その夜、俺はスコールの苦しげな唸り声で目が覚めた。
梯子の横木をひとつずつ静かに踏んで、床に降りる。
2段ベッドの下段のフレームに斜めに腰掛けて、あいつの顔を眺めながら、ちいさく歌い始める。
そのぐらいの年頃になると、俺もこの行為が傍目にはいささか異常であることを、強く意識するようになっていた。
スコールももうそこまで子どもじゃない。
放っとけばいいんだ、と昼間は思うのに、夜になると枕元に座ってこうして髪に触れている。窓からの月光に浮かび上がったスコールの寝顔が、ゆるゆると和らいでいく。
もうすぐ、また部屋替えがある。
俺の居ない部屋では、一晩じゅう悪夢に苦しんでいるのか、と髪を撫でながら思う。
何がそんなに苦しいんだ、スコール。
疲れ果てた寝顔は、得体の知れない何かに憑りつかれているように見えた。
そのとき、スコールの唇から微かなうめきが漏れた。
「ん、…」
その呼吸が、止まった。ぎゅっと瞼に力が入った。
…しまった。起こしちまった。
久しぶりの失敗だった。指に力が入り過ぎていたのかも知れない。
久しぶりな分、余計に気まずかったが、これまでどおり歌を続けた。
スコールの寝顔がみるみるうちに緊張していくのが分かった。再開した呼吸が速い。
髪を撫でてやる俺のほうも、何故か動悸がせわしくなってくる。
おかしい。こんなこと、別に今までだって、何度もあったことなのに。
目を瞑ったあいつが、どんどん深刻な表情に変わってゆくのを見て、俺は歌をやめた。
この状況を、居心地悪く感じているのは間違いなさそうだった。
「スコール」
名前を呼ぶと、あいつの閉じた睫毛が、びくりと震えた。
「起きてるんだろう、お前」
スコールは答えない。
俺は知りたかった。
でも、何を知りたいのか、自分でも良く分からなかった。
「…まだ寂しいか?」
それもずっと聞きたかったことには違いなかった。
スコールは答えない。
俺の前に目を閉じた顔を晒したまま、黙ってじっとしている。
お前はいつも知らないふりだ。
何を考えてるんだ、スコール。
自分が何をしたいのかも分からないまま、吸い寄せられるように、あいつの額に唇を近づけて、
キスした。
唇を離すと、薄暗がりのなかでスコールが目を見開いて俺を見ていた。
見ているが、何も言わない。
髪を触るだけじゃなく、この俺が、自分の顔に勝手にキスしたっていうのに。胸の奥から、苛立ちに似たものがじわじわとこみ上げてくる。
「何とか言えよ、スコール」
「……寂しくない」
ほとんど詰問のような俺の言葉に、小さな声でスコールが答える。
さっき自分で尋ねたことの答えだというのに、俺は、もどかしくてたまらなくなる。
けれど、何をどう訊いたら、欲しい答えが聞けるのか。
スコールはその一言きりで、また黙っている。
俺を見上げてくるふたつの瞳。
「本当か?」
適切な問いを思いつかないまま、重ねて聞いても同じだった。
スコールは小さな声で、本当だ、と言うだけだった。
そうか、と答え、俺は梯子を登って、自分のベッドに横たわった。
見えない壁にぶつかっているようだった。
クソッタレ。胸の中で毒づく。
苦しかった。
自分が何を求めているのか分からない。
ずっと続いていた、暗黙のルールを破ったことだけは確かだった。
明日の夜、スコールがうなされても、もう俺に歌は歌えない、と思った。
それから数年が経った。
体格に見合わないガンブレードを選んだせいもあって、年少クラスでのスコールは、お世辞にも強い方とは言えなかった。
それでもスコールは、教師の反対を押し切ってガンブレを頑固に使い続けた。
そうした日々のストイックな鍛錬の成果があってか、どこか弱っちい線の細さのあったあいつも、少しずつ体が出来上がっていき、中等部に進級する頃には、実技の訓練でも頭角を現すようになってきた。
「お勉強好きの人形みたいな奴だと思ってたけど、あいつ、意外と強いじゃん」
そんなスコール評を聞くこともあった。
もともと成績優秀なことでは一目置かれていたが、周りもだんだん色気づいてきて、あいつの見栄えの良さに興味を惹かれる奴も出てきた。
6時限目の選択授業が終わって、人が散り始めた教室。
「お前さあ、なんでそんなに付き合い悪いわけ? 俺たちじゃ話にならないって?」
いつの間にか、中等部では五本の指に入るほど強くなったあいつに、男子生徒ふたりが絡んでいる。
強引な遊びの誘いに、スコールは興味なさそうに目を伏せた。
「別に。独りで居るのが好きなだけだ」
教科書を重ねてバンドで止めながら、抑揚のない声で答える。
「また自主練かあ? お前、制限時間の規則破ってジャンクションしてるらしいじゃん」
「あれ、繋げすぎると、大事なことまで全部忘れちゃうって噂、知らないのかよ」
「大事なことなんかない」
静かにスコールは言った。
強くなることより、大事なことなんか、俺にはない、と。
「ちぇっ、なんだよ、寂しい奴だな!」
ひとりが言い放って、スコールの顔がすうと白くなった。
「そうだぜ。寂しいこと言ってないで、たまには付き合えよ」
上背のあるもうひとりが、スコールの腕を掴もうと手を伸ばした。
「触るなっ!」
スコールがその手を鋭く振り払った。
「…なんだよ、お前、その態度。そんなんだから友達のひとりも居ねえんだろ!」
振り払われた奴が気色ばんだところで、俺は後ろから割って入った。
「よう、スコール」
あいつにまとわりついていた奴らがこちらを振り向いて、ぎょっとした顔で後ずさる。
当時の俺は、その粗暴さでさらに悪名を轟かせていた。
実技の授業だけは学年をスキップして、SeeD候補生を相手にしていたが、その候補生連中でさえ、加減を知らない俺との訓練試合を嫌がるほどだった。
スコールは驚いて目を見開いている。
俺が自分に声をかけたのが、信じられないようだった。
「そんなに強くなりてえんだったら、俺が手合わせの相手してやろうか?」
スコールはぱちぱちと何回か瞬きして、頷いた。
「…ガンブレードを取ってくる」
「おう。施設で待ってるから、早く来いよ」
あいつは素早く教室を出て行った。
あいつの同級生どもがおたおたしているのをひとつ睨み付けてやってから、俺も教室を出て、自室でガンブレを回収し、施設へ向かった。
そのときはまだ、俺とスコールの間には覆しようのない実力の差があり、何度やってもスコールは負けた。
悔しそうに顔を歪めるのを見て、俺の背筋にぞくりと快感が走った。
こいつ、本当に俺に勝つ気でいやがる。
上等だ、と俺は愉快になり、気分良く剣を振るった。楽しかった。
思ったよりもスコールは強かった。
俺の動きの意図があいつには判るらしく、こちらが驚くほど巧妙な反撃をしてくる場面もあった。
しかし、肝心の体術が追い付いていない。基礎体力もまだまだだった。
次第にあいつがボロボロになってきて、ガンブレを持つ手の握力が足りなくなったのを見てとり、俺が終わりにすっか、と声をかけると、スコールは俯いて押し黙った。
口を開かないのを見かねて、「なかなか面白かった。またやるか?」と水を向けてやると、あいつは弾かれたように顔をあげ、「いいのか、サイファー」と聞いてきた。
お前はなんでいちいち驚くんだろうな、と俺は思った。
俺が昔からずっと、お前だけを特別扱いしていることを、まるで全然知らないみたいに。
後から分かったことだが、スコールはそのとき既に、少しずつ記憶を失っていた。一緒に過ごした石の家のことを、ほとんど覚えていなかった。
何度か訓練施設で剣を交えて、短い会話をかわすうちに、俺はそのことに気づき、気づいたその瞬間は、全身の血が冷たくなったような心地がした。
大事なことなんか、俺にはない。
スコールの言葉は本物だった。
考えてみれば、当たり前のことだ。
俺たちは、別に仲が良かったわけでもない。
夜中に聞こえた歌のことも、俺が一方的にした額へのキスのことも、あいつには、多分ただ、訳の分からない出来事に過ぎなかったのだろう。
勝手な話だが、俺は何かしら裏切られたみたいな気持ちになって、次第に施設での訓練でも、あいつに当たり散らすようになっていった。
俺の態度が刺々しい理由も分からないあいつは、しばらく怪訝そうにしていたが、そのうち、どうしてサイファーは訓練に俺を誘うんだろうな、という顔を見せるようになった。
こいつ、また忘れやがったな。苦々しく俺は悟った。
「いいのか、サイファー」と目を丸くして聞いてきたあいつはもう、あいつの頭の中には居なかった。
俺の記憶の中だけのスコールだった。やりきれなかった。
2011.11.30 / hash a bye / Seifer * 2 / to be continued …