One and Only * 5

 軽い前菜が済んで、メインが運ばれてきた。
「…美味しい」
 一口目を呑み込んでつぶやく。お世辞でなく、正直な感想だった。
「そうか? お前、いつももっといいもん食ってんだろ?」
「俺は公舎のほうに住んでるから、いつも大統領と一緒に食事しているわけじゃない。
 それに、官邸ではこういう料理は出て来ないんだ。…ラグナが魚も、匂いが強いものも苦手で」
 口に入れた白身魚の、バターの風味と生のハーブの香りの良さが嬉しかった。
 そうだ。俺、こういうのが好きだったような気がする。
「あの親父さん、好き嫌い多そうだもんなあ」
「やっぱり、よそから見てもそう見えるか?」
 バラムの人間から見てもバレバレなのか…。恥ずかしいな。
 こういうとき、本当にあの男と俺は血が繋がっているんだろうか、と疑いたくなる。
「まあ、そういうところが人気なんだろうがな」
「…そうかもな」
 良く言えば庶民派というか、単に子どもっぽいというか…。
 ラグナはエスタの子どもたちには、未だに絶大な人気がある。きっと友達のように思えるのだろう…。
「最近はどうだ。親父さん、まだ狙われてんのか?」
 サイファーがちぎったパンにバターを塗りながら、軽い調子で尋ねてくる。
「いや、状況は良くなった。もうそれほど危険じゃない」
 6年前、ラグナを狙ったテロが激化し、とうとう官邸の一部が爆破されるに至った。
 俺がガーデンを中退し、エスタに渡った理由はそれだった。
 ところが、ラグナは俺を対テロリストの調査チームには入れず、秘書として側に置くと言いだした。
 そのうえ、現在ラグナ付きの、特に優秀なセキュリティスタッフの何人かを、この俺のガードに回す計画と知り、目も当てられない大喧嘩になった。
 …当時は俺もまだ若かったし。
 結局エルが仲裁に入り、俺はセキュリティスタッフの一員に加わるということで落ち着いた。
 それから、ここまで漕ぎ着けるのに6年かかった。
「そうなのか。確かに、最近は物騒なニュースが減ったと思ってたが」
 サイファーは思いのほか優雅な仕草で、魚を口に運ぶ。
「今年の春、一連のテロの首謀者を捕まえたことは報道で知ってるだろう?
 あの後、残党の襲撃が数回あったけど、やり方がまるで杜撰になって」
 外向きには公表していないが、その少し前に、官邸内に潜んだ内通者を割り出している。
 そこから情報を引き出せたことが、大きな転機になった。
「ふ~ん。じゃ、ほぼ片付いたってことか?」
「幹部はほとんど確保できたし、武器の調達ルートも潰せたからな。それまではプライバシーも無いような貼り付き状態だったけど、今はこうして交替でオフも取れる」
 こんなふうに外で誰かとワインを飲むなんて、考えてみれば、エスタでは一度もしたことがない。
「その割に疲れた顔してるじゃねーか」
「…最近、良く眠れなかったんだ」
「もしかして、指輪のせいでか?」
 俺がしぶしぶ頷くと、サイファーは「そりゃ、気の毒に」と愉快そうに笑った。
 こっちは気になるんだから、早く教えてくれればいいのにと思うが、機嫌を損ねるわけにもいかない。
「それでも、やっぱり今後も護衛は必要なんだろ?」
「まあ、現職の間はな。でも、ラグナも今期を終えたら、もう引退するって明言してるし。…俺ももうすぐお役御免だ」
戦後処理もあらかた片付いたし、ガルバディアの友好的な政権も安定してきた。いい頃合いだろう。
「そうか。…良かったな」
 サイファーは、魚の身を切り分けるナイフを止めて、俺に向けて微笑んだ。
 その笑顔に驚いて、俺も手が止まってしまう。
 何故か見てはいけないものを見てしまったような気がして慌てて下を向き、ナプキンで口元を拭った。
 …そんな顔、するんだ。
 優しいって表現してもいいほど、柔らかい表情。
「お前、次期候補に担ぎ出されねえのか?」
 どうしてか必要以上にざわつく胸を宥めて顔を上げた途端、サイファーが恐ろしいことを言うので、俺は手にしていたフォークを取り落としそうになった。
「冗談じゃない。よっぽど神経が丈夫に出来てないと無理だ、あんなの」
「気をつけろよ。お前、神輿に乗っけられるまで気づかないからな」
 真顔で、さらにぞっとするような警告をしてくる。
「…昔のことは知らないが、今はそこまで鈍くない。どのみち、俺に務まるような仕事じゃない。周りも分かってるさ」
「どうだかな」
 ワイングラスを傾けながら、疑わしげな様子だ。
 …かつての俺は、それほど迂闊だったんだろうか?
「貴方…、あんたは今は、どんな風に暮らしてるんだ? ハンターをやっているとは聞いているけど」
「ああ、バラム政府から指名を受けて、地区を受け持ってる。ま、それだけじゃ食ってけねえから、
 ガーデンからときどき仕事をもらうけどな」
「ガンブレードの臨時講師か」
 キスティスが、「彼、意外と人気があるのよ」と笑っていた。…これは言わないでおこう。
「お前、まだ持ってるんだろ? ライオンハート」
「ああ、勿論。でも今の仕事は基本的に人間が相手だから、ガンブレは大袈裟すぎるんだ」
 手入れだけは欠かさずしているが、実戦で使ったことは、ここ数年で数えるほどしかない。
「そうか。…お前とも、いつかまた手合わせ出来るといいな」
 思いがけない言葉に、俺はしばらくサイファーの顔を見つめてしまった。
「…本当か? ……あんたがそんなこと言ってくれるって分かってれば持って来たのに」
「まあ、またいつか、機会があればな。俺はまだバラムから出れねえ人間だし」
「でも、いずれは解除になるだろう?」
「まーな。10年だから、まだ先だけどな。後2年と少しか」
 おかげさんで、とサイファーは軽く付け足した。
 それが社交辞令なのか、事実に基づくものなのか…記憶の無い俺には良く分からない。
「今の俺じゃ、もう敵わないだろうけど…あんたが『ハイペリオン』使うところ、見たいな」
 集めた資料の中に、その有名なガンブレードのデータもあった。
 漆黒の美しい刀身に、オートマティックの機構を備えた素晴らしいブレード。
 実を言うと、用も無いのにその部分ばかり何度も見てしまった。
 サイファー・アルマシーはその『ハイペリオン』を、片手で扱うと聞いた。
 それなのに、実際に彼がブレードを振るう映像は無くて、密かに、かなり残念に思っていたんだ。
「お前、何もかも忘れたってのに、その病気は治ってねえんだな」
 呆れたように笑われてしまった。
「…あんたと違って、周りにガンブレの話なんかする相手がいないんだ」
 まるで子どもみたいに、好きなものの話題に食い付き過ぎてしまったのが恥ずかしくなって、俺はグラスに手を伸ばして誤魔化す。
「このワイン、懐かしい味がする」
「お前、普段こんな安いワイン飲まねえからだろ」
「そうなのかな? さっぱりしていて好きな味だ」
「んじゃ、もう一本頼むか。どうせお前の」
 サイファーの言葉を引き取って、俺は笑った。
「奢りなんだろ。わかってるよ」
「お前、今日はバラムに泊まるのか?」
「いや、夜行に乗ろうと思ってる」
「…明日早番か? 間に合わねえだろ」
「そうじゃないが、つい時間が勿体なくて、移動を睡眠に当てたくなるんだ。…貧乏性だな」
「こんなところで、のんびり男とメシ食ってるのも、本当はもったいねーんだろ?」
 サイファーが軽口を叩いてくるけど…それがそうでもないから、自分でも驚いてる。
 それに、今日の俺、ずいぶん喋ってないか? ガンブレの話題を差し引いたとしても饒舌だ。
 そんなに酔ってるわけでもないのに。

「お前、実際のところ、どのぐらい記憶が無いんだ?」
 サイファーが俺のグラスに、ワインを注ぎ足してくれる。
 わずかに金色がかった液体がグラスに満ちるのを見ながら、俺は気まずい質問に答えた。
「会ってわかったと思うけど…エスタに渡る前の部分は、ほとんど失くしてしまったんだ」
「お前、それで生活に支障ねえのか?」
「仕事の内容や、昔勉強したこととかは残ってるから。
 でも、いつ、どうやってそれを知ったのかがわからない。個人的な体験の記憶だけが飛んでしまって」
 過去は俺の脳の何処かに、データとして存在しているのに、それが取り出せない。
 エデンを酷使して、暴走させたのは俺なのだから、仕方がないことなのだけれど。
 その反省から、G.F.の使用は最低限に絞るよう心がけている。
 バラムは比較的安全なエリアだから、今もジャンクションはしていない。
 胸に提げたロケットの中に、美しい石のかたちになったエデンが入っている。
「そうか。じゃあ、本当に何にも覚えてねーんだな。あの戦争のことも」
「記録は読んだけど…実体験としての記憶は無い」
「薄情な奴だな。何度も何度も、死に物狂いで決闘したっていうのによ」
 サイファーは目を伏せ、グラスをもてあそびながら、つまらなそうにため息をついた。
「…あんたには失礼な話だな。申し訳ない」
 他のことはともかく、真剣に戦ったことを忘れられたら、俺だって面白くない。
 前にガーデンに来た時は、キスティスの記憶が甦ったのに、今日は何も思い出せない。
 時間が経ち過ぎたせいだろうか。
 俺は…それがひどく残念だった。
「ま、お前は昔っからそうだけどな。必要ねえことは端から忘れちまってよ」
 サイファーの言葉にどこか非難めいたものを感じて、俺は困惑する。
「必要なかったわけじゃない。事故だ」
 ほんの少しでもいいから、彼と剣を交えた記憶を取り戻したい…こっちはそう思ってるのに、サイファーは何故か、ふいと顔を歪めて笑った。
「ふうん。事故か」
含みのある言い方が、ひっかかった。
「……何が言いたい?」
「いや、何でもねえよ。もう…昔の話だ」
 そう言って彼はグラスを干し、俺よりも早くボトルを取って、自分で自分のグラスを満たした。
 なんだろう。
 俺は…過去に、何か酷いことをしたんだろうか。
 それを聞いていいものかどうか迷っているうちに、サイファーのほうから口を開いた。
「お前、孤児院のことは、覚えてるのか?」
「ああ。一部だけ、記憶が戻ったんだ。エルオーネと一緒に、あの石の家に行ったことと、…彼女が居なくなったことは、覚えてる」
 雨の日に、ひとりで泣いている俺。…思い出したくない記憶だと思うのに、その部分は思い出した。
 だからこそ、指輪ひとつ見つかったぐらいで、居もしない子どもの心配をしてしまったんだ。
 そのぐらい、俺は…置いて行かれたことが、寂しかった。
「お前、泣いてばっかいたよな」
 機嫌が直ったらしいサイファーが、意地の悪い笑顔を向けてくる。
「…そうらしいな。キスティスにも言われた」
 なんだか悔しい。
 この金髪の大男だって、その時分には子どもらしい可愛げもあっただろうに、こっちばかり何も覚えていないのだから、からかわれても反撃のしようがない。
 それにしても、スコール・レオンハートが泣くのはそんなに可笑しいのか。
 キスティスもこの話になると長いんだ…。
 2本目のワインも、いつのまにか空いてしまった。
 どうやら少し酔った俺は、サイファーが他愛のない思い出話をしてくれるのを聞きながら、彼の顔をぼんやり眺めた。
 俺、あんたのこと、何も思い出せないんだ。
 どうしてなんだろうな。
 石の家でも、ガーデンでも、すごく目立っていたに違いないのに。
 こんなに印象的な男なのに。



2011.12.22 / One and Only * 5 / to be continued …