食堂を出て執務室に戻る途中で、先を歩いていたサイファーが振り返った。
「ところでお前、胃はまだいまいちみてえだが、他はどうだ。動けそうか?」
そう言われて、意識を身体にひと巡りさせてみる。
昨日、一日中寝ていた名残りのだるさは抜けたし、むしろ、軽く身体を動かしたいぐらいだ。
「…そっちは別に、問題ないと思う」
「大丈夫なら、書類が一段落したら、訓練施設行くか」
「え…いいのか?」
昨日の今日なのに、そんなことしても。
ひとりで筋トレでも、と思ったのに、ふたりで施設まで行くってことは…ガンブレだよな?
記憶を失くしてから凹みがちだった気分が、ふわりと浮いた。
「まあ、キスティスに見つかるとうるせーけど、ここらでお前も気分転換してーだろ」
「…まあな」
…完全に見抜かれてるな。
「センセには黙っとけよ」
「了解」
素早く合意を形成すると、資料の残量から、あとどのくらいかかるのか考える。だいたい2時間、と見当をつけると、ガンブレを構えてサイファーと向かい合うイメージが自然に湧いてくる。
「今も…あんたの方が強いんだろ? さぞかし差がついたんだろうな」
「そうだな…ここんとこ、本気でやり合ったりしねーからハッキリとは分かんねえが…」
サイファーは歩きながら、考え込む仕草をした。
あの戦争のさなか、何度かサイファーを倒したが…あれは、魔女に操られているサイファーだった。
戦争直後、ほぼ五分五分だった実力は、俺が実戦から遠ざかって、じりじりと離されていた。
仕方ない、俺は指揮官だ。
戦場でブレードを振るうだけが強さじゃない、と分かってはいるが…。
「引き離したつもりが、まただんだんに、お前が追い付いて来た感じだな」
「…そうか?」
…こんなことで、指揮官が露骨に喜ぶのはどうかと思うから、顔には出さない。
「ここんとこ、お前にも少しはガンブレ持たしてやれるようになったしな」
だけど、外に出してやるとお前、すぐ無茶するんだよなぁ、とサイファーは隣を歩く俺を睨む。
「こーやって、全部忘れて帰ってきたりするしよ」
うっ。
言い返せない。
「どうして俺の記憶は、そんなにすぐに飛んでしまうんだろうな…」
廊下に視線を落として呟くと、サイファーがさらにぶすっとして答えた。
「お前があの魔女と別れた後のことを、どーでもいいと思ってるからだろ」
うっ。
さらに言い返せない…。
ここまでの自分の言動を思えば、「そんなこと無かったんじゃないか」なんて言うのも白々しいし…。
「ま、お前の認識を責めてもしょうがねぇのかもしれねーけどな」
そう言いながらサイファーが執務室のスライドドアを解錠し、俺も続いて部屋に入った。
「じゃ、机の上に乗ってるヤツが終わったら、ガンブレ取りに帰るか」
「ああ」
自分の席に着きながら、そっとサイファーの横顔を盗み見る。
サイファーが何を考えているのか、昔から俺には謎だ。
そのサイファーが…俺の「恋人」。
しかも、俺が二度記憶を失っても、見放さずに付き合い直したという…。
デスクチェアに掛けた俺は机の上で、運営委員会の議事録を開いた。
午前の続きから、議題の文字を目で追うが…上手く業務に入り込めない。
自分でも分かっている。
俺は…恋愛がヘタクソだ。
リノアには、それでフラれてしまった。
(帰りたくない)
休日の夕方、帰りの時間が近づくと、リノアはこの世の終わりみたいな顔で、俺にしがみついてきた。
(スコールは寂しくないの?)
バラム港の外れで、コンクリートの壁に隠れてキスをして、リノアは俺を見上げる。
(そういうわけじゃないが…大丈夫だ、リノア。また会えるんだし)
しおれている彼女を慰めたくて髪を撫でても、言葉が通じない失望に、リノアは顔を曇らせる。
(そうだけど)
(俺が信用できないか?)
(そうじゃないけど。なんか、全然違うね。わたしたち)
(それは、育った環境も違うし…)
(それだけかな?)
リノアは振り向いて、俺の目をじっと見つめる。
(…それだけかな?)
どうしてああも疑うのか、理解出来なかった。
精一杯優しくして、彼女だけを見ているのに、それ以上何を求めているのか、俺には解らなかった。
それなのに、リノアによれば、恋人としての俺には、何かしら決定的な欠陥があるらしかった。
スコールは、恋愛出来ない人なのかもね、とまで言われてしまった。
(いつもスコールは頑張ってくれるよね。頑張って会いに来てくれるし、頑張って優しくしてくれる)
(でもね、恋って…ホントは頑張らないんだよ)
リノアは目を伏せて、悲しそうに笑った。
(頑張らなくても、自然に会いたいなって思って、会いに行っちゃうの)
(だからこうやって時間を作って、俺はあんたに会ってるじゃないか)
そう言い合っている間にも、ポケットに突っ込んだ電話が着信音を鳴らし始める。
(……出ていいよ、スコール)
リノアの言う通り、俺は電話に出たかった。
相手は多分キスティスだ。気になっていた案件の…おそらくは、良くない方の報せだろう。
頭の中で仕事用の俺が、勝手に次に打つ手を組み立て始めるが、現実の俺は、今…目の前のリノアをどうしたらいいのかが分からない。
リノアは、そういう胸のうちを十分に理解しているらしく、むしろ同情の目で俺を見た。
(いいんだよ、スコール。わたしのことは…もう頑張らなくていい)
そんなふうに、俺はリノアの騎士を首になった。
俺はリノアを好きだったと思う。
俺なりに努力したつもりだが…つまりのところ、俺は、恋愛には向いてなかった。
「おい、どうした?」
「あ…」
サイファーの声で、資料の同じページをぼーっと眺めていた自分に気付いた。
「…ああ、考え事、してた。済まない」
俺が仕事に付き合わせてるのに、ひどい話だ。
「…まあいい。もうやめよーぜ、お前、頭が参ってんだから」
サイファーは怒った顔も見せず、「ガンブレ持ったらシャキっとすんだろ」と笑って、自分のデスクの上を片付け始めた。
「…そうだな」
俺もPCの電源を落として、立ち上がる。
俺は、リノアの望むような恋人になれなかった。
…サイファーは、どうして俺と付き合っていたんだろう?
リノアみたいに…俺のことを、「物足りない」って思わなかったんだろうか。
「…何か違う」
訓練施設入口のロッカールームで、ケースを開けてライオンハートを取り出すと、すぐに気付いた。
「ああ、そっか。お前のソレ、かなり改造してたっけな」
握ったグリップの感覚も、重心も違う。
「…重いな」
一撃の威力を上げたかったのか、俺の手に馴染んだ記憶よりも、ずしりとした手ごたえが大きい。
「俺は止めたんだぜ。あんまり重くすると、振り回されるぞって」
ハイペリオンを取り出すサイファーは、その場面を思い出しているのか、クックッと喉で笑った。
「そしたらお前、逆にムキになっちまって、平気だって言い張ってよ」
「…あんた、イヤな言い方したんじゃないのか」
「そうだな」
少しばかりムッとして言い返すと、サイファーは、あっさり認めた。
「ちょっと意地悪りい言い方だった。日ごろ立場が弱えーからよ、ついな」
正面扉のロックを開錠し、奥のひとけの無い区画へと向かいながら、先を行く彼の気負いの無い言葉に、ドキリとする。
俺の知ってるサイファーは、…俺にこんなこと言わない。
一年後のサイファーは、こんなに俺に本音で話をするのか…。
「ルールは?」
「そこは変わんねーよ」
「わかった」
着けてるG.F.と魔法を、取り決めた数まで減らす。
俺とサイファーがお互いフルジャンクションでやり合ったら、施設が壊れる。
「準備いいか?」
サイファーが不敵に目を細め、片手でハイペリオンを構える。
俺も手にしたライオンハートに気を満たして、神経を集中した。
サイファーには、力では競り勝てない。
スピードは互角。
となれば、勝つには、サイファーの先を読み、隙を狙うしかない。
ここ一年のデータが欠落しているのは痛いな、と俺は無意識に唇を噛む。
「来ねえのか? じゃ、こっちから行くぜ」
サイファーが跳んだ。
振り下ろされるのを見越して、俺も思い切り横に薙いだ。
ガキンッ! と激しくブレードがぶつかる。
そこを支点に、反動で踵を跳ねあげるが、打ちこむより早く、標的が身をひるがえす。
肌を刺す殺気。
もう一度ブレードが来る。
勢いで負けたら、体勢が崩れる。
上下の歯を噛み合わせ、着地と同時に腰を落として、襲い来るブレードをブレードで防ぐ。
インパクトの瞬間に、ハイペリオンが火を噴く。
「つっ!」
刀身から衝撃派が両手首に走り、反応が遅れた。
辛うじて避けた横腹ギリギリに、サイファーの爪先の残像が黒い弧を描く。
天井のライトパネルが視界を過ぎ、膝を折ったブーツの底が、がりり、と土をかいて止まる。
空中を一回転して、どうにか構えは保ったが、イメージの動きをトレース出来てない。
ライオンハートが記憶よりも重く、それが意識を乱している。
「おいおい、ちゃんと避けろよな」
ほぼ同時に降り立ったサイファーは、余裕の笑みを浮かべている。
俺はゆっくりと膝を伸ばして立ち上がり、5歩半の間合いでサイファーと向かい合う。
「…当ててから言えよ」
俺は、血がたぎるこの時間が好きだ。
さっきまで眠っていた細胞ひとつひとつが目を覚ます、この感覚。
「面白え。…来いよ、スコール」
俺を見るサイファーの両目が、爛々と光っている。
この誘惑に、俺は逆らえた試しが無い。
そうだな、…確かにサイファーは特別だ。
踏み込むタイミングは、いつも頭では分からない。
不意に訪れるその瞬間を待って、俺は地面を蹴った。
そろそろ上がるか、と言われたのに、俺がもう一度だけ、と引き延ばした。
サイファーの見立て通り、俺は本当は疲れていた。
着地のバランスを崩して転倒したとき、重いグリップが握った指を割って、ライオンハートが手から離れた。
空を切り裂いて回る剣が、サイファーの顔に向かって飛ぶ。
「うわっ、あぶね!」
キイン、とブレードでガードするが、主の無い切っ先が跳ね返って、サイファーのジャケットを裂いた。
ヤバい。
すう、と頭が冷えた。
いくら本気の勝負でも、刃先は相手に触れさせないのが今のルールだ。
「サイファー!」
俺は飛び起きて、うずくまった背中に駆け寄った。
「投げんのは反則だぜ、スコール」
身体を起こしたサイファーは、ニヤリと笑ってみせた。
「済まない、グリップが滑って…」
「あー…情けねーな。お前本体のほうに気を取られちまった」
傷付いた左腕を反対側の手の平で押さえたまま、サイファーは顔をしかめた。
その手の隙間から見える袖が、血で赤く染まっていくのに「お前、足は?」なんて聞いてくる。
「俺は何とも無い。それより、あんた、腕見せろ」
とりあえず、簡単な疑似魔法で止血する。
「…思ったより深いな…一応、カドワキに診てもらうか」
ふと、黙っているサイファーが気になり見上げると、何とも言えない顔でニヤニヤ笑っている。
「…何だあんた。気持ち悪い」
「いや…お前、そこまで俺の心配してくれんのかと思って。ケアルぐらい、俺も持ってんのに」
え…。
そりゃ、そうだろうけど。
一年前のあんたと俺は、もっとドライだったけど。
「それは…、俺のせいだと思ったから…!」
これじゃ、何か…俺だけが勝手にひとりで行き過ぎてしまったみたいじゃないか…!
さっき頭から引いた血の気が、かーっと一気に戻って来た。
「しょうがないだろっ、記憶が無いから、どういう態度が普通なのか、俺には…」
「いや、しょーがないとかじゃなくてよ、…嬉しいぜ」
サイファーが、焦っておかしな弁解をする俺を見る目を、ふっと細める。
その目付きが、さっきまでと違って、妙に優しげで…ますます居心地が悪くなる。
「確かにセルフィの言う通り新鮮で、こういうのも悪くねーな」
サイファーは腕を押さえたまま立ちあがり、傷付いた手で、放り出されたライオンハートを拾い上げ、俺に差し出した。
「…下らないこと言ってないで、保健室行くぞ」
出来るだけ素っ気なく言い放ち、ブレードを受け取る。
「へいへい。別に、そんなに照れなくたっていーのによ」
誰が、と言い返したかったが、会話が続くとボロが出そうで、口をつぐむ。
ロッカールームに着いて、サイファーが器用にハイペリオンを片手で仕舞い、ロックを掛けるのを待って、ケースを取り上げた。
「俺が持つ」
両手にガンブレのケースをぶら下げ、先に立って歩き出す。
確かに俺は動揺している。
動揺してること自体にも動揺している…。
「待てよ、スコール。…怒ったのか?」
後ろからサイファーが訊いてくる。
「別に、…怒ってない」
ただ…分からないんだ。
自分の行動も心理も、合っているのか、間違ってるのか分からない。
振り返らず歩くつもりが、「待てって」と肩を掴まれた。
「お前、顔に土ついてる」
俺の両手は塞がっていて、サイファーが俺の頬の泥を払った。
たったそれだけのことで、死ぬほど緊張してしまう自分は…やっぱり間違っているような気がした。
2013.05.25 / Lovefool : Squall : 7 / to be continued …