Lovefool : Seifer : 6

 初めは浮かない顔だったスコールだが、すぐに書類に夢中になった。
 俺がこの光景を見るのは、実に四回目だ。
 毎回同じ時点まで戻っちまうから、一回ごとに、資料の分量は増えている。
 ひたすら無言でページをめくり続け、最新のファイルに取り掛かったところで、驚きの声があがった。
「えっ。ペンディングになってたこれ…解決したのか」
「…ああ。先月、俺様がびしっとな」
 俺の実力を疑うスコールに、「任せてみろ」と交渉して引き受けた件だ。
 とある大使館に依頼されてまもなく行き詰まり、長い間塩漬けになっていたケースだったが、最初の捜査資料に、ひとつだけ気になる記述があり、その線を引っ張ったらアタリが来た。
「信じられないな…。…俺、…もうこれは、諦めてた」
 蓋を開けてみれば、依頼通りの誘拐事件では無く、二重スパイの逃亡、という後味の悪りい真相で、被害者と目された仲間の裏切りを認めたがらない大使館側と対立した場面もあったが、最終的には調査結果を受け入れたクライアントからいたく感謝された。
 解決した当時もスコールはひどく驚いた。
 報告書にしばし没頭し、読み終えて顔を上げたスコールは、明らかに認識を改めた目を俺に向け、「これからは遠慮なく何でも振るからな」と笑った。
 …俺はひとつ息をついて、現在に戻って来る。
 一度読んだサマリーを再び興味深げに読み耽っているスコールのその横顔を、どう評価したモンか考えるのをやめ、俺は席を立ってキッチンに向かう。
 いつも通りにコーヒーを淹れようとして、そーいやアイツ、胃が弱ってんだったと思い出した。
 共用の冷蔵庫を開け、チキン野郎の牛乳パックから鍋に2杯分のミルクを注いで、ゆっくり温める。
 この一年の間に、俺の方はずいぶんとスコールには詳しくなった。
 奴の好みに合わせて、温まったミルクにブラウンシュガーを入れる。
 濃く作ったコーヒーを混ぜ合わせ、最後にシナモンを少し振った。
 ひと口味見して、ま、こんなもんだろ、と、二つのマグカップに注ぎ分ける。
 ハートでも描いてやろうか、という誘惑にかられたが、逃げられても困るのでやめておいた。

 * * * * *

 カップを持ってキッチンを出ると、スコールは感心したように決算書に見入っている。
「どうだ。思ったより綺麗なもんだろ?」
 奴は素直に頷き、ほうっとため息をついた。
「ああ。一年前より、ずっとうまく回ってるみたいだ…」
「なのにお前は、すぐに無理すんだよな」
 渡してやったマグカップの中味を、スコールはしげしげと見つめた。
「ストレートはまだ胃が無理だろ」
「……ありがとう」
 神妙に礼を言って、カップに口を付ける。
 俺もカフェオレをひと口飲んだところで、扉から、ノックの音が響いた。
「おっはよ~! ってアレ? ふたりっきり~?」
 弾んだ声で入って来たのはセルフィだ。
「おう」
 聞いてたより早いじゃねーかよ。
 しかも、全身からワクワクモードの生気がみなぎってやがる…。
「やだ~、キスティ居ると思ったのにな~。お邪魔?」
 セルフィが意味深な目配せを送ると、例の設定を思い出したスコールは、ハッと顔を強張らせた。
「邪魔だ、…って言いてえとこだが、コイツ、またリセットされててよ」
 一応説明するフリをすると、セルフィは満面の笑みを浮かべてもっともらしく頷き、そのままスコールの向かいの席にすとんと座った。
「聞いたよ~! はんちょってば、また忘れちゃったんだって?」
「…またって言われても。覚えてないんだ」
「あ~、そうそう、前んときもそう言ってた!」
 セルフィの屈託ない返事に、スコールは気まずそうに俯く。
「な。やる気失せるだろ?」
 中途半端なフォローよりいいだろ、と冗談めかして混ぜっ返すと、セルフィは身を乗り出して来た。
「ん~、でもほら、そのたび新鮮でイイかも~?」
「くぉら。他人事だからって、気楽なこと抜かしやがってよ」
 俺が軽く睨みつけるのに、「へへへ~」と笑って誤魔化してから、セルフィはおもむろにデスクチェアごとこちらへ向き直り、上目づかいに俺を見上げる。
「ね~、もとはんちょ。コーヒー、あたしも欲しいな~」
「何い?」
 …これは、スコールとふたりになりたいってサインだな。
 いたたまれない表情で、机上の書類に目を落としている指揮官をからかうのに、またとない機会なのは間違いねえが…。
「ね~、お願い!」
「しょーがねえなぁ…」
 この企画はもともとセルフィのもんだ。俺はしぶしぶ席から立ち上がる。
 スコールに気づかれないよう、(あんま虐めんなよ)とアイコンタクトで釘を刺すと、セルフィは(わかってま~す!)と信用出来ねえ目顔で応えた。
 俺はキッチンに入り、再び鍋に牛乳を注いで、火にかける。
 まあ、俺も変な書置き残したりして楽しんでんだから、人にどうこう言えねーが。
 ぶっちゃけ、どうも俺は昔から、自分がスコールを虐めたりからかったりすんのはいいが、他の奴が同じことすんのは気に入らねえんだよな…。

 * * * * *

 さっきより砂糖を多めに仕上げたマグカップを持って部屋に戻った俺の目に、スコールがぐったりと机に俯せている光景が飛び込んできた。
 なっ…。
「おい、スコールどうかしたのか? セルフィ、お前何したんだよっ」
「え~!? なんにもしてないよ~!」
 セルフィはさも不思議そうに、小首を傾げてしらばっくれた。
「んなわけあるか!」
「う~ん…お話してたらなんか…気がとーくなっちゃったみたい??」
(お前、虐め過ぎんなって言ったじゃねーかよ!)とセルフィをひと睨みして、俺はダウンしているスコールに呼びかけた。
「こら、スコール! しっかりしろ!」
 返事が無い。
「まだ仕事が残ってんだろが!」
 仕事、の切り札は効いたらしく、スコールは、デスクからのっそりと顔を上げた。
 …ひでえツラだ。
「あ、生き返った~」
 セルフィは、デスクに両肘ついた頬杖で弱りきったスコールを観察し、目をキラキラさせてやがる。
 悪魔かお前は…。
 まあ、そう言う俺もそれに加担してんだけどよ…。
「お前、それ飲んだら帰れ」
「え~? やっぱりお邪魔~?」
「おう、やっぱり邪魔だった」
 とにかく、これ以上ひっかき回すのはやり過ぎだろ、と俺はセルフィを追い帰しにかかるが、向こうもなんとか粘ろうとする。
「む~。せっかくなんか手伝ったげよかと思ったのに~」
「ウソつけ、どうせ冷やかしだろ」
「それもあるけど~」
「やっぱそーじゃねーかよっ」
(もう帰れよ!)ってオーラを出して凄んでも、敵もなかなかあきらめねえ。
「だって~、気になるも~ん! ちゃんと仲良くしてるかな~?って」
「ガキが要らん心配すんじゃねえっつの」
 応酬の合間に、「仲良く」の微妙なニュアンスの流れ弾がハタで聞いてるスコールに命中して、奴はうっと息を呑んだ。
「はんちょ、だいじょぶ~? 眉間、すっごい縦ジワ」
「…大丈夫だ。悪いが、資料の続きを読ませてくれ」
 どう見ても大丈夫に見えねえスコールが、どうにか指揮官の威厳を取り繕ってそう答える。
 セルフィは不審そうにその顔を覗き込んだ。
「そうかな~~?」
 そうかな~~?じゃねえだろ!
「あ~あ、もとはんちょがコワイ顔するから帰ろ~っと」
 俺が本格的に睨みつけると、セルフィはむくれて席を立った。
「これから来週のシフト組み直すけど、お前、まだあんま言いふらすなよ」
「了解で~っす。じゃ、はんちょ、もとはんちょ、ごゆっくり~♪」
 セルフィはにこやかに手を振り、こっそり俺にだけ「もとはんちょのケチ!」と抗議を込めた視線を投げて、ドアの向こうへ消えた。

 やっとうるさいカントクが退場して、これで仕事に集中できるハズだったのだが。
「…どうかしたのか?」
「な、何が?」
 目が合ったスコールは、逸らした視線を宙に彷徨わせた後、思い出したように手元の書類に落とす。
「さっきから、ちらちらこっち見てよ。何か聞きたいことでもあんのか?」
「い、いや、特には」
 否定する声は上擦り、目元がうっすらと赤く染まっている。
 へー…。これは、かなりイイ反応なんじゃねーの?
 セルフィからまた何か新しいネタを吹き込まれ、だんだんあの嘘を真に受け始めてるんだろう。
 チキン野郎は、こんな無茶な設定、スコールが信じるわけねーとか決めつけてたが…この態度は、俺を意識してるとしか思えねえ。
「ふーん。その割には、進んでねえみてえだけど?」
 一歩踏み込む俺に、スコールはますます深く俯いた。
「…まだ頭が上手く動かなくて…」
「ま、昨日の今日だもんな」
 もう一歩押すにはまだ早い、と俺は判断し、腕の時計の文字盤に目を遣った。
「ちょうどいい時間だし、昼メシに行くか。お前、食えそうか?」
 ファイルを閉じて尋ねると、スコールは少し考え、「…ああ」と答えて席を立つ。
 食堂に向かう間、スコールは黙って、おとなしく俺の後ろについて来た。
 顔を合わせた途端に逃げられた今朝と較べたら、えらい進展ぶりだ。
 なんつーか…思ったより悪くねえな、こういうのも。
 先を歩きながら俺は、奇妙に気分が浮き立っていたが…その理由を、深くは考えなかった。



2013.08.10 / Lovefool : Seifer : 6 / to be continued …