One and Only * 7

「言っとくが狭いぜ」
「失礼します」
「ムードの無い挨拶だな」
 玄関スペースを抜けて、居室に通される。
「冷えるけど、暖房効くまでちょっと我慢してくれよ」
「…へえ。綺麗にしてるんだな」
 モノトーンを基調にした、すっきりした部屋だった。
 黒い革張りのソファとガラスのローテーブル。
 対面式のキッチンカウンターには、バーで見かけるような高いスツールが二個。
 ダイニングがわりに使うのだろう。
 反対側にセミダブルのベッドとスタンド式のフロアランプ。
「ワンルームみたいだろ。もうひとつの部屋は仕事用にしちまってるから」
 そういって奥の扉を少し開けて、中をみせてくれた。
 PCを載せてもまだライティングスペースのある広いデスクセット。
 右側は一面本棚で、専門書や武器関係の雑誌、ファイリングされた書類が綺麗に整理されている。
 もう一方のコーナーに、工具用の本格的なスチールキャビネットが据えられ、壁には様々な武器が並べて掛けられていた。
 ガンブレード用の大きなケースも立てかけてある。
「あの中に『ハイペリオン』があるのか?」
「まあな。おっと、お前にそんなの見せてたら何にもしねえうちに夜が明けちまう。それはまた今度」
「今度?」
 ひょい、と後ろから手を伸ばされて、コートと、続けてジャケットを脱がされる。
「え、」
「ハンガーに掛けといてやるよ」
「だからって、ジャケットまでは…、俺、別に暑くないし、」
「何言ってるんだ。泊まってくんだろ?」
「…それは、その、」
 色っぽい目つきで見つめられて、心臓の動きがおかしくなる。
「スコール」
 抱きしめられる。
 ふわり、と懐かしい匂いがした。
 汗と、フレグランスのラストノートが混ざりあった、微かな甘い匂い。
 泣きたくなる。俺はこの匂いを知っている。
 シャツだけでは寒い体に、じんわり伝わってくる体温が心地よくて焦る。
「お前から、記憶を消すって聞いて、俺がどんな気分だったか分かるか?」
「サイファー…、ちょ、ちょっと待って…、」
 ともかく腕の中から逃れようと身を捩るが、抜けだせない。
「待てねえよ。いまさら逃げるのはナシだぜ」
 そのままじりじりと迫られて、背後のベッドに腰が落ちる。
「もしも会えたら殺してやりたいと思ってたときもあった。だがな…何年もするうちに、だんだんそんなこと、どうでも良くなってよ」
「サイファー、」
「会いたかったぜ。スコール」
「俺、…、」
「そんなつもり無かったって? …さんざん警告してやっただろ。分からなかったとは言わせねえ」
 手が足元に伸びてきて、ぽんぽんと手際良く靴を脱がされる。
「でも、は、話は…?」
「話すより、こっちのほうが早いって」
 そうなるだろうと思っていたはずなのに、実際に押し倒されると、頭が真っ白になった。
 お前、さみーんだろ、と言って、サイファーは重なった体を、上掛けですっぽり覆う。
 展開が早くて、思考がついていかない。
「ま、待て、シャワー、とかは…」
 広い胸を押し戻そうとするが、びくともしない。…腕に力が入らない。
「んなの、すぐにどうでも良くなるって」
「サイファー、た、頼むから待ってくれ。俺、あんたとは、さっき初めて会ったようなもんで…」
「待てねえって言っただろ。お前、俺が何年待ってたと思ってんだ。ええ?」
 サイファーが俺の首を抱え、耳元で凄んでくる。
 熱い息が耳朶にこもって、じわじわと甘い感覚に変わり始める。
「悪いとは思うけど…ほんとに、覚えてないんだ…」
「それは違うな、スコール。お前、本当はどっかで覚えてるんだ」
 サイファーが半身を起して、俺を見下ろしてくる。
「そうだろう? そうじゃなきゃ、抱かれるって分かってて、部屋になんか来ねえだろう?…こんな真似も、許せねえよな?」
「…っ、」
 シャツの中にサイファーの手が入ってきて、息を呑んだ。
 つめたい指でわき腹を撫で上げられて、ぞくりと体が震える。
 それでも彼の言うとおり、嫌なものではなかった。
「思い出させてやるよ。何にも考えないで、力抜いてろ」
 ぴ、とリモコンで電気まで消されて、のしかかる温かい重みのほか、何もわからなくなってしまう。
「それでも思い出せなきゃ、ちゃんと話してやる。一から十まで」
 常夜灯のオレンジがかった闇の中で、サイファーの声が耳元で響く。
「俺がお前をどんなふうに愛してて、お前が俺をどんなふうに愛したか」
 明らかにセクシュアルな意味合いを込めて低く囁かれ、羞恥で頬が焼けるようだ。
 あんたの方は、そういう意味で、とっくに俺を知っているんだ…。
 その手が俺のネクタイを緩めて、首元から引き抜かれる。
「…知りたいんだろ?」
 その通りだった。
 大した話はないと聞きながら、どうしても帰りたくなかった。
 もっと、この男のことが知りたかった。
 きっと俺は、本当は…忘れたくなかったんだ。
 彼と自分が、どんな記憶を共有していたのか。
 俺はそれを、取り戻したい。

 * * * * *

 それは実際、手術のようなものだった。
 研究所長と、ラボの一部のスタッフと、依頼した俺だけしか知らない、実験的な試み。
 本来は記憶障害の治療の研究をしているセクションで、逆に記憶を封印する技術が開発されたと知ったのは、偶然だった。
 同僚の恋人が、ラボの女性研究員だったのだ。
 俺は、研究所長に頼み込み、自分を被験者にしてもらった。
 当時はPTSDなどへの応用についても、まだ研究が始まったばかりの段階で、ラグナやエルには到底言えなかった。
 安全のため、作業は二回に分けて行われた。
 一回目は、一年以上前に作られた個人体験に関する回路を、活動中のエリアから切り離し、閉鎖した。
 二回目に、残った部分から、隠すべき箇所の回路を大まかに切断し、必要な部分のみを復元した。
 G.F.はジャンクションするたびに、記憶の凹凸を滑らかにしてくれた。
 傷は次第と自然な形に癒着してゆき、そのうち俺は、この作業自体を忘れた。
 計画通りだった。

 記憶を失った俺に、ラボの専属医師は、事前に打ち合わせた通りの診断を伝えた。
 このまま自然に記憶が戻るのを待つほうが良い、と消極的な姿勢を示し、もし万が一…魔女が復活するとか、どうしてもスコール・レオンハートの記憶が必要になったときは、相談に来るようにと付け加えた。
 脳が損傷を受ける確率が高いから、よほどのことでない限り無理な施術はしない、と彼は言い、俺も、ラグナに続いて俺まで身動きが取れなくなったら、エルが困るだろうと思い、その話は忘れることにした。

 5年前、エスタにて。前半作業の後。
 このときはまだ、俺の記憶の喪失は、外部には伏せられていた。
 別れた筈の男からの着信。
(よう、生きてるか?)
(…)
(かけてくるなって?)
(サイファー。俺、もうすぐ、番号変える)
(…そうかよ。新しい番号は、俺には教えねえってか)
(記憶も消す)
(…なんだって?)
(実を言うと、もう一部は消したんだ)
(お前…何を…言ってるんだ?)
(覚えていると、業務に支障が出る)
(…何を、どのぐらい忘れる気だ)
(あんたのこと、全部)
(ふざけてんのか、てめえ)
(ふざけてない。今の俺には、もう最近の記憶しかない)
(お前、嘘だろ、マジで…忘れちまったのか?)
(済まない。そうしないと…潰れそうなんだ。それじゃ、何のためにエスタに来たか分からなくなる)
(スコール)
(話すのも、これで最後だ。もうバラムには戻らない)
(…お前、最低だ)
(自分でもそう思う。赦してもらえるとは思っていない。俺のことは、見限ってくれ)
(待てよ、スコール)
(誰であろうと、俺よりはマシな筈だ)
(スコール! お前はそれでいいのかよ!?)
(これ以外に、耐えられる方法がない。まったく先が見えないんだ。
 …そもそも、あんたと付き合ったこと自体が間違いだった。巻き込んで済まなかった)
(…何だとテメエ!!)
(もう切らなきゃ。さよなら、サイファー)
(待て!待てこらスコール! スコール!)
 俺は受話器を耳に当てたまま、親指を動かして携帯の電源を切った。
 それから、愛の言葉を告げた。
 それから、その携帯電話を処分した。

 それから、どうしても捨てられなかったものだけをまとめて箱へ入れ、後日処分と蓋に記した。
 その時点で、既にほとんどのことを忘れていた。
 ただサイファーという恋人が居て、箱の中身を通じて自分と繋がっていたことは分かっていた。
 それしか覚えていないのに、片づけの間じゅうずっと、心臓が締めあげられるように痛んだ。
 最後の電話での、彼が自分の名を呼ぶ声が、耳から離れない。
 仕方ないことなんだ、と自分に言い聞かせ続けた。
 俺はラグナを護らなくてはならない。そのために、必要なことだった。
 ラグナと大喧嘩の末に勝ち取ったガードの座だったが、俺はそれでもまだ不満だった。
 俺はどちらかと言えば、自分は捜査向きだと思っていたし、警護に付いていては、せいぜい捨て駒の実行役を捕まえるのが関の山だ。
 多少危険だろうが無茶だろうが前線に立って、この案件を早く解決してしまいたかった。
 そうしてバラムに帰って、彼に会いたかった。
 だけど、もう、それもあきらめた。
 こんな状態じゃ、俺はただの役立たずだ。
 このままじゃラグナの言うとおり、俺にガードが要ることになる。
 ラグナの息子だという理由で、俺自身が標的にされているのに、別れた男に会いたくて、不眠症になって倒れるなんて…自分の弱さに吐き気がする。
 だが、これで俺は自分自身を切り捨てる覚悟が出来た。
 G.F.の暴走事故の原因は、睡眠不足とストレスだと診断される予定だ。
 誰も疑いはしないだろう。
 事実俺は睡眠不足で、ストレスに晒されていて、エデンは難しいG.F.だから。
 俺は指輪を入れた箱を、自室のクロゼットの、一番奥へ押し込んで隠した。
 当時、俺は多忙のあまり、公舎に荷物をつっこんだまま、官邸の仮眠室で暮らしていた。
 ラグナの身辺はひどく危険で、俺の余暇はせいぜい身の周りを整えるので精いっぱいだ。
 いつになるかは分からないが、自室で寝起きが出来るようになって、この荷物の整理をつける余裕が出た頃には、俺は多分…全てを忘れているだろう。



2012.1.5 / One and Only * 7 / to be continued …