G.F.によって損なわれた記憶は、消えてしまうわけではなく、きっかけがあれば復元することもあると知ったのは、戦争が終わった後になってからだ。
「サイファー、わたしたちみんな、同じ孤児院に居たのよ? 思い出したの!」
ガーデンで再会したキスティスが涙ぐんで話しかけてきたのだ。
俺はそんなことは初めから分かっていたが、忘れてごめんなさい、などと泣かれるのが嫌だったので、「そうかよ」と調子を合わせておいた。
ただ、スコールが何をどのぐらい思い出したのかが気になった。
あの戦争の中で、何度も、何度も命がけのバトルでぶつかり合い、その度に俺はスコールに負けた。
そのことについては、納得している。確かにあいつは強くなった。G.F.との相性が抜群にいいことを差し引いたとしても、心身ともに優れた傭兵に成長した。
何よりも、守るべきものが出来たことが大きかったのだろう。
いつか目的さえも忘れて、ただ闇雲に強くなろうとしていた頃のあいつとは、訳が違っていた。
スコールがあの歌のことを思い出さないでいるうちに、ある日、予定より早くガーデンに戻った俺は、居室のソファの上で悪夢にうなされているあいつを発見した。
傷の入った眉間に縦じわを寄せて、苦しそうにうんうん唸っている。
意外なところで進歩のねえ奴だな。
シャツがめくれてへそが見えているのを直してやって、いったんは立ち去りかけたが、あいつの唸り声と寝返りの気配に引き戻された。
…またへそが出てる。
冷え症の癖にしょーがねーな、と思いながら、再びシャツの裾を引き下ろして平らな腹を隠す。
ついでに額に張り付いている前髪を払ってやった。
懐かしい髪の感触。
辛そうに寄せられた眉を眺めていたら、知らず知らずのうちに、あのメロディが浮かんできた。
ちいさく口ずさみ、昔のように髪を撫でてやると、スコールの寝顔がほどけるように柔らかくなった。
へえ。お前、まだこのまじないが効くのかよ。
俺は歌いながら、思わずこっそり笑ってしまった。
あいつの髪の滑らかな指通りが、撫でていて気持ち良かった。
もしかして、このまま続ければ、昔みたいに眠ったまま笑うのか?
そう思ったとき、スコールが不意に目を開いた。
どきり、
と俺の心臓が大きな音を立てた。
あいつは瞬きして、ゆっくり俺の顔を見上げてきた。
「…あんた、帰るの明日じゃなかったか?」
上擦った掠れ声で聞いてくる。
「予定変更になった。…うたた寝にしちゃ、うなされてたぜ、お前」
正気を取り戻した俺は、低い声で言い訳めいた言葉を添えた。
「…夢見が悪かった」
簡潔に理由を述べたスコールが、起き上がって顔を手で覆う。
「ひでえ声だな。お前、粘膜弱いんだから、うがいして寝ろよ」
「…そうする」
普通の会話をもうひとつ足して、俺は自室の扉を閉めた。
しくじったな。
落胆している自分が可笑しかった。
そうだ。スコールは覚えちゃいないんだ。
俺が歌っているときは目を開けない暗黙のルールなど、覚えちゃいない。たとえ覚えていたところで、俺のほうが先にルールを破ったんじゃねえか。
もしあいつが目覚めても、また寝たふりをしてくれるような気がしていた俺は、案外馬鹿だな、と自分で思った。
それからのスコールは、夜、俺がうっかり鼻歌を歌うと、そそくさと自分の寝室へ戻るようになった。
何か思いだしたのかもしれない。
何も思いださなかったとしても、ごくノーマルな18歳の男が昼寝から目覚めたら、一つ年上の凶悪な大男が、子守歌など歌って自分の髪をいじくっていることに気づけば、そうなったところで何の不思議も無かった。
説明したほうが、良かったのかもしれない。
昔の習慣を思い出し、つい魔がさしてやってみただけだと言えば良かったのかもしれないが、いまさら切りだすきっかけもなく、それまで自然に近づいていた俺とあいつとの間に、気まずい空気が流れ始めていた。
それから半年ほどたったある日、スコールが風邪を引いた。
珍しくパジャマ姿のままふらふらとキッチンに現れたあいつは、ひどい顔色をしていた。
今年の風邪は性質が悪い、とにかく高熱が出て寒くなる、とカドワキが話していた。保健室へ引き渡したほうがいいかと、本人の希望を聞くと、スコールは力なく首を横に振る。いつになく子どもっぽい仕草に内心驚き、これは相当弱ってるな、と思った。
とりあえず薬を飲むのを見届けて、カドワキに相談に行くと、敷き毛布を貸してくれた。
部屋に戻って、スコールの個室に入った。
あいつは眠れないようで、上掛けに埋まってがたがた震えていた。いったんあいつを抱え上げてベッドからどかし、毛布を敷いて元通り戻してやると、少しは具合が良かったらしく、酷い震えが治まっていった。
「どうしたんだ、これ」
「保健室で借りた。…なんか欲しいもんあるか?」
スコールは一拍置いて、「いや、大丈夫だ」と答えた。
全然大丈夫そうには見えなかったが、あんた、任務があるだろ、と言われたら仕方ない。
確かに任務が入っていた。
何かあったら電話しろ、と言ってみたものの、たとえ何かあったところで、スコールが俺に電話をかけてくるとは思えなかった。
夕方、任務から戻ってみると、スコールは眠っていた。
いつにも増して辛そうな顔をしている。
熱が下がっていないのか、頬が赤い。
薄く開いた唇は乾いて、ひゅうひゅうと苦しげに喉が鳴っていた。
どのぐらい熱があるのかと思い、傷の入った額に手を伸ばしたときだった。スコールが突然、弾かれたみたいに飛び起きて、俺の手をびしりと振り払った。
それは、いつかの教室で、同級生の手を振り払ったときと同じ鋭さだった。
そうか。確かに、お前は他人にさわられるのが嫌いだよな。
スコールは額の傷のあたりを、必死で擦っている。まるで、汚いものでも触れたみたいに。
そうか。手で触れられるのが嫌なら、他人の唇なんかが触れたら、もっと嫌だろうな。
額を拭いながら彷徨っていた両目が俺を認識して、スコールはあきらかに「しまった」という顔になった。
お前、思い出したんだな。
俺のキスを擦り落とそうとしている、その指の白さに目を焼かれると、途方もない激情が俺の全身を走り抜けて、皮膚がびりびりと震えた。
血管を流れる血液すべてが、沸騰しているようだった。
スコールの薄蒼い目を見下ろせば、初めて見る恐怖に満ちていて、ああ、こいつも分かっているな、と俺は思った。
かつてこれほど危険な局面はなかった。
支配したい。
俺は、お前を支配したい。
烈しい、烈しい欲望が抑えようもなく湧き上がってくるのを、俺は無理矢理に抑える。
スコール。
お前には、到底解らないだろうな。
俺がお前にどれほど傷ついているかなんて、お前にとってはいつも関係ない話だ。
持てる限りの自制心を振り絞り、どうにか息を抜くと、自然に皮肉な笑いに変わった。
「何もしちゃねーよ。熱が上がってねえか診ようと思っただけだ」
「…わかっている。…すまない、夢見が悪くて」
スコールは謝ってきた。
俺はますます可笑しくてたまらなくなる。
お前の言うその悪夢の主は俺なんだろう。いったい何を謝るんだ。
無意識にか、まだ額を清めようとしているスコールの手が、明白に拒絶を示していた。
「そんなに擦ってもしょうがねえだろ」
吹き飛びそうな理性が、それでもまだあるうちに俺はスコールに背を向け、何年も前のものを今さら、と言わなくてもいいことを言うと、後ろで息を呑む気配がした。
振り返れない。
振り返ったら最後、何もかも滅茶苦茶にしてしまうことは分かっていて、大股に歩いた俺は扉が後ろで閉まるのを、拳を握りしめて待った。
爪が手のひらに食い込んだ。
今まで一度だって、こんなにも何かを我慢したことは無かった。
執務室では以前と同じに、普通に指揮官として接してくるスコールは、部屋では徹底して俺を避けた。それでもごくたまに顔を合わせることがあると、その緊張たるや痛々しいぐらいだった。まるで猫の仔が全身の毛を逆立ててるみたいに、俺の一挙手一投足に警戒していた。
あいつにはあいつの考えがあって、あいつの人生がある。そこに俺が土足で入り込むことに怯えているようだった。
実際、俺は、本当はそうしたかった。
熱を出したスコールの額に触れようとして、振り払われたあのとき、あいつは確かに俺の眼の中に欲望を見たはずだ。長いあいだ胸にわだかまっていた不可解な塊の正体が、ようやく俺にもはっきりと判った瞬間だった。
俺は、スコールが欲しかった。
自分のものにしたかった。
押さえつけて唇を奪い、裸に剥いて抱き締めたいと思った。
以前の俺なら、本当にそうしたかもしれない。けれど、俺はもうそんなことは出来なかった。そうするには、一緒に過ごした時間が長すぎた。
あいつは覚えていなくても、俺のほうは覚えていた。いくつもの季節の中で、迷いながら自分の道を進んできたあいつの姿を覚えていた。
あの大人しかったスコールが、俺を追い抜いて、俺を倒し、倒した俺をガーデンにまた引っ張り戻し、こうして監視官を務め、俺の処遇を世間に納得させている。いつのまにか、スコールは一人前の男になっていた。そして、敗者の俺を、きちんと一人前の男として扱った。それを踏みにじることは出来なかった。
スコールには運命のごとき恋人がいた。
壁がオトモダチだったあいつを、世界のスーパースターに変えた女だ。離れて暮らしているが、大切にしていることは知っていた。
あいつにはあいつの意志があって、あいつの未来がある。
とうに分かっていたことだ。
俺はいつも、それなりにそれを尊重して来たつもりだ。
朝も夜も、あいつは息をひそめるようにして、俺の気配を窺っていた。俺も気配を読んでなるべく居合わせないようにしてやると、表面上だけは穏やかに、冬の日々は流れて行った。
俺は卒業後はバラムを出て、ある新興国の特殊部隊に配属されることが決まっていた。冬が終わり、別れの日が近づいてきても、俺は何も言わず、あいつも何も言わなかった。
最後の日さえ、俺とスコールは会わずじまいだった。あいつは年度末の多忙さを理由に、朝から指揮官室に閉じこもっていた。俺も特に訪ねることもなく、ハイペリオンのケースを携え、ひとりでガーデンを出て行った。いつからか濃密な空気が肺を塞ぐようだったあの部屋とは違って、辺りは春の白いひかりに満ち、外を吹く風は埃っぽい匂いがしていた。
あれからさらに数年が経ったと言うのに、夜になると、今でも不意にあの歌がどうしてか口から零れることがあって、我事ながら笑ってしまう。
あいつとは卒業してから、とうとう一度も顔を合わせたことが無い。メディアを通して見るスコールは遠く、もう別の世界の人間のようだ。俺の手のひらの下で、寝たふりをしていたあいつは何処かへ行ってしまった。
閉じた睫毛を、わずかに開いた唇を眺めながら、あの頃の俺はいつも不思議だった。
俺はなんでこんなことをするんだろう。
俺はなんでこんなことがしたいんだろう。
スコールはどうして目を開けて、俺にやめろって言わねえんだろう。
おやすみ、おやすみ、愛しい子。
いい夢を見て、ゆっくりおやすみ。
2011.11.30 / hash a bye / Seifer * 3 / END
2011年の初め、溜まったゲームソフトの整理をしようとして、手放す前にもう一回、と何気なくプレイし始めたFF8にこんなに夢中になるとはまるで思いませんでした。不意に「サイファーはスコールが好きなんだな」と理解した瞬間に、知っていたはずの物語がまったく別物になってしまったのです(個人の主観です)。そして、サイスコサイト巡りに精を出していたある夜、読んでいる最中に大好きだったサイト様が消失するという衝撃的な体験をして、モニタの前で愕然としました。数日鬱々と過ごし、やり場のない気持ちに押され、自分でサイスコを書き始めました。この「ハッシャバイ」がいちばん初めに書き終わった作文です。
見逃がしてやって、めでたく逃げ切ったパターンですが、お互い未練たらたら。へたれ両片想いで魔女に負けてて、盛り上がり無く文体ポエム、とこのサイトの(駄目な)傾向がギュッと詰まってますが、書いた本人には、思い入れのある懐かしい作文です。最後までおつきあいくださった心の広き方、ありがとうございました。