Lovefool : Squall : 2

 こいびとって……あの「恋人」だよな。
 一般的には…お互い好きあってる男女の、特別に親密な相手のことだったはず。
 サイファーの頭がおかしいのか、俺の頭がおかしいのか…。
「マジかよ…。まった初手からやりなおしってか」
 忌々しげに息を吐いて、俺の眼前に突き出していた顔を退き、サイファーはベッドサイドのスツールにどさりと腰を落とした。
「…サイファー。俺にも理解できるように話してくれないか?」
 一方的に非難がましい態度を取られても、対処のしようがない。
「…だから、…お前の記憶がすっ飛んでるって話だ」
「…」
「スコール。…リノアと別れたことは覚えてるか?」
 心構えの無いことを訊かれて、返事が一呼吸空いてしまった。
「…覚えてる」
 彼女なら、確かに俺の恋人だった。
 別れたのは、魔女戦争が終わって、間もなくの話だ。
 彼女のあきらめたような笑顔、「もういいよ、スコール」という別れの言葉…
 苦い記憶に心を乱されそうになったとき、サイファーの次の台詞が、俺の耳に飛び込んできた。
「それじゃ、その後、俺と付き合い始めたのは?」
 息が詰まる。思わず目を見開き…サイファーを見上げた頬が強張った。
「…誰が」
「リノアじゃねーよ。お前だ、オマエ」
 違うのか。
 一瞬の、みっともない嫉妬を見抜かれたうえに、話が元の不可解コースに戻ってしまった。
「…付き合い始めた?」
「そうだ」
「あんたと俺が?」
「そうだ。さっきから何度もそー言ってるだろが」
(俺は、お前の恋人だろうが!)
 さっきのあれも、本当に…そのまんま、レトリックとかじゃなく…そういう意味なのか?
「…………嘘」
「嘘じゃねえ」
「冗談」
「冗談じゃねえ」
「そういう任務」
「んな任務あるかっつの」
 思いつく逃げ道を並べてみるが、次々と容赦なく否定される。
 ネタが切れて、しばらく沈黙。
「…実はあんた、女だったとか」
「…そう見えるか?」
 目の前の答えに耐えかねて、苦し紛れに下らない事を言ってみるが、一段と低い声で凄まれた。
 こめかみのあたりがぴくぴくと震えている。
「…残念ながら」
 威圧的な長身に、突き出た咽喉仏、二の腕に盛り上がった見事な筋肉…。
 …これで女だったら怖すぎる。
「納得したか?」
 サイファーは俺を睨み、返事を促してくる。
 かと言って、「ハイわかりました」なんて言える内容じゃないし…。
「待ってくれ。こんな、突拍子もない話を…すぐに納得出来るわけ無いだろう」
 そもそも、俺はゲイではない。断じて違う。
 それほど女性に対してガツガツしてるわけじゃないが、男に対して、そういう興味は全く無い。
 それに、サイファーだって…普通に女好きだっただろ?
 外泊出来ないのが不自由だと文句を垂れて、毎月派手なグラビア誌みたいなの買ってたじゃないか。
 どっちの女の胸がどうだとか、いちいち俺にも見せてきたりして…。
「んじゃ、どーすりゃ納得すんだよ。キスでもするか?」
 恐ろしい発言に、血の気が引いた。
「待て!! あんた、怖いこと言うなよ!」
「お前、怖いってことねーだろ。現に付き合ってたんだしよ」
 サイファーの本気でムッとした顔に、くらりと眩暈を覚えた。
 な…なんだその、「キスぐらい当然」って雰囲気は!
 そりゃ、付き合ってたんならそうかもしれないがしかし…!
 俺は可能な限り、ベッドの上で後ずさる。
 あんた、巨乳派じゃなかったのか。
 俺の知ってるサイファーは、いったい何処へ行ってしまったんだ…。
 だが、いつまでも単純に否定してるだけじゃ、もっと恐ろしい展開になりそうだ。
「……それじゃ、本当にそうなのか。本当に、冗談抜きで…」
 到底受け入れがたいが、ひとまずの「設定」として…と自分に言い聞かせる。
「何でまた…男の…、よりによってあんたと」
 しかし、どうしても本音が零れる。
 するとサイファーがいきなり「…分かった」と俺の言葉を遮ってゆらりと立ちあがった。
「あーあー、よーおく分かったぜ。そこまで不満か。俺が恋人じゃあガッカリか。そうかよ」
 そう吐き捨てて、サイファーはスツールを蹴って脇へ押しやり、俺を睨み下ろす。
「え…」
 その目に…怒りだけでない失望を見て、俺は動揺した。
 口をへの字にして、なんだかひどく傷ついているような…
「いや、その、サイファー、不満とかそういう以前に…」
「お前って奴は、どこまで薄情なんだ! ひとのこと、何度も何度もお気軽に忘れやがって…!」
 激しい非難の中に、また新しいキーワードが出た。「何度も」?
「俺が今どんな気持ちで居ると思う、ええ!?」
 まるで恋人の不実を責める男そのままの顔で、サイファーが詰め寄ってくる。
「そんなこと言われても…」
 身に覚えが無いのだが、身に覚えが無いこと自体を責められているのだから分が悪い。
「もーういい…テメエみたいな尽くしがいのない奴、こっちから願い下げだっ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれサイファー、だって、記憶が…」
 とにかく焦ってひきとめようとするのも空しく。
「昨日まで、あんなに愛し合ってたのに…やってられるか、バカヤローっ!」
 耳も正気も痺れるようなタンカを切り、どかどか足音も荒く出て行かれてしまった…。
 …。
 あの傲慢なサイファーが、あんな悲しそうな目をして。
(あんなに愛し合ってたのに…)
 悲痛な訴えに、頭がぐらぐらする。
 愛し合ってたのか。…あんたと俺が。そんなに。
 いや、何かの間違いだろう。
 そんなことがこの世にあり得るとは思えないし、思いたくもない。
 俺の記憶が混濁しているのと同じように、サイファーも何かが原因で錯乱しているのかもしれない。
 そうだ。まずは俺自身が、気を取り直すのが先決だ。
 しっかりしろ。
 自分を励まし、ゆっくり起き上がった。
 とりあえず、一服して気持ちを落ち着かせよう。うん、いい考えだ。
「点滴中に喫煙していいのか」という常識的な疑問が頭をよぎったが、よぎらなかったことにする。
 俺はベッドサイドのチェストを開け、煙草とライターを探した。

 …ゴムとゼリーが出てきた。

 後頭部を鈍器で思い切り殴られたような衝撃が来て、俺はその場で両手をついて上体を支えた。
 …。
 …成る程。成る程な。
 確かに、…これは冗談じゃなさそうだ。
 俺が委員長になって間もない時分に、中等部の男子寮の持ち物検査で、同じチューブが出て来て問題になったことがある。
 まさかそれを、自分のベッドの真横の引き出しで発見する日が来るとは、夢にも思わなかった…。
 …。
 そちらを見ないようにして、生々しい証拠の入った引き出しを震える手で閉め、大きく息をつく。
 さほどじっくり見たわけじゃないが、ゴムの箱に外装フィルムは無く、チューブの腹は凹んでいた。
 …………。
 そうか。
 そうなのか。
 一体どういう紆余曲折があったのかは知らないが、とにかく、そういうことになってるわけか。
 そういう…。
 シーツの上についた自分の両手の指が、細かく痙攣している。
 意味不明な事を叫び出したい衝動をこらえ、冷静になろうと、必死で思考を理論寄りに誘導する。
 落ち着け。
 ここで喚いても意味は無い。
 これからどうすればいいか、対策を考えろ。
 煙草と火と灰皿が欲しいが、もう他の引き出しを開ける勇気が出ずに逡巡していると、ベッドサイドに置かれた携帯電話が鳴った。
 見覚えの無いデザインだが…これはやっぱり俺のものなんだろうな。
 画面の表示は「委員会室」。ガーデン運営委員会の執務室からだ。
 事態をどう説明しようか考えながら、見当を付けて通話ボタンを押してみると、
「ちょっとスコール!!」
 こっちだって誰かに怒鳴りたい気分なのに、それを上回る気迫で怒鳴られた。
「な…なんだキスティス」
 俺があんたに、何をしたって言うんだ。
「あなたサイファーに何言ったのよ!!」
「何って…」
「彼、打ちひしがれて、ガーデンから出てくって…今、シュウと二人がかりで説得してるのよ!?」
 キスティの「声をひそめつつ怒鳴る」という高等技術で、通話口からびりびり怒りが伝わって来る。
 …やっぱり、あの応対はまずかったかもしれない。
 だけど、
「仕方ないだろう、…本当に覚えてないんだ」
 俺の方だって、何が何だか分からない。
 いきなり怒られたって困る、という言い分を込めてみるが、キスティスのトーンは変わらなかった。
「あなたねえ、前回記憶飛ばしてから、まだ2ヶ月しか経ってないのよ? いくら業務のためでも、
酷過ぎるわよ」
 そうなのか。サイファーも「何度も」と言っていたな…。
「…俺、前にも記憶失くしてるのか?」
「3回目」
 キスティスがきっぱりと答える。
「そんなに…」
「あなたたちが付き合い始めてから、もうこれで3回目よ」
「つ…!」
 俺は絶句した。
 待て。今、当然のごとく言ったぞ。
 さらりと、しかも力強く。
 それって、たとえ事実だとしたって…せめて、他の人間には秘密なんじゃないのか!?
「…自分でも呆れたでしょ? もう、あなたはG.F.着けるのが長すぎるって…」
「ちょ、ちょっと待ってくれキスティス。つ、付き合うって、いうのは……?」
「もう、白々しい小芝居はよしてちょうだい! サイファーから聞いたんでしょ?」
 し、白々しいって…。
 俺とサイファーの仲は、そんなバレバレの、当たり前のことなのか!?
「それって、…その、キスティスの他は、誰が知ってるんだ?」
「誰って。誰でもよ」
 彼女は、恐ろしい事を、こともなげに言い放った。
「誰でもって! ガーデン中知ってるってことか!?」
 思わず電話口で叫ぶ俺に、キスティスは冷たい声で笑った。
「そうよ。忘れちゃった今のあなた以外は全員。ガーデンの生徒どころか、世界中が知ってるわよ」

世界…だと?)

 突然のグローバルな展開に、頭がついていかない。
「な、なんで…」
「この前あなたが酔っぱらって路上でサイファーにキスして、それがネットに流れたからでしょ。
いつも自分がサイファーに『軽はずみな行動に気をつけろ』ってあんなにくどくど言ってたくせに、
あなたったら嬉しそーな顔しちゃって…」
 ぴっ。
 俺は通話を切った。
 そのままぐっとボタンを押し続け、電源を落とす。
 さっきよりもさらに震える手で、俺は禍々しい機械を閉じ、元通りベッドサイドに置いた。
 完全に超えている。
 今まで、数々の困難をやむを得ず乗り越えてきた俺にも、キャパシティの限界はある。
 この俺が。
 酔っぱらって路上でキス。
 しかも男に。
 しかも、よりによって、あのサイファー・アルマシーに。
 ここまででもう、とうに針が振り切れてる。
 それが、ネットに流れて。
 世界中が知ってる…。
 俺が、路上でキスしてしまうほど、サイファーを好きだってことを…。
 …。
 …。
 …。
 俺はもぞもぞとベッドの中へ潜り込み、上掛けを頭までかぶった。
 これは夢だ。
 夢に違いない。
 だいたい、サイファーと俺が恋人同士なんて…。
 どこをどう押したらそうなるんだ。
 確かに、サイファーが嫌いなのかと訊かれれば、返答に困る。
 気に食わない部分は山ほどある。
 だが、魔女戦争で、あれだけのことをしでかしたサイファーを、俺は死なせたくなかった。
 ガルバディアに捕まりそうだった彼を、ようやく無事にガーデンに保護(捕獲?)した時は、もうこれで指揮官を下りてもいいと、心の底から安堵して、倒れそうになった。
 しかし、あれは断じて愛などでは無かったはずだ。
 百歩…いや、百万歩譲って、愛の一種だったとしても。
 その引き出しの中身が必要になる類のものじゃない!!
 …。
 しかし…、それでも、この目で見た物証の印象は強烈だ。
 アレは一般的に…いや、一般的ではないが、男性同士がそういう行為をするために使用するらしい。
 そうなると、どうしても…どのように使用していたのかが気になってくる…。
 俺がサイファーを、っていうのは、無いな。…直感的に無い。
 倫理とか世間体とか以前に、そもそも、サイファーを抱きたい、という衝動がまるで想像できない。
 俺には無理だ。
 はっきり言って、熊だの馬だのを抱けっていうのと同じレベルで無理な気がする。
 もし「任務だからやれ」と言われたって、出来るかどうか怪しいものだ。
 すると、話はおのずとその反対、ということになる訳で…
 俺は上掛けの下で、無意識にかばうように身体を丸めた。
 リノアやキスティスにもしばしば指摘されたが、…俺はどうも、押しに弱いところがある。
 サイファーが俺に強引に迫って来たのなら、流されることもありうるか…? 状況によっては…?

 ぞぞぞぞっ、とおぞましい寒気のカタマリが背筋を走り抜け、全身の毛が逆立った。

 いやいやいやいや!! そっちも無理だ!! 
 思いのほか…まざまざと浮かんでしまったイメージを、俺は慌てて打ち消した。
 そんなこと出来るか! というか、されてたまるか!
 自分の想像による恐怖で、心臓がばくばく打っている。
 そうだ、これは夢なんだ。
 ここまで詳しく考える必要ないじゃないか。馬鹿だな、俺。
 それにしても、ここ最近見た悪夢の中じゃ、斬新な部類だ。
 俺の悪夢と言ったら、たいがいアルティミシアかエルオーネかリノアの三択なのに。

 リノアか…。
 俺は、海老のように丸まっていた背中を、ゆっくりと伸ばして寝がえりを打つ。
 彼女に振られる夢なら、見た記憶がある。…たぶん、何度も。
 俺にはどうやら恋人としての資質が欠けているらしく、最終的には愛想をつかされた形で別れた。
 あれは…どのぐらい前のことなんだろう。
 一週間前のような気もするし、2ヶ月前のような気もするし…もっと昔のことのようにも思える。
(もういいよ、スコール。…無理しなくていい)
 彼女の寂しそうな笑顔と、あの日着ていた白いワンピースは、繰り返し繰り返し俺の夢に出てくる。
 今また、この夢の中で、サイファーに愛想をつかされたわけだが…。
 俺は潜り込んだ上掛けの闇の中で、サイファーの怒った顔を思い出した。
(テメエみたいな尽くし甲斐のないヤツ、こっちから願い下げだ!)
 尽くし甲斐のないヤツ、か。
 …あんた、俺にそんなに尽くしてくれてたのか?
 そう言えば、眼が覚めるたび、サイファーが居た。
 今もベッドサイドにあるスツールは、いつもはキッチンに置かれているものを、サイファーが持ってきたのだろう。
 今日一日…ずっと、俺に付き添っていてくれたんだろうか。
(お前って奴は、どこまで薄情なんだ)
 さすがの俺も、ずきり、と胸が痛んだ。
(ひとのこと、何度も何度も忘れやがって)
 …。
 そりゃ、付き合ってる相手が、それを丸ごと忘れてしまったら、ショックだよな。
 しかも自分と付き合ってるってことを、信じたくないなんて顔されたら…。
 例えば、リノアが…俺とのことを全部忘れてしまって。
「え? わたしとスコールが付き合ってたの? ウソでしょお?」なんて真顔で言われたら。
 俺なら、立ち直れないぐらい、深く傷つくだろうな…。
 …。
 胸の痛みは消えず、口の中に苦いものが広がる心地がする。
 これ…思ったよりもずっと…イヤな夢だな。
 サイファーが恋人っていう設定も酷いが、俺自身が酷いヤツ過ぎる。
 これ、夢だよな…?
 もし、…もし万が一、夢じゃなかったら…。
 ごくり、と喉が鳴った。
 もし、俺とサイファーが、本当に恋人同士で。
 この心の凄まじい抵抗を振り捨ててまで、身体を重ねるほど深い仲だったとして。
 サイファーの言うとおりに、「昨日まであんなに愛し合って」たとしたら。
(嘘)
(冗談)
(そういう任務)
(実はアンタ女だったとか)
(残念ながら)
 自分の思いやりの無い言葉の数々を思い返して、背中が冷たくなる。
(俺が今どんな気持ちで居ると思う、ええ!?)
 サイファーの悲しげな瞳を思い出すと、重苦しく気が沈んだ。
 …俺、とんでもない失敗をしたのかもしれない…。
 もう一度寝返りを打って、前髪をかきあげた。
 指に絡む髪のリアルな感触。
 …まだ信じられない。
 だけど、そろそろ俺も、これが紛れもない現実だと認識しなくちゃいけない…。
 上掛けの端を掴んで、顎の下まで下ろした。
 開けた視界には、記憶と同じ天井が広がっている。
 壁に掛けたアナログ時計の秒針が巡る音が、かすかに時の経過を刻んでいく。
 確かに俺の部屋なのに、まるで、間違って別の世界に来てしまったみたいだ…。


 2013.04.06 / Lovefool : Squall : 2 / to be continued …

 文中でスコールが熊とか馬とか失礼極まりないことを言っててすみません…。あれはあくまでこの時点での認識ということでご理解ください。あと、多分スコールは熊も馬も好きだと思います(←フォロー?)。