Lovefool : Squall : 1

 ずいぶん長い間、目を閉じていたらしい。
 俺はいつからか、ベッドに横たわっている。
 おかしな感覚がして、頭が働かない。
 まるで、氷漬けにされたあげく、解凍されたような気分だ。
「お、気がついたか?」
 壁に向けていた首を回すと、知った顔がベッドサイドから俺を見下ろしている。
「…サイファー」
 内心、少しホッとした。
 見慣れた天井、シーリングライト…そう、…ここはガーデンの、俺の部屋だ。
「急に起き上がるなよ。もう少し、横になってろ」
「…ああ」
 …どのみち、まだ起き上がれそうもない。
「外傷のある連中入れたら、保健室がいっぱいでよ。あとでカドワキが診に来てくれる」
 サイファーが立ち上がり、ブラインドの羽根を傾けると、薄暗かった部屋に明るい陽が差し込む。
「俺…なんで?」
 ブラインドの隙間から差す光の加減からして、時刻は午後一時から二時の辺り。
 ベッドに入るには早すぎるし、往診を頼む理由も分からない。
「なんでって…お前が倒れたからだろ。チキン野郎が心配してたぜ?」
「俺…ゼルと一緒だったのか」
「ああ? 一緒も何も…お前があいつのチームを救出しに行ったんだろが」
 それも、はるばるトラビアくんだりまで、とサイファーは肩をすくめる。
「救出って、…俺が?」
 トラビア?
 ゼルには今、どんな任務を割り振っていたんだったか…とあやふやな記憶を手繰ろうとする俺を見て、サイファーは実に嫌そうに顔をしかめた。
「お前…まさか、またかよ」
「?」
 また? …またって、何がだ?
 それに…さっきから、どうも何かがしっくり来ない。
 洗いざらしたシーツから漂う洗剤の匂いも、サイファーの髪の伸び具合も。
 何処かに、漠然とした違和感がある。
「…なあ、スコール。一番最近の記憶ってどんなだ?」
 サイファーはヘッドボードに手をついて、案外真面目な顔で覗き込んでくる。
「一番最近って…?」
「昨日とか一昨日とか。…何してたか覚えてねーのか?」
「昨日…?」
 言われるままに、意識に浮かぶヴィジョンを掬おうとするが、…何も浮かんでこない。
 目の前のサイファーの顔が邪魔なのかと思い、俺は瞼を閉じてみる。
 それでも…思い出せない。
 それどころか、何も無いところを探ろうとしたせいか眩暈がして、意識がぐらつく。
「悪いが…後にしてくれ。まだ、ぼうっとしていて…」
 頭上から、軽い舌打ちの音が聞こえた。
「とにかく、G.F.を外せ」
 ああ…まだ着けっぱなしだったのか。
 消えかかる思念をどうにかそちらに巡らせ、エデンたちにありがとう、離れていいと伝えた。
 数粒の美しい石に変わった彼らを、手さぐりで胸のグリーヴァにしまうと、酷い疲労が襲ってくる。
「駄目だ…。…しばらく…、」
 休ませてくれ、と言おうとしたが、もう口が動かない。
「点滴が要るな。…まったくしょうがねえな、お前は。また脳味噌の限界まで使い切りやがってよ、……………が、……るのも………、
 サイファーのぶつぶつ言う文句が意味不明に溶けて、俺は再び、無音の闇に吸い込まれていった。

 * * * * *

 目が覚めると、オレンジ色の光が部屋に射している。
 …夕暮れ時だ。俺は…どのぐらい眠っていたんだろう?
 ベッドの中で軽く伸びをすると、左腕に微かな痛みがある。
 引っ張られるような感覚を追って、反対側を向く。
 その壁際に、サイファーが椅子に腰かけて俺を見ていた。
「うわっ」
 …まだ居たのか。
「居ちゃわりーのかよ」
 俺の心の中の台詞を的確に受け、サイファーはムッとした顔で俺を睨んだ。
「カドワキ…来たのか」
 いつのまにか、ベッド脇に点滴のビニールバッグが吊るされ、そこから伸びたチューブが、俺の左ひじの内側に刺さった針に繋がっている。
 さっき感じた痛みの源は、四角いパッドで固定されていた。
 …俺、ここまでされて目が覚めなかったのか…。
「寒さと疲労で弱っちゃいるが、身体の方は安静にしてりゃ大丈夫だとよ」
 サイファーは立ち上がり、俺が動いた拍子にずれた上掛けを直した。
「まあ、問題はアタマだな。お前、昨日の記憶は戻ったか?」
「…分からない」
 頭蓋骨にスポンジでも詰まってるような疲れは抜けたが…ひとしきり考えてみても、「昨日」って単語に何も結びついてこない。
 いちいちはるか上から見下ろされるのが癪に触って、俺は横たえていた身体を起こした。
「そうか」
 半ば予期していたのかサイファーは驚かず、チェストの上に置いた水のボトルを俺に手渡した。
 そうされて初めて、自分の喉が渇いているのに気づく。
 渡されたボトルのキャップを回して口を付けた。
 冷えた水が喉を潤し、空っぽの胃へ滑り落ちるのを感じると、徐々に意識がはっきりしてくる。
「お前はスコール・レオンハート、ガーデンの指揮官。ここまではOKか?」
「…あんた、俺をからかってるのか?」
 さすがにそのぐらいは覚えてる。
「それじゃ、これはどうだ。俺は、サイファー・アルマシー」
「魔女戦争後は保護観察中の身分で、監視官は俺だ」
 サイファーの調子に合わせてたら、いつまで経っても状況が把握できない。
「その通り。だが、もうひとつ、大事な説明が抜けてるな」
 もっともらしく指摘するサイファーに応えて、俺は大事な説明を付け加えた。
「そうだな…自己中心的な行動派」
「お前なぁ。もっと大事なことがあんだろが」
 俺に何を言わせたいのか、腕組みをして促して来るが、正直、付き合うのが面倒臭い。
「…何だ? ガーデン運営委員になったってことか?」
「おい、お前まさか…また本当に忘れちまったのか?」
 適当な回答にサイファーは「信じらんねえ」とため息をつき、俺の手のボトルを取り上げ、チェストの上に戻した。
「…何の話だ」
「なあ、スコール。笑えねえ冗談は、そろそろ引っ込めてもらいてーんだが」
「何で俺が、あんたに冗談なんか言う必要がある」
 睨んでくる眼を睨み返した。
 さっさと実のある話がしたいのはこっちの方だ。
 するとサイファーは、俺と睨みあったままで、低く、妙にきっぱりと言った。

「…『こいびと』だろ」

「…こいびと?」
 こいびと…って、あの「恋人」か??
 サイファーは上体を起こした俺の眼前に、不機嫌な顔を突き出して怒鳴った。
「ったく。俺は、お前の恋人だろうが!」
 ……。
 サイファーが…俺の、恋人??
 ……あり得ない。
 俺、もしかして、まだ眠ってるのか?
 試しに何度か瞬きしてみても、目の前の憮然としたサイファーは消えてくれない。
 点滴筒の中に、ぽとん、ぽとんと、雫が落ちるだけだ。
 俺は…ようやく口を開いた。
「…サイファー。……あんた、いったい何を言ってるんだ?」



 2013.04.01 / Lovefool : Squall : 1 / to be continued …