Lovefool : Squall : 5

「えっ。ペンディングになってたこれ…解決したのか」
 思わず声を上げた俺に、サイファーが少し表情を緩めた。
「ああ。先月、俺様がびしっとな」
「信じられないな…。…俺、…もうこれは、諦めてた」
 とある大使館から依頼された人探しだった。
 俺の記憶にある一年前の時点で、まったく消息が掴めず、懸案事項に挙げていた件だ。
 報告書の要約に目を走らせる。見事なものだった。
 驚かされたのは、それだけじゃなかった。
 根本的な業務の流れや、割り振りも改変されていて、合理的になっている。
 ガーデンの教育プログラムも、より柔軟に組みかえられていた。
 何より見るのが怖かったのは決算だが…ガーデンはそれなりの収入を計上し、経費を賄っていた。
 新しい出資者も順調に集まっている。
「どうだ。思ったより綺麗なもんだろ?」
 キッチンスペースからサイファーが、マグカップを二つ持って出てきた。
「ああ。一年前より、ずっとうまく回ってるみたいだ…」
「なのにお前は、すぐに無茶すんだよな」
 言いながら、ほれ、とひとつを俺に渡してくれる。
 中味はカフェオレだった。
「ストレートはまだ胃が無理だろ」
「…ありがとう」
 普段はあまり飲まない飲物だが、今は有難い。
 ひと口含むと、ちゃんとコーヒーの味がして、ちょうどいい甘さだ。
 サイファーがカフェオレを作るなんて、意外だ。…知らなかったな。
 マグを傾けながら次の資料を手に取ったとき、外からコンコン、とノックの音がした。
「おっはよ~! ってアレ? ふたりっきり~?」
「おう」
 元気良く入って来たセルフィに、サイファーが軽く応じる。
「やだ~、キスティ居ると思ったのにな~。お邪魔?」
 春先の休日らしく、ふんわりとしたオフホワイトのスカートに、明るいイエローグリーンのパーカを羽織ったセルフィが、何やら意味ありげな目配せを送って来て、俺はハッとなった。
 頭が業務モードに入って、すっかり失念していたが…その問題があったんだった…。
「邪魔だ、…って言いてえとこだが、コイツ、またリセットされててよ」
 サイファーが親指で俺を指差し、軽く顔をしかめた。
「聞いたよ~! はんちょってば、また忘れちゃったんだって~?」
 セルフィは屈託なく笑いとばし、俺の対面のキスティスの席にすとん、と腰を下ろした。
「…またって言われても。覚えてないんだ」
「あ~、そうそう、前んときもそう言ってた!」
 笑顔でうんうん、と頷かれても、返しようがない…。
「な。やる気失せるだろ?」
「ん~、でもほら、そのたび新鮮でイイかも~?」
「くぉら。他人事だからって気楽なこと抜かしやがってよ」
 目の前で言われ放題だ…。あやしげな内容に、嫌な汗が手のひらに滲んでくる。
 それにしても、俺とサイファーの関係って、本当に皆の常識なのか…。
 コーヒーあたしも欲しいな~、とセルフィが訴えると、サイファーはしょーがねーな、とかなんとか言いながらも、再度キッチンへ入って行った。
「で、どうなの~、はんちょ?」
 サイファーの後ろ姿を見送って、俺に向き直ったセルフィが楽しげに聞いてくる。
「何が」
 その瞳の活き活きとした輝きに気圧されて、俺は椅子ごと少し後ずさった。
「サイファーもとはんちょとのこと…ホントにまた忘れちゃった?」
 好奇心なのか何なのか、こっちが体を引いた分だけ、また身を乗り出して畳みかけてくる。
「忘れたも何も…まったく身に覚えがないものは、しょうがないだろ」
 次にどういう事実が出てくるのか見当もつかないのが、非常に心臓に悪い…。
 いったいセルフィは…何をどれぐらい知っているんだ?
「そっか~。でも、もとはんちょ、カワイそー。あ~んなに仲良くて、やっと元通りになったのに~」
 ずきっ。
 胸…というか、良心が痛んだ。
「…仲良かったのか」
「良かったよお~!この前も…2ヶ月前? はんちょ記憶失くしちゃって、どうなるかと思ったけど」
 セルフィは何がそんなに嬉しいのか、むふふ、と笑み崩れた。
「何とかなるモンなんやね~、って皆で言ってたトコやったのに」
「…どうやって」
 純粋に不思議で、つい尋ねてしまった。
 セルフィは猫のように目を細め、可愛らしく小首をかしげる。
「どうやってって…やっぱりアレ? 愛のチカラってゆーか?」
 …聞かなきゃ良かった。
「ほんっとラブラブで、こっちが照れるぐらいだったよ~」
 ラブラブ…。
 頭の中で、何か得体の知れない鍋が煮えてるような気がする…。
「皆で残業してるときに、キッチンの陰でこっそりキスしてたりして~」
「なっ…」
 具体的に来られて、呼吸が止まった。
 カーッと頭に血が上って、知らず顔がうつむく。
 なんて恥ずかしいことをしてたんだ俺は…。
 それに、昨日も路上でナントカ言われてなかったか?
 一年後の俺はそんなにキスが好き…、いや、理性が無いのか…!?
「部屋まで待てないの!?ってキスティがときどき陰で怒ってたよ~」
 まったくだ!
 もっと言ってやれキスティス! ていうかむしろ止めてくれ…。
 俺はとうとう力尽きて、机に突っ伏した。
「…どしたの?」
 頭上から邪気の無いセルフィの声が降って来る。
「信じられない…。昨日からずっと…悪い夢でも見てるみたいだ」
 自分の腕が作った暗闇のなかに隠れて、俺は未だに現実を呑みこめないでいる。
「まあ、そうかもね~。うちらも最初は信じられなかったもん」
 セルフィのお気楽な返事が、筋違いだが憎たらしい…。
 だいたい、いったいどうしてそんなことになったんだ。
 誰も反対とか…説得とかしなかったのか?
 仲間でも、教師でもいい。
 誰か一人ぐらい、正気に戻れと俺を諭してくれる人間は居なかったんだろうか…。
 そこまで考えて、ため息をついた。
 …俺、駄目だな。
 自分のしたことなのに、誰かのせいにしようとしてる…。
「…はんちょ、だいじょぶ?」
「…あんまり。…なあ、セルフィ」
「な~に?」
 俺は机にうつ伏せたまま、力なく訊いた。
「皆は…変だと思わなかったのか? その…俺と…」
「もとはんちょが付き合うこと? そりゃ、びっくりしたよ~」
 ゼルなんかすっごい反対してたもん! とセルフィが笑うのを聞いて、俺は顔を上げた。
「…そうなのか?」
「うん。『スコールの立場も考えてやれよ!』って、もとはんちょと大ゲンカ」
「そうか…」
 ゼルってやっぱり良い奴だな…。
 ようやく少し持ち直した俺を、セルフィの次の台詞が襲った。
「でもぉ、はんちょが『サイファーを悪く言わないでくれ』って泣いちゃったもんだから」

 な…………。

「ふたりが幸せならいっかな~ってムードになっちゃって~。…あれ? はんちょ?」
 再びばったりと机上に倒れ伏した俺の耳に、セルフィの声が遠く聞こえる…。
 俺はもう、永遠に顔を上げられる気がしない。
 いっそこのまま溶けて、この机と一体に成ってしまいたい…。
「おい、スコールどうかしたのか? セルフィ、お前何したんだよっ」
「え~!? なんにもしてないよ~!」
 半分机になった俺に、頭上で交わされるやり取りがぼんやりと霞んで響く。
「んなわけあるか!」
「う~ん…お話してたらなんか…気がとーくなっちゃったみたい??」
「こら、スコール! しっかりしろ! まだ
仕事が残ってんだろが!」

 はっ。仕事…。
 俺はのろのろと顔を上げた。
「あ、生き返った~」
「お前、それ飲んだら帰れ」
 サイファーがマグカップを指して、セルフィを睨みつけている。
「え~? やっぱりお邪魔~?」
「おう、やっぱり邪魔だった」
 しっしっ、と犬を追い払うように手を振るサイファーに、セルフィはむくれてコーヒーを飲んだ。
「む~。せっかくなんか手伝ったげよかと思ったのに~」
「ウソつけ、どうせ冷やかしだろ」
「それもあるけど~」
「やっぱそーじゃねーかよっ」
「だって~、気になるも~ん! ちゃんと仲良くしてるかな~?って」
「ガキが要らん心配すんじゃねえっつの」
 飛び交う微妙な会話を聞こえないことにして、乱れた机の上の書類を直す。
 仕事だ。
 とにかく、仕事のことだけを考えるんだ…。
「はんちょ、だいじょぶ~? 眉間、すっごい縦ジワ」
「…大丈夫だ。悪いが、資料の続きを読ませてくれ」
 精一杯虚勢を張って言い切ると、セルフィは「そうかな~~?」と首を捻ったものの、サイファーの険悪な眼つきに、それ以上の詮索はあきらめたらしい。
「あ~あ、もとはんちょがコワイ顔するから帰ろ~っと」
 コーヒーを飲み終えたセルフィは椅子から降りて、自分のマグカップをキッチンに片付けた。
「これから来週のシフト組み直すけど、お前、まだあんま言いふらすなよ」
「了解で~っす。じゃ、はんちょ、もとはんちょ、ごゆっくり~♪」
 セルフィがほがらかに手を振って出て行くと、再び執務室に静寂が戻って来た。
 …。
 サイファーは自分の仕事に戻り、モニタと図面を見比べている。
 …セルフィのランダムな爆撃も応えたが、この静けさも気になる…。
 さっきは集中出来たのに…一度意識してしまうと、どうも駄目だ。
 書類の字面をいたずらに目が追うばかりで、まったく捗らない…。
 心を落ちつけようと、コーヒーカップを口に運んで、気がついた。
 俺は通常、美味しいコーヒーには何も入れない主義だ。
 しかし「カフェオレには砂糖を入れたい派」だと、サイファーは知っているらしい。
 そもそも俺は、どうしてサイファーと付き合い始めたんだろう?
 そっと様子を窺うと、斜め右奥のデスクに着いたサイファーは、渋い表情で教務部からの起案に目を通している。
 …俺がサイファーを好きになったのか?
 軽く眩暈がした。
 …ものすごく変だ。
 確かにこうして改めて見ると、整った顔は悪くないが…、紛れもなく男性だ。
 それなのに、引き結ばれた唇につい目が行ってしまって、俺は慌てて視線を書類に戻した。
(この前あなたが酔っぱらって路上でサイファーにキスして…)
 キスティスの発言を思い出して、逃げだしたくなる。
 俺が好きになったんだろうか…。
 この俺が?
 子どもの頃から何を考えてるのか分からない、トラブルメイカーのこの男を?
 何だってそんな…面倒な。
 俺は全く読んでいない資料のページを、うわの空でめくる。
 それとも逆に、…サイファーの方が俺を好きになったのか?
 俺は思わず、頭を振った。
 …それはもっと変だ。
 サイファーが俺を好きだなんて…そんなこと、考えたことも無かった。
 俺を強烈に意識してるのは知っていたが、目の敵にされてるとしか思わなかった。
 手合わせにならしょっちゅう付き合わされたが…好意なんかまるで感じなかったし。
 周りの人間だって、あれは「イジメ」か「嫌がらせ」だと見なしてたはずだ。
 だけど、付き合ってたってことは、一応……好かれてる、ってことなんだよな…。
「…どうかしたのか?」
 突然サイファーが口を利いて、俺はぎくりと身体を強張らせた。
「な、何が?」
「さっきから、チラチラこっち見てよ。何か聞きたいことでもあんのか?」
「い、いや、特には」
 今日のサイファーの態度に、何もおかしなところはない。
 どっちかと言えば、俺の方がおかしい。
「ふーん。その割には、進んでねえみてえだけど」
「…まだ頭が上手く動かなくて…」
 多分…何も覚えていない俺に合わせて、普通にしてくれてるんだろう。
 自分のオフを返上して、こうして俺の仕事もフォローしてくれて…。
 それなのに、俺のほうは…さっきからヘンに意識してしまって、集中出来ない。
(昨日まであんなに愛し合ってて)
 あのフレーズがあまりに強烈で、油断すると、すぐ頭に甦ってくるのが困る…。
「ま、昨日の今日だもんな」
 サイファーはあっさり頷き、開いていたファイルをぱたりと閉じた。
「ちょうどいい時間だし、昼メシ行くか。お前、食えそうか?」
「……ああ」
 昼食は出来れば、ひとりで落ち着いて取りたかったけど…。
 何故かそう言いだせなくて、俺はサイファーの後について、執務室を後にした。


 2013.05.05 / Lovefool : Squall : 5 / to be continued …