉が渇いた。額の上を風が通っていく。
 瞼を持ち上げると、揺らめくカーテンのベージュと、パネルを組み合わせた天井の白が見えた。
 ベッドサイドに誰かが居る。
 さっき夢でキスした相手の顔が、ふわりと意識に浮かぶ。
 眩しさに瞬きして眼をこらすと、あの少年では無く、短髪の男が不機嫌そうな表情で見下ろしていた。
 ……いや、違う、と俺は気づく。
 さらにふてぶてしく成長しているが…そこに居るのは、やはりサイファーだ。夢の中の彼には無かった長い傷跡が、眉間に走っている。その傷跡をぼんやりと目で追い、高い鼻筋を通って、唇に視線が辿りつく。夢で触れ合った感触が、俺の唇に蘇るのと同時に、その唇が動いた。

「スコール…お前、起きてんのか? 目え開けたまま寝てんのか?」

 はっと我に返った。
 不審そうなその顔が近づき、俺の脈拍が跳ねあがる。
「……っ!」
 ごんっ、と後頭部がフレームにぶつかる。鮮やかな痛みを覚えて、途端に意識がはっきりした。
 さっきまで見ていた夢の内容と…当の相手に見られている状況に狼狽するあまり、とっさに口元を押さえ、必死でサイファーから離れようとしてしまった。
「何だよ、失礼なヤツだな。せっかく付いててやったのに」
 サイファーは訳が分からねえ、という顔で俺の醜態を見下ろしている。それはそうだろう。夢のイメージを引きずって、取り乱してしまった。このサイファーが、俺にキスを迫るなんて、あるはずがないのに…。
「スコール。お前…俺が誰だか分かるか?」
 俺の様子がよほどおかしいのだろう、サイファーは案外真面目な表情で、そんなことまで聞いてくる。
「…嫌でも分かるに決まってるだろ」
 その額の目立つ傷跡は、俺がお返しに付けてやったんだ。忘れるわけがない。
「なんで、あんたが居るんだ?」
 相部屋の自室ならまだ分かるが、ここは保健室だ。
「ひでえ言われようだな。カドワキに頼まれたんだよ。お前の番してろって」
 むっと眉間に皺を寄せて答えるサイファーを見て、ようやく俺も落ち着いてきた。珍しくも何ともない、執務室や、部屋で見るのと同じ…少年と言うには無理のある顔だ…そうだよな、これが俺の正常な世界だ。
「それは…迷惑かけて済まなかった。もうこんな時間か。…会議、始まってるな」
 壁の時計に目をやって、俺は今日の予定を思い出す。
 昨夜は執務室で夜明かししてしまって、今朝、出勤してきたキスティスに保健室行きを命じられた。少し仮眠を取るだけのつもりだったのに、知らない間に過労の診断が下ったらしい。
「センセから、お前、欠席でいいって伝言。今日は大した議題もねえから、休めってよ」
 …そうだ。俺はもう、中等部の生徒なんかじゃない。この、バラムガーデンの指揮官だ。成り行き上の役職で、つねづね俺には向いてないと思っていたが、「あの夢の続きをやれ」と言われるよりはまだ、はるかに自分に向いてる気がしてきた。
「お前、顔赤いぜ? ホントに大丈夫か?」
 まだ心臓がドキドキしている…さっきの夢は何だったんだろう?
 潜在的な願望? まさか。自分のなかに、あんな発想があったこと自体が信じられない…。
「なんでもない。…熱があるのかもしれない」
 なんでもないのに、なんでもない態度には見えないだろうと思い、俺は適当な説明を付け加えた。
「どっちだよ。お前、マジでヘンだぜ? 熱、測ってみろよ」
 サイファーは俺の妙な返答にますます顔をしかめ、勝手知ったる棚の扉を開け、体温計を取り出す。
「ほら」
「……」
 突きつけられて断るわけにもいかず、俺は大人しくそれを脇の下に挟む。ひやりとする感触。
「そういやお前、最近ちょっと体調おかしいよな」
「…悪いってほどじゃない」
 確かに、少し不安定な感じはする…シヴァを手放したあたりからだ。認識全般にかすかな違和感がある、けれど、業務に差し支えるほどじゃない。ましてや今日の不調は単に夢見が悪かっただけなのに…こうも面倒を掛けるとは。
 情けない気分で待っていると、ぴぴっ、とアラームが鳴った。
 当然、デジタルの表示は平熱だ。
「どうだ?」
 腕組みして見張っていたサイファーが、俺にも見せろ、と広げた手を突き出してくる。
「見ての通りだ。何とも無い。…会議に出る」
 …そこまで心配してくれなくてもいいのに。
 普段なら、気にも留めないサイファーの態度のひとつひとつが、妙に気になる。
 サイファーが俺に絡むのはいつものことだ。
 いつもの俺が、それを特に意識していなかっただけ…
「馬鹿言うな。資料だけもらってきてやるから、部屋に帰って休めよ。お前…まだ、顔赤いし」
 数字誤魔化してねーだろうな?と疑うサイファーから視線を外し、俺は平静を装う。
 あんたが居なくなれば治る、とも言えない。
「大丈夫だ。…多分、おかしな夢のせいだ」
 これ以上黙っているのも気が引けて、俺は、本当の理由を白状した。
「夢?」
 サイファーが怪訝そうに訊き返す。
 俺は夢も見ないと思われてるのか。
「ああ…悪夢だった」
 内容を訊かれたら…良く覚えていないと言えばいい、そう思いながらベッドから降りると、意外な言葉が返って来た。
「へえ、そうか? その割にゃ、とろんとした顔して寝てたけどな」
(な…、)
 その表現に、カッと脳が焼けつくような羞恥を覚えた。
 変な顔見るなよ! と抗議しそうになって、どうにか思いとどまる。寝顔を見るな、なんて、自意識過剰な女子じゃあるまいし…今さらサイファー相手に言うことか。
「なんか、いい夢見てんのかと思ったぜ」
 体温計を仕舞うサイファーは、俺の動揺に気づかず、気安くそう続けて棚の扉を閉じた。
「じゃ、カドワキには俺から報告入れとくからな」
 シャツの皺を直すふりをして顔を伏せ、「ああ、頼む」とだけ答えると、サイファーは「部屋に戻れよ」と念を押し、先に出て行った。
 ひとりになって、熱っぽい頬のあたりを手で擦った。俺は…どんな顔をしていたんだろう…。

 結局、会議はサボった。
 あんな夢を見ていた顔をサイファーに見られていたショックから、しばらく立ち直れなかった。
 早く忘れてしまいたいし、早く忘れてほしい、そう思ったが、後から振り返ってみると、それは「第1回」に過ぎなかった。
 不可解な夢には続きがあり、それから毎晩のようにうなされることを、俺はまだ知らなかった。



 2014.06.21 / Time after Time : 1 / to be continued …