One and Only * 3

 クリスマスから2ヶ月後、とある金曜日。

「はい? どちらさん?」
 ドスの効いた声だが、ここでひるむわけにはいかない。
「…スコール・レオンハートです」
「………スコール?」
 出来るだけ友好的に響くよう祈りつつ名乗ると、相手は不審げに訊き返してくる。
「サイファー・アルマシーさんでしょうか?」
「…『サイファー・アルマシーさん』だが。一体何の用だ?」
 一応俺のことは覚えていたようだが、怪訝そうな声には、どこか刺々しい響きがある。
 当然かもしれない。俺は6年も音信不通だった人間だ。
 そのうえ、キスティスの話によれば、俺が責務を放り出してエスタに渡航したせいで、どうやら彼と俺とは喧嘩別れをしたらしい。
 その後の俺の記憶喪失については、サイファーも承知しているとのことだったが…。
「突然お電話して失礼かとは思いましたが、どうしてもお伺いしたいことがありまして、ガーデンで電話番号を教えてもらいました。今、少しお話ししてもいいでしょうか?」
「念のために聞くが、仕事の話か?」
「いえ、プライベートな事で」
 しばらく沈黙があった。
 やっぱり断られるのか、と覚悟したとき、受話器から思いがけない返事が聞こえた。
「…電話じゃ話したくねえな。俺に用なら、直接会いに来いよ」
「では、今夜、ご都合はいかがでしょうか?」
「…マジで? お前、バラムに来てるのか?」
 心底驚いたって口調だ。いくらなんでも唐突過ぎたか。
「はい。でも、ご迷惑なら、後日でも」
 俺は慌てて別の選択肢を提示したが、相手の返答は俺の予想をさらに裏切った。
「バラムの6丁目の角のコーヒー屋分かるか?」
 …この流れは、もしかして、OKの返事につながるんだろうか?
「…わかると思います」
「そこで、1830に。その後、メシ奢ってくれるっていうなら、会ってもいいぜ」
「…ありがとうございます」
 反射的に答えたが、頭の中は空っぽだった。
「んじゃ、後でな」
 あっけなく電話は切れて、俺はツー、ツーという受話器からの信号音を聞きながらぼうっとしていた。
 今日、会ってくれる。…会ってくれるんだよな。
 携帯を閉じて、トレンチコートのポケットに仕舞いながら、俺はまだ半信半疑だった。
 同僚とのシフト交替で、突然の二連休が降って湧いて、計画もなくバラムまで来てしまったけど。
 まさか、こんなに話が上手く運ぶとは思わなかった…。

 中心街の四ツ角の壁に背中を預けて、行きかう人々を眺める。
 バラムを訪れるのは3年ぶりだ。
 3年前の秋、ここで国際会議が開催され、ラグナの警護として同行した。それ以来になる。
 そのときも、何も憶えていないのに、懐かしい空気の街だと思った。
 この街で現在でも俺と付き合いがあるのは、キスティスだけだ。他の人間は、記録でしか知らない。
 彼女は今のバラムガーデンを切り盛りしている幹部の一人だ。
 5年前、G.F.の暴走事故にあって記憶を失ったとき、俺はB.G.には通信で報告を入れた。
 キスティスとは、エスタに渡った後も業務上で繋がりがあったのに、俺はどうやらガーデンに関する記憶領域を損なったらしく、彼女のことも忘れてしまった。
 それを告げたときは、普段冷静な彼女も、かなりの衝撃を受けた様子だった。
 矢継ぎ早に原因や回復の見込について質問されたが、最後には落ち着きを取り戻し、「わかったわ、スコール。わたしのことはどうかキスティスと呼んでちょうだい。よろしくね」と、モニター越しに微笑んで言ってくれた。
 その2年後に、国際会議の警備をガーデンが担当することになり、事前のミーティングで、記憶を失ってから初めて、直接顔を合わせた。
 二重三重の安全策といい、細部の詰め方といい、真摯な人柄のわかる、丁寧な仕事ぶりだった。
 打合せが終わって、ガーデンの渡り廊下を並んで歩いていたら、若いころの彼女の顔がふいに甦った。
 うっかりそのまま伝えたら、「若いころ」って言わないで!と怒られてしまったが…。
 あの指輪を嵌めたときもそうだったけれど、そんなふうに実際に人に会ったり、物に触れたりすると、ふわっと一瞬だけ、昔のヴィジョンが浮かぶことがある。
 あの頃にもっと、記憶の手がかりを辿っていれば、何か思い出せたのかもしれない。
 でも、当時の俺はまだ、ラグナを護るだけで毎日が精いっぱいだった。
 それに、周囲の反対を押し切ってG.F.を使い続けている手前、俺は過去にはこだわらず、また、こだわりを見せないように振る舞って来た。
 それなのに、今頃になって、俺は失くした記憶に囚われている。
 クリスマスの日にみつけた、ちっぽけな銀色の指輪ひとつのせいで。
 本当に、あのサイファー・アルマシーに会うのか…。
 自分で決めて、こちらから頼んだことなのに、どうにも緊張する。
 魔女戦争の経緯については全て忘れてしまったため、後から調べた。
 調べれば調べるほど奇怪な話で、本当にこんなことが現実に起きたのかと疑ってしまう。
 あの大国ガルバディア軍のトップに、いきなり10代の…それも一度も大集団を率いたことなどない、別組織の学生が就任して指揮を取ったというのも信じられない。
 そのサイファーと未来の魔女アルティミシアを、この俺と魔女リノアと、ガーデンの仲間が倒した、ということになっているらしいが…。
 身に覚えがない俺には、まるでおとぎ話だ。
 キスティスは、サイファーと俺は、最後は絶交したみたいだと言っていた。
 もともと折り合いが悪かったことは、他の人間からも聞いたことがある。
 それでも、他にあてがない以上、当たってみるしかない。
 会ってくれるということは、6年の歳月が良い方に作用しているのかも。
 待ち合わせの時刻まで、あと3時間半。
 それが短いような、長いような不思議な気分だった。

 約束の時間よりだいぶ前にコーヒーショップに入り、店内が見渡せる席を選んだ。
 熱いコーヒーを飲みながら手帳を開けて、キスティスから貰った最近のサイファーの写真を確認する。
 3年前の再会以来、彼女は俺の数少ない友人になり、ときどきメールや電話で連絡を取っている。
 エスタにあったサイファーの資料映像が古いものばかりだったので、頼んで送ってもらったのだが、これを見る限りでは、彼はそれほど変わっていないようだ。
 ガーデンの訓練施設で、ガンブレードの指導をしているところを撮ったものらしい。
 綺麗な男だ。
 同僚から、人の美醜に疎すぎると常々言われる俺でも、そう思う。
 映りがいいのか、それとも本当にこんなハンサムなのか。
 こんな写真をあんまり熱心に眺めてると、同性愛者と間違われそうだな…。
 手帳を閉じて顔を上げると、店の自動扉が開いて当の本人が現れたところで、ぎくりとする。
 デニムにシルバーグレイのダウンジャケットを合わせたシンプルな服装だが、彼が入ってくると、店内の空気が変わった。
 言い方は悪いが、強盗でも入ってきたような緊張感と言うか…。
 周囲に漂うオーラは、あきらかに特別な人間の纏うものだ。
 資料映像通りの男は、じろりと店内を一瞥する途中で俺を見つけ、大股に近づいてきた。
 慌てて立ち上がり、軽く頭を下げ、
「あの、スコール・レオンハー…」
「見りゃわかる。お前、目立ちすぎ」
 挨拶をいきなり遮られた。目立つ? 
「どこか変ですか?」
 黒のスーツ、ライトグレーのシャツ、黒系のネクタイ。地味な格好だと思うのだが。
「なんでオフなのにスーツなんだ。滅茶苦茶近寄りがたい雰囲気出てるぞ」
 …何の迷いも無く、ずかずか近寄ってきたくせに。
「もし会ってもらえるなら、失礼が無いようにと思って。…そんなに浮いてますか?」
 普段掛けているサングラスは、さっき外しておいた。
 傷を隠す前髪が少々長いのは認めるが、普通の勤め人に見えるはずだ。
「変わらねえな、お前」
「…分かりません。覚えていないので」
 それにしても、この相手から目立ち過ぎと言われる筋合いは無いだろう。
 それほど背の低くない俺でも見上げるほどの長身に、がっしりとした体躯。
 俺とは真逆で、精悍な顔立ちの額に走る傷跡を隠すことなく、金色の髪を後ろに流している。
 同性の自分から見ても、凄みのあるいい男だ。
両目には少しの苛立ちがこもり、その緑がこちらの目に刺さるようで、俺は反射的に視線を外した。
「まあいい。腹減ってるか?」
「…普通です」
サイファーはますます苛付いたように、はーっと長いため息をついた。
「相変わらず話になんねえ奴だ。そんじゃ、勝手に決めるぜ」
(成る程な…)
 荒唐無稽に聞こえた魔女戦争での役回りも、こうして本人を目の前にすると、納得出来る気がした。
 体が大きいだけでない、圧倒されるような存在感。
 年齢も経験も関係ない、器というものだろう。…結果的には、それを利用されたわけだが。
(俺は本当に、こんな奴を向こうに回して渡り合ったんだろうか…)
 剣術や射撃の腕だけなら自信が無いわけじゃない。
 しかし、根っから裏方向きで、そもそも上に立つタイプじゃない俺にとっては、リーダーというだけで、さぞかし荷が重かったに違いない。
「ぼけっとすんな。いくぞ、ほら」
「ハイ」
 椅子に掛けてあったトレンチを取って羽織りながら、普通に返事をしたつもりなのに、何故か「ぎっ」と音のするような強さで睨まれた。
 キスティスに「期待しない方がいいわよ」と釘を刺されていたが…。
 意外にもあっさり会うのを承諾してくれたので、これほど嫌われているとは思わなかった。
 失敗だったかもしれない…。
 その後は無言でコーヒーショップを出た。
 気が滅入ってくるのを振り切りながら、俺は彼の後について、日の暮れたバラムの街を歩く。
 バラムは温暖な気候とはいえ、やはり真冬の風は冷たい。
 何だか既に帰りたい気持ちになっていた。目の前の背中が、異常に大きく見えた。


2011.11.30 / One and Only * 3 / to be continued …