セルフィ監督に連絡すると、早速ゴーサインが出て、俺はスコールのチェストにブツを仕込んだ。
使いかけのゼリーのチューブと、ゴムの箱。
これの意味するところは、スコールにも理解出来るはずだ。
以前、中等部の寮の私物検査のときに、この俺が教えてやったんだから間違いねえ。
分かりやすいよう、つい先日の押収物コレクションから、同じメーカーのものを選んだ。
ベッドサイドのチェストの引き出しを、少しだけ隙間を残すようにして閉めると、この後どんな目に合うかも知らず、すやすや眠ってる寝顔を見下ろした。
コイツ…ビビるだろうな。
チューブの用途を知ったときの、スコールの引きつったツラを思い出す。
その日、寮の所持品検査に立ち会った後、俺たちは会議室で担当教師が来るのを待っていた。
当時、スコールは指揮官として、ガーデンのさまざまな業務の実態を一通り把握するため、各クラスの授業だの、訓練施設のバックヤードだのを見学して回っていたのだ。
(ったく、風紀委員の奴、どこまで呼びに行ってんだろーな)
(ああ…遅いな)
手持無沙汰なスコールは、会議机の上に置いたコンテナを覗き込み、没収された携帯用のゲーム機やグラビア誌なんかに混ざって入っていた、透明なチューブを手に取り、しげしげと見つめた。
(ああ、それな。俺もそっちのシュミは分かんねーな)
それにしたって、中等部のガキどもにゃまだ早え遊びだよな、と俺が呆れてみせても、スコールはまだ腑に落ちない様子で、チューブの成分表示を読んでいる。
(…これは何だ?)
無心な顔で訊いてくるのに、思わず笑っちまった。
(お前、そういうの…何に使うか、マジで知らねーの?)
親切に説明してやると、スコールは絶句した後、慌ててチューブを箱に放り込んだ。
(…)
ふたりきりの部屋で、露骨に動揺したのが気まずかったのか、スコールは何か会話をしなければと思ったらしい。
しばらく思案した末、軽く咳払いして俺に尋ねてきた。
(そういう物って…その、そんなにポピュラーというか…、普通に寮で見るものなのか?)
(まあ、俺は風紀委員長だったからな。寮のシャワールームとか、トイレとかでサカッてるヤツらを取り締まったこともあるしよ?)
(…)
奴は再び黙り込んだ。
なんでも他人事で済んだ昔と違って、いまやスコールはガーデンの指揮官だ。
乱れた実態を知って、ショックを受けたのか…顔色が悪い。
おいおい、大丈夫か?
昔からスコールは下ネタが嫌いで、その手の知識がどんだけあんのか分からねえところがあるが…
(なんだよ。まさか、今日初めて、ゲイもそーゆーことするって知ったわけじゃねーだろ?)
(そうじゃないが…こんな身近に、現実にある話だとは思わなかった…)
(ずっと男子寮に居たくせに、鈍い奴だな。お前なんか、けっこう男も寄ってくんじゃねーのか?)
スコールはムッとした顔で俺を睨んだ。
(いくら変なのが寄ってきたって、そんな具体的な事まで考えるわけないだろっ)
当時、スコールはまだリノアの騎士だった。
リノアの前にも後にも、付き合っている女の気配は無いが、単に恋愛に疎いだけで、男が好きなんてあり得ねえ。
俺の仕込んだ偽の物証を見つけたら、相当に驚き、かなりのダメージを食らうだろう。
ちっとばかし気の毒な気もしないでもねえが…スコールにこのトンデモ話を信じさせるには、これが一番手っ取り早い。
なに、実際ヤるわけじゃねーし、2、3日悩むぐらい、どってことねーだろ。
「…つーか、俺も出来ねえけどな」
いくらスコールが整った顔してるっつっても、やっぱりどう見ても男だ。
だいたい、五つやそこらのガキの頃から知ってる奴相手に、そんな気、突然起こしようがねえし…
淡いピンストライプの枕に頭を載せたスコールは、軽い寝息を立てている。
俺はベッドサイドに置いたスツールの上で足を組み、改めて見慣れた上司の顔をじっくり検分した。
まあ…、顔は良いよな。
パーツの配置も造作も、これといった欠点が見当たらねえ。
きっと母親はたいした美人だったんだろう。
それに…こうして眠ってると、可愛く見えなくもねーな…。
半開きの唇を眺めて、キスぐらいなら出来ねえことねーか…といつのまにか真剣に検討している自分に気づき、はたと我に返った。
待て待て待て。
こんな身内のおふざけ企画で、何もそこまで役作る必要ねーだろ。
俺はスコールの寝顔から視線を外して、持ってきた雑誌をめくり始めた。
まったく…気を付けねえとな。
俺はどうも…油断すると、演じる役にのめり込み過ぎちまうみてえだ…。
* * * * *
その後、カドワキの往診でもスコールは目を覚まさず、夕方になって、ようやく意識を取り戻した。
予期してはいたが、「設定」に対するスコールのリアクションは、実に酷いものだった。
「…………嘘」
「嘘じゃねえ」
「冗談」
「冗談じゃねえ」
「そういう任務」
「んな任務あるかっつの」
ベッドからパジャマ姿の半身を起こし、奴は眉間に縦じわを刻んで考え込んだ。
「…実はあんた、女だったとか」
テメエ、なめてんのか? そんなファンタジックな可能性にまで縋りつくなよ。
「…そう見えるか?」
「…残念ながら」
ちらりと俺を一瞥してそう言ったきり、また死にそうな顔で押し黙る。
…。
…。
…。
コイツをこのまま待ってたら、世界の終わりまで固まってんじゃねーのか?
しびれを切らした俺は、苦悩するスコールの顔を覗き込み、返事を促す。
「納得したか?」
「待ってくれ。こんな、突拍子もない話を…すぐに納得出来るわけ無いだろう」
まあ、そうだろうけどよ。
「んじゃ、どーすりゃ納得すんだよ。キスでもするか?」
軽い冗談のつもりで言ってやると、スコールはベッドの上で、もの凄い勢いで後ずさった。
「待て!! あんた、怖いこと言うなよ!」
…。
この反応には、ちょっとムカついた。
テンパったスコールは俺と反対側の壁にびったりと身を寄せ、頬を引きつらせている。
…なんだよ、そんな大袈裟な。
まるでケダモノに襲われる処女みてえな、怯えきった顔しやがって。
「お前、怖いってことねーだろ。現に付き合ってたんだしよ」
たかだかキスひとつが、そこまで本気で無理なのかよ。
戦場でドラゴンに囲まれたって顔色ひとつ変えねえくせに…いくらなんでも、俺に失礼じゃねーか?
「……それじゃ、本当にそうなのか。本当に、冗談抜きで…」
恐怖に震える声で、まだ疑う。
「何でまた…男の…、よりによってあんたと」
今度は、芝居抜きでイラッと来た。
(だけど、スコール信じるかぁ? まだアーヴァインのほうがありっていうか…)
チキン野郎に言われた、気に入らねえセリフが耳に甦る。
そりゃ、嫌だろう。
目が覚めていきなり、男が恋人なんて名乗ったら、驚くだろうけどよ。
そうか。
「よりによって」俺か。
俺は大きく息を吐いた。
「…分かった」
立ちあがったついでに、スツールを蹴り倒した。
シナリオにはねえアクションだが、気分としちゃ足りねえぐらいだ。
「あーあー、よーおく分かったぜ。そこまで不満か」
腹の底から沸々と怒りが湧いてくる。
「俺が恋人じゃあガッカリか。そうかよ」
よりによって俺で悪かったな!
「え…」
ベッドのスコールは、困惑して俺を見上げてくる。
え、じゃねーよ。お前、要するにそーゆーことを言ってんだろうが。
しかもまた、キレイさっぱりリセットかよ。
この2ヶ月の間に、こっちはお前と…それなりに打ち解けたつもりだったのに。
「いや、その、サイファー、不満とかそういう以前に…」
スコールはたどたどしく弁解しようとするが、俺の怒りは収まらねえ。
「お前って奴は、どこまで薄情なんだ! ひとのこと、何度も何度もお気軽に忘れやがって…!」
どうせ、俺と昼飯食いに行く約束したことだって、忘れちまったんだろ。
お前があんなこと言うなんて初めてで、…俺は、結構楽しみにしてたんだ。
「俺が今どんな気持ちで居ると思う、ええ!?」
「そんなこと言われても…」
まるっきり被害者ヅラなのがムカつくぜ。
2ヶ月前、記憶を失くしたお前が「あんたが補佐官?」と不信感丸出しで訊いて来やがったのが悔しくて、バリバリ働いたのがバカみてーだ。
「もーういい…テメエみたいな尽くしがいのない奴、こっちから願い下げだっ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれサイファー、だって、記憶が…」
だってもクソもあるか。
「昨日まで、あんなに愛し合ってたのに…やってられるか、バカヤローっ!」
初めて台本読んだときには「こんなん言えっか」と思った台詞だったが、かなり心から言えた。
ったく。ちょっとは思い知れ!
俺は戸惑うスコールを残して、足音荒く部屋を出た。
キスティスの待つ執務室へ向かう途中、行き会った生徒が、怯えた顔で廊下の脇へ避けた。けっ。
執務室に入った俺の顔色をデスク越しに一目見るなり、キスティスは肩を竦めて笑った。
「どう? スコールの様子は」
「どーもこーも」
俺は自分のデスクチェアに、どさりと腰を下ろした。
「かんっぜんに、また一年前に戻ってるぜ」
「…そう。それであなた、自分が恋人だって言ってみた?」
「おう、ほぼ台本通りにな。あいつ、訳わかんねえって顔してた。いい薬だ」
「セルフィ、すっごく悔しがってたわよ。『こんなときに出張なんて~!』って」
「まさか、本当に『こんなとき』が来ちまうとはなぁ…」
俺は頭の後ろで腕を組み、天井を眺める。
キスティスは読んでいた資料を閉じて、ため息をついた。
「結局、最後はスコール任せになっちゃうからこうなるのよね」
「いーや。あいつがひとりで突っ走り過ぎっからだろ」
スコールに対する苛立ちで、まだ胃のあたりがムカムカする。
「トラビアだって、もっとたくさん連れてきゃ良かったんだよ。盾代わりでもなんでもいーから」
俺はいまさら言っても仕様がねえ不満をぶちまけた。
「そもそも、向こうのガーデンに、もっと兵隊出せって言ったって良かったんだろ」
「…そうね。だけど、…自分じゃなきゃ不安なのよ」
俺の剣幕に、いつもは先頭切って説教するキスティスが、逆にスコールをかばった。
センセだって皆だって、奴がどうしてそうなるのか、本当は、理解出来ねえわけじゃねえんだ。
「ヘンに背負いこみやがって。だから、いつまで経っても…」
俺は言葉を切った。
不意に、何が気に入らねえのかがハッキリして、嫌になった。
「バカバカしい。忘れたきゃ、忘れりゃいーんだ。こんなん、やめよーぜ」
「まあ、投げやりになっちゃって」
キスティスは憐れむように微笑んだ。
「…あいつは一年前のことは忘れねえんだ。リノアと別れたことは覚えてる。大事なことだからだ」
「ええ」
「その後のことは忘れちまう。…あいつにとっちゃ、どーでもいいことだからな」
「…そうね」
キスティスは落ち着いた美しい声でそう答え、席から立ち上がった。
「…電話、掛けんのか?」
「ええ」
「信じねーぜ、どうせ」
「そうかしら? この間のあなたの作戦、説得力があったから試してみたいわ」
やる気をなくした俺の言葉にも削がれることなく、キスティスはチェアに掛かっていた白衣を広げ、ポケットから薄い電話を取り出す。
「…また研究か? センセも飽きねえな」
「そうよ。スコールはわたしに興味無いのかもしれないけど、わたしはスコールに興味あるから」
キスティスはそう言って、実に優雅に微笑んだ。
赤い口紅の完璧なスマイル。…そうしなければ隠せない何かが、裏側にある笑顔だ。
「…センセ、もしかして…ホントは結構怒ってんのか?」
「あら、知らなかった? わたしは最初から怒ってるわ」
笑顔のままそう答えたキスティスは、携帯のパネルを淀みなく押し、耳に当てて応答を待った。
「ちょっとスコール!」
台本通りに、キスティスが怒鳴る。
「あなた、サイファーに何言ったのよ!!」
…思ったより怖ええな。
こうやって二人がかりで怒られたら、普段のスコールなら、逆切れするかもしんねえ。
だが、今回は「俺が恋人」要素が入って弱ってるはずだ。
あいつは、恋愛に根強い苦手意識がある。
多分、今頃はぐるぐる考え込んでるだろう。
実のところ、いまだに少しは気が咎めねえでもなかった。
スコールはスコールなりに…仲間の事を思ってやったことだ。
今回で言えば、もちろんチキン野郎のチームのこともあるが、徹夜明けで消耗したヤツらを引き連れていけば、経験の浅い連中のなかに犠牲者が出るかもしれないと踏んだのだろう。
だが、このままじゃ、またあいつは事故を繰り返す。
そのたび、周りの人間は思い知らされる。
あいつと何をしても、どんな言葉を交わしても、数か月後には跡形もなく消えちまう。
こっちがそれをどう思おうが、お構いなしに。
「…って、ちょっと、スコール…スコール? …切られちゃったわ」
電話口でまくしたてていたキスティスが、俺を振り返った。
「…浮かない顔ね。…やっぱりやめる?」
「いや、やめねーよ。例えこの企画でスコールが怒ったって…」
俺は自分の席から立ち上がった。腹は決まっていた。
「これであいつが気に掛けるようになりゃ、リセットが無くなる。逆に何の効き目も無ければ、遠からずまた全部水に流れるんだ」
「そうね」
「どうせあいつの中に何にも残んねえなら…一回ぐらい失敗したっていいだろ」
「そうよね」
キスティスは手首の時計の文字盤に目を遣り、時間を確かめた。
そろそろ点滴も終わっているはずだ。
「…じゃ、ぼちぼち行くか。…ま、せいぜい悩んでもらうとしよーぜ」
「サイファー、もっと怒った顔してよ。恋人が自分のこと忘れちゃったのよ?」
キスティスが白衣を羽織りながら俺の顔を見上げ、赤いフレーム越しに目配せする。
「そうだな…」
この2カ月のことを思い返せば、じわじわと怒りも湧いてくる。
このところ、スコールは確実に俺を信頼し始めていた。
つい一ヶ月前、ずっと塩漬けになってた事件を俺が解決したとき、スコールは大いに驚いた。
以来、業務の上でも、俺に重要な仕事を任せてくるようになった。
それが…全部白紙だ。
また一からドミノを積まなきゃなんねえ。
「そうだな。…怪しからん野郎だ」
セルフィやキスティスの言うとおり、俺の態度が変わったせいかもしれねえが…今回、俺はスコールと、今までにない関係を築きかけてる気がしていた。
だが、それも結局、スコールには要らねえ記憶だった訳だ。
「そうよ。そのぐらいの顔で行きましょ」
腕組みしたキスティスが、満足そうに微笑む。
俺は及第点の出たツラをキープして、廊下へのドアを開けた。
2013.07.21 / Lovefool : Seifer : 3 / to be continued …