One and Only * 4

 着いた先は、ごく普通の、バラムの家庭料理の店だった。
 奥まった路地裏にさりげなく小さな看板を掲げた店は、どこか懐かしいような佇まいで、木製の扉を押すとちりん、と古風なドアベルが鳴った。
 中の造りもこじんまりとしていて、衝立で区切られたテーブルの上に、一つずつ温かな灯りが吊り下げられている。
 サイファーは迷わず、一番奥の目立たない席を選んだ。
「支払いお前持ちだぞ」
「承知してます」
 どんな高級店で奢らされるかと思ったが、メニューをざっと眺めても、それほど高価なものは無く、素朴な品書きが並んでいる。
「希望あるか?」
「貴方と同じもので結構です」
「…了解」
 サイファーは店員を呼びよせると、要領良くオーダーを済ませる。
 店員が一礼してテーブルを離れるやいなや、彼は我慢の限界、という顔で俺に向き直った。
「…スコール。ひとつ注文つけていいか?」
 いいか?という口調ではない。殺意にも似た怒気を孕んだ重低音。
 素人だったら訳も分からず、反射的に謝る迫力だ。
 …俺の何がそんなに気に障っているのだろうか。
「何でしょうか?」
「その敬語やめろ」
「は?」
「気持ちわりーんだよ!」
 サイファーはいかにも不服そうに、腕を組んで言い放った。
 率直な物言いが少し……いや、結構ぐさっと来たぞ。今のは。
「…貴方の方が年上で、こちらはお願いする立場ですから」
「やめねえなら帰るぞ?」
 …そこまで気持ち悪いのか、俺。
「敬語を止めると、かなり…シンプルな喋り方しか、出来ないんですが」
 俺のなけなしの愛想は、敬語とセットになっていて、これをやめたら、素の俺に戻ってしまう。
 とても友好的な話し合いには向いているとは言えない。
「んなこたこっちは百も承知だ。構わねえから普通にしろ、普通に」
 普通にって言われても、こう、カジュアルな雰囲気とか出せないんだが…。
 そもそも一般的な普通の返事って何だ? 「うん」とか「そうだね」とか?
 …そんなの俺の方が気持ち悪い。
「…ハイ」
「『ハイ』じゃねえだろが。ああ!?」
 やっぱり駄目か。サイファーの額に怒りの青筋が見える。
 ヤケクソで本当に普通に喋ってみた。
「わかった。フツーに話す」
「おう、それでいい」
 サイファーがほっとしたように息を吐いた。…ほんとにこれでいいのか?
 俺のほうはタメ口がしっくり来ないが、彼にはそれが当然のことらしく、やっと落ち着いたというふうに、椅子に掛け直して、俺を見据えてきた。
「さてと。そろそろ、本題に入るか。お前、俺に何を聞きたいんだ?」
 俺は緊張しながら、質問を口にした。
「7年ぐらい前、…俺が誰かと付き合っていたかどうか覚えていたら、教えてもらいたい」
「……ほお。意外なことを聞くじゃねえか。何でそれを俺に聞くんだ?」
 サイファーは顎を引いて、緑色の目を細めた。
 強い視線に晒されて、目をそらしたくなるのを、俺はぐっと堪えて答えた。
「ガーデン時代の知り合いに尋ねてみたら、自分は心当たりが無いけれど、俺と貴方が同室だったと教えてくれて…」

 教えてくれるかどうか分からないけど、サイファーに聞いてみたら? と言ったのはキスティスだ。
 貴方が指輪をしてたことなんか知らなかった、とキスティスは電話口で、ため息をついた。
(貴方、執務室でもずっと手袋してたのよ。いつでもガンブレードが握れるようにって)
(執務室でも?)
 きっと指輪のこと秘密にしてたのね、と淋しそうに言われて、いたたまれない。覚えてないんだ。
(でも、部屋では流石に外してたんじゃないかしら。サイファーなら何か知ってるかも知れないわね)
(サイファー? …サイファー・アルマシー?)
 驚いて聞き返した。
(そうよ。貴方、彼の監視官だから、同室だったじゃない。…イヤね、知らなかった?)
(…知らない)
 日記によれば、俺は緊急時に備えて、一般の学生寮では無く、学校内に居住していたらしい。
 その部屋に、あのサイファーも居たのか。そんなこと、書いて無かったと思うが…?
(でも、貴方、彼の卒業まで待たずにエスタに行ってしまったでしょう?)
 今だから言うけれど、後任者は大変だったのよ? と彼女は珍しく恨みがましい口調で続けた。
(そうなのか…)
 よっぽど苦労をかけたんだろう。
(変なの。何にも書いてなかったの? それじゃ貴方の日記って、いったい何が書いてあるの?)
 キスティスの指摘はもっともだ。
 当時、俺はガーデンの理事の一人で、その引継をしたことは書いてあったのだが、サイファーの監視官も務めていたなんて、全然知らなかった…。
 俺はまさにこういう記憶の欠落に備えて、日記を付けていたはずなのに。

「…貴方なら、何か少しでも…知っているかと思って」
 サイファーがまた嫌そうに顔をしかめた。
「『アナタ』じゃなくて『アンタ』と呼べ」
「……俺は、そんな失礼な口をきいてたのか?」
「ああ。生意気だったぜ、お前はよ」
 …確かに俺は、ラグナを未だに「あんた」呼ばわりしているけど…あれは身内だからだと思っていた。
「それで、そんな昔のことを今さらほじくり返してどうする気だ?」
 サイファーは白いテーブルクロスの上に頬杖をついて、探るように俺を見た。
「確かめたいことがあるんだ」
「何を」
 そう具体的に聞かれると…実に説明しにくい内容だと、初めて気づいた。
「……」
「何だ、はっきり言えよ」
 相手はあまり気が長いようには見えないし、自分で言った通り、こちらは教えてもらう立場だ。
 気恥ずかしい気持ちを押さえて、口を開いた。
「…あんまり馬鹿げて聞こえるかもしれないが、その、…子どもが居ないかどうか、確かめたいんだ」
「子どもって? …ああ、お前のガキってことか?」
「俺は今まで、日記に名前の出てくる女性の他に、付き合っていた人間がいるとは思ってなかった。それが、この前のクリスマスの日に、古い荷物を整理していたら指輪が出てきて…」
 あの黒皮の小さなアクセサリーポーチから、シルバーリングを取り出す。
「この指輪なんだが…、見覚えあるか?」
「…ふーん」
 サイファーは俺の摘んだその指輪を、やけにまじまじと見つめた。
 何か思い出そうとしているようにも、全く何も知らないようにも見える。
 …どうせ俺は人の表情を読むのが苦手だ。
「内側に、7年前のクリスマスの日付と、プレゼントだと解るメッセージが彫ってある」
「それで?…その日記とやらには、なんにも書いてねえのかよ」
「何も。俺の日記にはどうやら、重大な欠落があるらしい」
 その年のクリスマスの部分は、もちろん読み返してみた。
『晴れ。遅く起床。一日休暇。緊急連絡等なし。午後、ジャンク屋でシリンダー内部のばねを交換』
 これだけだ。
 我ながら簡素なこの記述から、どうやって恋人の存在を察知しろと言うのか。無理だ。
 しかし、普通の人間なら、指輪がひとつ出てきたぐらいで、過去の恋人を探し歩いたりしないだろう。
 でも俺は…確かめずには居られない。
「昔、話したかもしれないが…事情があって、俺の父親は、俺が生まれたのを何年も知らなかった。万が一、俺も同じことをしてたらって、気になって仕方なくて」
「そのためにわざわざ、俺に会いに来たってのか?」
「くだらない用事に聞こえたなら済まない」
「…そうじゃねえよ。相変わらず、クソ真面目だなって思っただけだ」
 サイファーは苦笑した。呆れたのかもしれない。
 ゆっくりグラスの水を飲んで、どこか遠くを見るような目つきをした。
 何故だろう…。かすかに自分の胸がざわめくのを感じる。
 彼はグラスを置いて、また頬杖をつき、こちらを見た。
 さっきまでよりも、ずっと穏やかな顔をしていた。
「質問の答えだけどよ。その指輪な。覚えてるぜ」
 そうか。やっぱり、俺はこの指輪をしていたんだな。
「それで…これを俺に贈ってくれたのは、どういう人なのかも知ってるのか?」
「ま、それは食事の後でな」
 ようやく手ごたえのある返事を得て、思わず身を乗り出したところで、さらりとかわされてしまった。
「…何で?」
「奢ってくれるっていう、お前の気が変わると困るから。お、来たな」
 にやりと笑って、サイファーが頬杖を止めてテーブルを空けた。
 お待たせしました、とウエイターがにこやかに前菜の皿を置く。
 セットされたグラスに、白ワインが注がれるのを嬉しげに眺める男の真意がわからない。
「どうして俺の気が変わるんだ?」
 俺が席を蹴って立ち去るような事情でもあるのだろうか?
「ま、それは冗談としても、…先に全部話しちまったんじゃ、つまらねえだろ」
 続きは後のお楽しみ、とグラスに手をのばしかけて、サイファーがまた苦笑したところをみると、俺はよっぽど不満そうな顔をしているのだろう。
「そうだな、メシの味が分からねえんじゃ気の毒だから、お前が心配してるほうだけは教えてやるか」
「是非そうしてくれ」
 生殺しはやめてもらいたい。俺も人のことは言えず、そう気が長いほうじゃない。
「お前に生き別れのガキは居ねえよ。少なくともバラムを出てくまでの間は有りえねーな」
「…そうなのか?」
「リノアと別れた後、お前はその指輪の相手と付き合ってたが、そんな話が無いのは確かだ。保証してやるよ」
「…そうか。ありがとう」
 肩の力が抜けて、知らず長いため息が出た。俺はどうやら、相当思いつめていたようだ。
「もしかして、がっかりしたか?」
「いや、ほっとした。もう何年も経ってるんだ、埋め合わせの仕様も無い」
 良かった…心からそう思った。
「んじゃ、食うか」
 サイファーがグラスを軽く差しだして来る。
「ああ。…急に腹が減ってきた」
 現金なものだ。
 俺もグラスを持ち上げて、軽くふちを合わせると、ガラスの触れ合う音がした。
 クリスタルの金属的な響きに慣れた耳には、少し間が抜けていて、可愛らしく聞こえる。
「…久しぶりだな」
 サイファーがぼそりと呟く。
「…何が?」
「たまに報道でお前が映ることもあるけど、いつもサングラスか仏頂面だろ。…お前の笑った顔、久しぶりに見たなと思って」
「え。…俺、笑ってたか?」
 驚いて顔に手を当てた。笑ったつもりなんて無かった。
 そもそも俺は滅多に笑わない人間のはずなのに。
「そんな慌てて引っこめなくてもいいのによ」
 サイファーが笑いながら、顔を覗き込んでくるのにどきりとする。
 何だろう。俺、なんか変だ。
 だいたい、こんなに思っていることを次々に見抜かれるというのがおかしい。
 慣れない雰囲気に少し落ち着かない気分で、ワイングラスに口を付けた。
 今日はあまり飲まないようにしよう、と心の中で決めた。



2011.12.7 / One and Only * 4 / to be continued …