Lovefool : Seifer : 8

 いよいよ精神的疲労が溜まって来たスコールを訓練施設に誘うと、奴は強い興味を示した。
 猫じゃらしを目の前で揺らされた猫みてえなもんだ。
 午後はデスクワークを早めに切り上げて、久しぶりに手合せを楽しんだ。…そこまでは良かった。
「そろそろ上がるか」
 頃合いをみてそう声をかけたが、スコールがあんまり名残惜しそうだったのに負けて、ついもう一勝負始めちまったのが失敗だった。
 俺に打ち込みをかわされたスコールが、回転して着地した瞬間、その身体がぐらりと揺れた。
 いったんは立て直したバランスが崩れる。
 奴の片足首に無理な力が掛かるのが気になって、その手を離れたライオンハートに注意を向けるのが遅れた。
「うわっ、あぶね!」
 眼前に迫ったブレードをハイぺリオンで打ち返したのは、ほとんど条件反射だった。
 金属のぶつかる音が響き、弾かれたライオンハートの刃が、反動で俺の上腕を薙いだ。
 鋭い痛みが走る。
 とっさに反対の手の平で押さえたが、…くらりと眩暈がして、俺はその場にしゃがみ込む。
「サイファー!」
 転倒したスコールが、素早く身を起こし、こっちに駆け寄ってくる。
 クソ、…みっともねえことになっちまった。
「投げんのは反則だぜ、スコール」
 スコールの青白いツラを見上げ、俺はふてぶてしく笑って見せる。
「済まない、グリップが滑って…」
 俺はハイぺリオンを地面に置いて、傷を押さえたまま、いったんその場に腰を下ろした。
 たいしたことねえフリをしてみても、スコールの手入れの行き届いたブレードの切れ味は申し分なく…どうやら、かすり傷と呼ぶには深すぎるようだ。
「あー…情けねーな。お前本体のほうに気を取られちまった。…お前、足は?」
「俺は何とも無い。それより、あんた、腕見せろ」
 スコールは怒ったような顔でかがみ込み、出血している俺の腕を取って、布地の間から傷を覗く。
 素早く状態を確認すると、奴は迷わずその手を傷口にかざした。
 グローブの指先から淡い光が差すのを、俺は密かに、驚きをもって見守る。
 例えば、チームで戦闘中だとか、任務先で魔法のストックが少ないとか。
 そういう場面なら、こんなふうにスコールが、俺の傷を治療することも有り得るだろうが…
 切れた皮膚の表面が固まり、絶え間なく続いていた痛みがふわりと和らぐ。
「…思ったより深いな…一応、カドワキに診てもらうか」
 呟いて、俺の視線に気づいたスコールが、眉をしかめた。
「…何だあんた。気持ち悪い」
「いや…お前、そこまで俺の心配してくれんのかと思って。ケアルぐらい、俺も持ってんのに」
 奴は、薄青い目を見開いて固まり…とんでもない言いがかりをつけられたみたいにうろたえた。
「それは…、俺のせいだと思ったから…!」
 怪我をさせたショックで血の気が引いていた頬が、薄赤く染まっていく。
 俺は敢えて何も言わず、スコールが狼狽するままに任せた。
「しょうがないだろっ、記憶が無いから、どういう態度が普通なのか、俺には…」
 必死で弁明する姿に、どうしたって顔が緩んじまう。
「いや、しょーがないとかじゃなくてよ、…嬉しいぜ」
 俺は、我ながらスコールの恋人になりきって目を細め、ゆっくりと立ちあがった。
「確かにセルフィの言う通り、新鮮で、こういうのも悪くねーな」
 そう言って笑うのに、特別な演技は要らなかった。
 実際、スコールの反応は新鮮で、俺はまんざら悪くない気分だった。
 草むらに落ちたライオンハートを拾い、スコールに差し出してやる。
「…下らないこと言ってないで、保健室行くぞ」
 スコールはグリップを受け取ると、施設の入り口を目指して引き返す。
 後ろから見ても、スコールの体重の掛け方は左右均等で、歩き方に異常は無い。
 足首は何ともない、というのは本当らしい。
「へいへい。別に、そんなに照れなくたっていーのによ」
 横に並んで軽口をたたくと、スコールは黙り込んだ。
 本人は「照れてるんじゃない」と思ってるんだろうが…これはどう考えても、照れてるとしか思えねえ。
 ロッカールームに着いて、ハイぺリオンをケースに仕舞うと、横から取り上げられた。
「俺が持つ」
 奴は両手にガンブレのケースをぶら下げ、さっさと先に立って早足で歩き始めた。
 からかっておきながら、スコールの顔が見えなくなっちまうのがつまらなくて、俺は急いで追い掛ける。
「待てよ、スコール。…怒ったのか?」
「別に、…怒ってない」
 すっかり拗ねちまった横顔を覗きこむと、頬骨のあたりに、少しだけ泥が付いているのが見えた。
「待てって。…お前、顔に土ついてる」
「…」
 両手の塞がったスコールは、嫌々立ち止まり、目を伏せて、俺が顔をぬぐうのを許した。
 この俺相手に、今さらひどく緊張している様子が何とも言えず初々しくて……俺は出来る限り優しく、その頬の泥を払ってやった。

 * * * * *

 保健室の主は、俺の傷口を診ると、こともなげに断定した。
「明後日まで、ガンブレードはお預けだね」
「げっ、マジかよ、クソ」
 ちっとばかし怪我してようが、訓練はやれるだろ、と高を括っていた俺は思わず悪態をついた。
「たいした傷じゃねーだろ」
「ダメだね。ガンブレードは腕に負担が大きいんだよ。何度言ったら分かるんだい」
 利き腕でもねえのに、カドワキは厳しくそう決めつけると、 パッドの上から包帯を巻いていく。
 明後日か…。
 スコールが改造したガンブレに早く慣れるよう、明日も相手をしてやるつもりだったのに。
 それに、こうも派手に包帯を巻かれちゃ、またキスティスの説教を食らうのは必至だろう。
「そのほかは普通に過ごして構わないよ。飲み薬を出すから、きちんと飲むこと」
 カドワキは俺の機嫌なんぞ気にするふうもなく、デスクのカルテにペンを走らせてから、俺の後ろに立つスコールを見上げた。
「スコール、あんたの方は? 夕食はどうだね? 食べられそう?」
「…もう、大丈夫だと思います」
 スコールが答えると、カドワキは「そうだね、もうサイファーとやりあったぐらいだからねえ」と満足そうに微笑み、夕食を食堂で受け取るように指示する。
 そろそろ退散するか、と腰を浮かしかけたとき、「失礼しま~す」という能天気な声とともに、背後のドアが開いた。
 この間延びした声は…まさか。
「…って、あれ? スコールだ~!」
 振り返ると、呼んでもいねえのに登場したヘタレ野郎が、例のニヤケた笑いを浮かべている…。
「やあ、また記憶飛ばしたって噂、ホント? 具合はどう~?」
 実に自然な馴れ馴れしさで、ヘタレはスコールに分かりきったことを尋ねる。
「ああ…大丈夫だ…アーヴァインはどうしたんだ?」
 スコールは気まずそうに答えてから、逆にそう問い返した。
「いや~、すこーし風邪気味でね、薬もらおーかなって」
 そこでヘタレ野郎はタイミングよく、クシャミをひとつしてみせる。
 …仮病だろ!
「またかい。まったく、あんたたちは自己管理がなってないんだから」
 カドワキは眉をしかめるが、これはどう考えたって仮病だ。
 スコールが保健室に向かったのを、何処かで聞きつけて来たに違いねえ。
 だからって、「仮病だろテメエ!」と問い質せば、どうしてそんな必要があるのかとスコールが訝しむ。
「…風邪薬ぐらい、持ってねーのか」
「っと、あれっ、サイファー、怪我したの?」
 俺が診察用の丸椅子から睨みつけると、ヘタレ野郎は今俺に気づいたフリをしやがった。
「怪我ってほどのモンじゃねーよ。…カドワキ、もう行っていいか?」
「薬、持ってかなきゃダメだろ。朝晩2錠ずつだよ」
「わーった、ありがとな! おいスコール、行くぞ!」
「えっ、ちょっ、サイファー! もう行っちゃうの~?」
 慌てるヘタレを無視して、カドワキの手からタブレットの袋をひったくると、俺はハイぺリオンを持って、振り返らずに保健室を出た。
 閉まるドアの向こうでヘタレが何かぼやくのに続いて、スコールがカドワキに挨拶するのが聞こえる…そのうちに追いついてくるだろう。
 それにしても、ヘタレの奴、見に来るなって言ったのに…。
 どうせ「サイファーに気を付けろ」とか、「迫られたらきっぱり断れ」とか、そういうロクでもねえ進言をスコールにしたいんだろうがよ。
 苛立ちにまかせて廊下をだいぶん進んでから、違和感に気づいて振り返る。
 …スコールが追って来ねえ。
 俺は舌打ちして、保健室に引き返した。
「おい! スコール、何やってんだ!!」
 ドアを開け放って怒鳴りつけると、まだ並んで立ち話をしていたらしいヘタレ野郎とスコールが、妙に近い距離で顔を見合わせ、俺の悪口らしき何かをボソボソと囁き交わした。
 ったく、テメエらのそのひっつき加減の方が、よっぽど怪しいじゃねえかよ!

* * * * *

「あいつと何話してたんだ」
「何って。…風邪の具合とか」
 肩越しに見やると、スコールは、今度はちゃんと後について来ている。
「あんなへらへらしやがって、何ともねーだろ。冷やかしに決まってる」
「…あんた、アーヴィンと喧嘩でもしたのか?」
 食堂でのやり取りを知らないスコールの目には、俺のヘタレへの当たりがきつ過ぎるのか、不思議そうに尋ねてくる。
「してねーよ。…ただ、あのニヤケたツラが気にくわねーだけだ」
 あいつはああ見えて、油断のならねえ奴だ。
 俺がきっぱり禁止したにもかかわらず、執務室にスコールの様子を見に来たが、俺たちが居なくて、ガーデン内を探し回っていたんだろう。
 あの戦争以来、スコールは、仲間だったアーヴァインをかなり信用している。
 昨日までの大掛かりな作戦の詰めを奴に任せたのも、その能力を高く買っているからだ。
 あのわざとらしい仮病を、スコールが素直に信じてんのも気に入らなかった。
 そもそも…ヘタレがバラムに居着いてからこっち、スコールがあいつを「アーヴィン」って親しげに呼ぶたびに、何故かいちいちムカッとくる。
「…お前、あいつのほうが良かったか?」
「え?」
 噴水のある吹き抜けで振り返り、胸中のモヤモヤをぶつけると、スコールは面食らって瞬きした。
 そう難しい質問じゃねえだろう。
 俺はイラついて、さらに詰め寄る。
「目が覚めていきなり、男が恋人でよ。……俺より、あいつの方が良かったか?」
「…何だ、それ」
 スコールは、訳が分からない、という目で、まじまじと見つめてくる。
 …誤魔化そうってつもりには見えねえ。
 どうしてそんなことを訊かれるのかと、本当に戸惑っている顔だ。
 不意に、周りの通りがかった生徒が、遠巻きに俺とスコールを窺っているのに気づく。
 噴水の水音が、耳に戻ってくる。
「…いや、何でもねえ。…くだんねーこと訊いたな」
 俺は…何を言ってんだろーな。
 我に返って、目を伏せた。
 まるで嫉妬深い女みてぇに…この状況で、スコールに何を言わせようってんだ。
 どうせ、何もかも嘘なのに。
 スコールに背を向け、再び歩き出そうとすると、「俺は、」と後ろから声が掛かった。
「…どっちがいいなんて、考えたこともない。…それに、」
 俺は足を止め、何かを伝えようとしているスコールに、ゆっくりと向き合う。
 スコールは、言いにくそうに続けた。
「…俺は、あんたと付き合ってたんだろ?」
 この口からそう改めて正面から問われると、…心臓が騒いだ。
 これがウソだと分かったら、お前はどういう顔をするんだろうな。
 黙っていると、スコールは俯いて、ますます気まずそうに、呟くように言った。

「それなら、俺は…あんたが良かったんだろ」

 …………何だって?
 俺は耳を疑う。
 が、…とにかく、何か返事をしねーと怪しまれる。
「…お、…おう、…そうか」
 自分でも可笑しいほど、上擦った声が出た。
(俺は…あんたが良かったんだろ)
 状況からして当たり前のことだ、そう言いたげな素っ気ねえ口調。
 だが、これが当たり前だと誰が思う?
 スコールが俺にこんな事を、口に出して言うなんて。
「…違うのか?」
 スコールが目を反らしたまま、不安そうに訊いてくる。
「いや…、そうだ」
 驚きが徐々に実感に変わると…腹から愉快な気分が込み上げてきた。
 もう疑いの余地は無え。目の前のスコールは、俺が自分の恋人だったと信じてる。
 さっきの台詞、チキン野郎やヘタレに聞かせてやりてぇぜ。
「そうだよな、スコール!」
 それまでのイライラが吹き飛び、久々に晴れ渡った気分で、俺は笑った。
 そのときの俺は、単純に浮かれていて…自分が本当は何に浮かれているのかなんて、気付きもしなかった。



2013.09.01 / Lovefool : Seifer : 8 / to be continued …