「そんで、マジな話だけどよ、この後どうする?」
おふざけの企画はさておいて、俺は廊下を歩きながら、キスティスに現実的な話を振った。
いつの間にか日が暮れて、並ぶ窓の外は真っ暗だ。
食堂から寮に帰る生徒の集団とすれ違うたび、男子も女子もばらばらとセンセに会釈を送ってくる。
「そうね…緊急の割り振りは、明日8時までは予定通り、わたしでいいわ。レベル3までは、スコールは外して…セルフィの班のタスクも、今夜中には終わるでしょうし」
「分かった。明日の緊急連絡は」
並んで歩くキスティスは、眼鏡の赤いフレームを直しつつ、少し考え込む様子を見せた。
「16時まであなた、16時から8時まではわたし、でどう?」
俺は彼女の簡潔な割り振りに頷いた。
「それでいい。…今までのパターンからして、あいつ、明後日には戻れるか」
「そうね。でもあなた、今回は体力的な問題もあるんだから、すぐに訓練、とかはやめてね?」
この間みたいに、とキスティスは俺の思惑を見透かして先回りする。
俺は毎回どうしても、ガンブレを握れば、スコールも記憶が戻るんじゃねえかって気がしちまうんだ。
記憶喪失の原理を考えればまるで逆効果だし、実際にはそんな奇跡は起きねえって、俺も身に染みて分かって来ちゃいるが…。
「そうかぁ? カドワキはそんな事言ってなかっただろ?」
俺がとぼけてみせると、白衣のキスティスはムキになって声を張り上げた。
「駄ー目ーよ!ホントはしばらくライオンハートを取り上げたほうが、あの子も懲りると思うのに」
そうやってすぐあなたが施設に連れ出しちゃうんだから、とセンセはレンズを光らせて俺を睨む。
「そりゃそうだけどよ…なるべく早く、あいつが動けるようにしとかねえとってのもあんだろ?」
「もっともらしいこと言って。あなたはただスコールと遊びたいだけでしょ」
俺の建前を一蹴し、センセはそうぴしゃりと決めつけた。
「…ま、そう言われっちまうと、そのとおりなんだけどな」
相部屋の前に着いたところで事実を認め、俺は扉のロックを解除した。
「とにかく駄目よ! スコールはまだ病人なんだから、ゆっくり様子見てあげなくちゃ」
「ああもう、わーったっつーの」
リビングを横切り、スコールの寝室のドアを、一応ノックする。
返事はないが、キスティスは迷わずスライドドアを開けた。
「スコール、居るんでしょ?」
たっぷりとウソを吹き込まれたスコールは、冴えない顔色で寝台から俺たちを見上げた。
「気分はどう?」
尋ねるまでも無いことを尋ね、センセは「点滴、終わってるわね」と、スコールの腕から注射針を抜いて片づけを始める。
「お腹空いてるでしょうけど、今日はまだ食事はやめておいた方がいいらしいわ。今夜じゅう安静にして、明日の朝食から消化に良いものを食べてね」
「…ああ」
力なく答えるスコールに、キスティスは微笑みかけた。
「それじゃスコール、何か必要なものがあったら、サイファーに頼んでね」
…サイファーに、に置かれたアクセントに悪意を感じる。
「……分かった」
これまた口先だけでスコールが返事をすると、センセは俺の肩を軽く叩いた。
「ほら、ふたりでよく話し合ってちょうだい。あなたたち、どっちも欠けたら困るんだから」
キスティスはスコールに見えねーように、素早く俺にウインクし、点滴装置を引いて退場した。
さて、ここからが問題だ。
忘れられた身としちゃあ、更に怒ってみせてもいいが…。
針を抜かれた腕に貼られた、アルコール綿を気にするフリをしているスコールを見下ろす。
もし俺が本当に、コイツの恋人だったら…どうするかな。
ゆっくりと思案を巡らせながら、スツールに腰を落ち着けた。
俺が近づくと、横たわったスコールがひどく警戒するのが分かって、思わず口元が綻びそうになるのをぐっと堪える。
「別に取って食いやしねーよ。んなにびくびくすんな」
「…びくびくなんてしてない」
ウソつけ。引きつったツラしやがって。
ちらりとチェストに目をやると、わずかにずらしてあった引き出しが、ぴったりと閉められている。
早ええな。もうアレに気付いたか。
どうやら、スコールは既に引き出しを開けたらしい。
さぞや心臓に悪かっただろーな。発見した瞬間の顔が見たかったぜ。
俺はニヤつきそうになる頬を、必死で引き締めた。
ネイビーのパジャマの色が映ってか、スコールの顔色はいつもより青白い。
コイツはこの手の話を、笑って片付けられるタイプじゃねーし…。
ここは引くか、と俺は抑えたトーンで口を開いた。
「スコール。さっきは怒鳴って悪かったな」
「…え」
設定の件は、ひとまず避けた。
もし、俺が本当にスコールの恋人だったら、そうしてやるだろうと思ったからだ。
アレを現実として受け入れるには、どうしたって時間が要る。
「ともかくお前は、チキン野郎のチームを助け出したんだ。記憶を失くしたのは、任務の遂行を最優先にした結果なんだろ」
理解ある口調でフォローするが、スコールは返事も出来ずに黙りこくっている。
そりゃそうだ。覚えてねーんだもんな、お前。
「…しょうがねえよな、お前はそういう奴なんだから。…だけどよ、わかってるつもりでも、やっぱりこっちとしちゃあガックリくんだよ」
本音を挟むと、スコールは低く「済まない」と呟き、真っ白な顔で起き上がろうとする。
「起きんなよ、寝てろ」
俺の保護者染みた言葉に、スコールは落ち着かない顔をしながらも、素直に身を横たえた。
「カドワキが、まだ寝かしとけってよ。ま、ゆっくり休め。明日は公休日だ。緊急でもレベル3までは俺かセンセが対応する。お前には回らないようにしといたからよ」
「…ああ」
俺は言いてえ文句を我慢する恋人に相応しく、ほどほどに素っ気ない態度で椅子から立ち上がった。
「じゃーな。俺は部屋に居るから、なんか用があったら呼べよな」
「…サイファー」
立ち去ろうとする俺を、スコールがためらいがちに呼び止めた。
「…なんだ?」
呼び止めておきながら、ベッドの上のスコールは目を反らす。
あまりに言いにくそうな様子から、「これまでの関係は、無かったことにしてくれないか」とでも言い出すのかと思い、俺はスコールの次の言葉を身構えて待ったが、予想は外れた。
「…その…手配、ありがとう」
とにかく、それだけは言わなきゃいけない、という、いじらしい努力が見てとれた。
コイツはコイツなりに、あのウソのことも含め、真剣に考えてるんだろう。
「なあ、スコール」
「…何だ」
「やっぱり、なんにも…思い出せねえのか?」
俺は未練たらしく、もう一度訊いた。
せめて、何か少しでも思い出したなら、きっとそれを手がかりにして、他の記憶も取り戻せる。
こんな芝居だって、しなくていいんだ。
何かひとつぐらい、この二ヶ月の出来事で、お前の中にひっかかって残ったモンはなかったのか?
スコールは深刻な面持ちでしばらく考え込んだ後、…気まずそうに「済まない」と繰り返した。
…やっぱ無理か。
俺は、ため息をついた。思ったよりも落胆している自分が、少し可笑しかった。
まあ、分かっちゃいたけどな。…残念だぜ。
俺も残念だが、スコールも気落ちしている。平然としていた過去のケースと較べると、えらい違いだ。
「そうか。ま、どうしようもねえよな。おやすみ」
俺は形だけ笑ってみせると、スコールの部屋を出て、スライドドアを閉じた。
キッチンに入って、冷蔵庫を開ける。
スコールは食欲ゼロって顔だった。どういう訳か…俺も空腹を感じない。
ミネラルウォータのボトルを取って、中身をグラスに注ぎながら、スコールは、何回こんなことを繰り返すんだろうな、とぼんやり思った。
これじゃ、人間関係ってモンが一切進展しねーだろ。
まあ、だからこそ今、こういう馬鹿げた芝居を打ってるわけだが…。
俺はグラスを干した。
乗りかかった舟だ。とにかく…最後までやってみるか。
今のところ順調と言っていいだろう。
少なくとも、スコールに反省を促す、って狙いは驚くほどハマっている。
今夜には監督のセルフィが出張から戻ってくるし…。
スコールのあの心細げな顔が、何処か懐かしい気がした。
そう言えば子供のころ、一時期のスコールは、いつもあんな顔をしていたっけな。
「…んじゃ、明日もよろしくな、スコール」
俺はリビングの明かりを消し、薄闇の向こうの閉じたドアに向かって、小さく呟いた。
2013.07.28 / Lovefool : Seifer : 4 / to be continued …