サイファーはオレに向き合うなり、いきなり頭を下げた。
「スー。子ども扱いしたりして、悪かった。俺が失礼だった」
「…」
正面切って謝られると、ものすごく居心地が悪い。
頭を起こしたサイファーと目が合って、自分の心臓が跳ねるのが分かる。
だって、要するに…オレはフラれて逆切れしただけなんだ。
「俺だって、15歳のとき、子ども扱いしてくる大人にムカついてしょうがなかったのにな。…歳を取ると、いろんなことを忘れちまうんだ。大事なことでも」
サイファーがオレ相手じゃその気になれないのは、親父を超える色気がオレに無いからだ。
サイファーが悪いわけじゃない。
…って、分かってるのに、言えない自分が情けなくて、オレは下唇を噛んで俯いた。
「なあ、スー…頼むから、もう会わないなんて、言わないでくれ」
あんな啖呵を切ってしまって、後悔していたのはオレの方だ。
オレは、甘やかされている。サイファーがここまで言ってくれたら、後は許すフリをすればいい。
「…分かった」
あんたもあの件は忘れてくれ、と小さく付け加えると、サイファーもどこかぎこちなく、首の後ろあたりをかきながら、おう、とオレの方を見ないで返事をした。
胸の高さほどのコンクリ壁の上に両腕を重ね、そこに行儀悪くあごを載せて、きらきら光る海を眺めて、オレは言葉を探した。
潮風はまだ冷たいが、日なたのコンクリはほんのりと温かい。沖を汽船が渡っていく。
「サイファーは…」
「ん?」
隣に立って、同じように海を見ていたサイファーが、オレに視線を移す。
「どうして、親父とずっと一緒にいて平気だったんだ。好きだったんだろ?」
長い間、オレにはそれが不思議だった。
「親父とママが付き合ってるのを側で見てて…嫌じゃなかったのか?」
「…お前、そんな話、聞きたくなかったんじゃねーの?」
サイファーは、探るように訊いてくる。またオレが癇癪を起こすとでも思ってるんだろう。
「…今日は、聞いてみたいんだ」
ずっと聞いてみたかったのに、この間はフられたショックで逆上して、自分でぶった切ってしまった。
「もう、大昔のことだし…聞いて面白い話じゃねーぜ?」
「…そんなに警戒しなくても、もう、あんなふうにキレたりしない」
オレはちょっとムッとして、唇を尖らせてしまう。
オレだって、本当は反省してるんだ。
どんな返事が返って来るかなんて、ちゃんと分かっていたはずなのに、ママにまで八つ当たりしたりして、みっともなかったって。
「…ホントだな?」
「ホントだってば」
サイファーは俺の顔を見下ろして「しょーがねーな」って顔で笑うと、塀の上に軽々とジャンプして登り、そこに腰を下ろした。
ラフなパーカにブルージーンズのサイファーは平気だろうが、オレは制服の短いスカートで、ちょっと迷う。だけどサイファーが振りかえると、オレは結局、えいやっとショートブーツで踏み切って、壁の上に登った。
オレたちは無駄に足をぶらぶらさせて、海と向かい合った。
「…お前のママとスコールが、どうやって付き合い始めたのかは、お前も知ってるだろ?」
「…ママの本、読まされたから。なんかすっごく非現実的な話だったけど」
ママには悪いが、初めて読んだときは、途中、何度か挫折しそうになった。
「まあ、ちっと大袈裟っつーか、書き過ぎなんじゃねーのってとこもあるが、あれで大筋は合ってる」
サイファーが認めるんだからそうなんだろうけど…オレはどうしても、今一つ信じられない。
初めはマジでいけすかない奴の親父が、第3章に入ったとたんに豹変して、ママを背負って衝動的に大陸を横断するなんて、キャラがぶれ過ぎだ。…絶対にママの脚色が入ってると思う。
「あれ読んだなら、分かるだろ。…あの戦争の後、もうあいつらの間に割って入るなんて、無理だった」
まあ、あいつが俺に気が無いのも、とっくに分かってたしな、とサイファーは苦笑する。
「お前のママはいい魔女だ。…だけど、あの戦争が終わった後、世間に魔女でも大丈夫だってアピールするためには、どうしたってヒーローのスコールが必要だった」
海面に乱反射するひかりが、サイファーの俯いた顔を照らす。
「お前も知ってるだろうけど、俺はそんときゃ、世界中のヒンシュク者で、…ガーデンとスコールが庇ってくれなけりゃ、どうなってたか分かんねえぐらいの身分だった。まあ、そんだけのことをしでかしたんだからしょーがねーんだけど」
そこまで話したサイファーは、オレの顔つきを見て「不満そうだな」と笑った。
「そういう、なにかの都合みたいな理由で…親父のこと、すんなりあきらめたのか」
嬉しくないことに、オレは親父にそっくりだって、よく言われる。
無意識の仕草や、考え方、好みなんかも。
だけど、もし本当にそうなら、親父は…きっと、サイファーを気に入ってたはずだと思う。
「おいおい、男同士ってところも少しは気にしろよ」
サイファーは呆れたように、ちいさく肩をすくめた。
「それは…確かにあるかもしれないけど」
バラムはF.H.ほど、ゲイのカップルは多くない。白い目で見る人間もたくさん居る。
「いろいろあるが、一番の理由は…やっぱり、スコールがお前のママを好きだったからだな」
「だから…告白もしないで、ずっと黙ってたのか?」
片恋は不思議だ。
初めは、絶対に知られたくないって思うのに、…いつの間にか、伝えたくてたまらなくなる。
伝えたってどうしようもないって、分かっていても、抑えていられなくなる。
サイファーは、しばらく黙っていた。
あんまり遠慮なく聞きすぎたせいで、怒ってしまったのかと思って、そっと隣を窺う。
光る波頭を見つめながら、サイファーは、口元だけ微笑んでいた。
「…本当は、いつかは言うつもりだったんだ」
軽いため息とともに、吐き出すようにサイファーは言った。
「ずっとお前が好きだったって。…ただ、言うだけでいいから」
言えば良かったのに、とオレは思う。
もう終わったことなのに…どうしたって思ってしまう。
そうしたら、もしかしたらオレはこの世に居なかったかもしれない。
それでも、オレにはサイファーの恋は歯がゆすぎる。
「でも、言えなかったんだろ」
「そうだ。…俺、どんくせーよな」
思いやりの無いオレの言い方に、サイファーは力なく笑った。
「言えるだけの男になってから、なんて見栄張ってるうちに、あっさり死なれちまった」
親父は19で死んだ。
ドールでの国際会議に来賓として出席していて、テロが発生したとき、武装していなかった。
なのに、他の客の警護をしていたSeeDのミスをカバーしようとして、重傷を負った。
すぐに病院に搬送されたが、二日後には息を引き取った。
…そんなことになるなんて、誰も思っていなかったんだ。
「…あいつが死ぬときもそうだった。言いたいことなんか言えなかった」
親父が病院で一時的に意識を取り戻して、サイファーを呼んだ話は、ママの本にも書いてあった。
ママはそのとき自分も倒れてて、親父の死に目には会えなかった。
「本当は、…『死ぬな、スコール』って、言いたかったんだ」
今日みたいに静かな波の音でも消えてしまいそうな、サイファーの低い呟きに、オレは胸が痛くなる。
こんなのは、とうに過ぎ去った昔の話で、何を思おうが手遅れなのに。
…あんた、どうして死んだんだ、スコール・レオンハート。
こんなややこしいことになってるのは、全部あんたのせいだ。
「あいつ、ベッドの上でごっつい機械に繋がれてて…腕にも、何本もチューブが刺さってて。自分が死ぬってのに、リノアのことばっかり気にして焦ってた。ひでえ顔色で俺を見上げて、『一生のお願いだ。リノアを頼む』って」
オレは黙って、自分のブーツの下で、白く泡立つ海面を眺めた。
「『あんたにしか頼めない。どうか、引き受けるって言ってくれ』ってよ。…あいつが俺に『お願い』なんて、マジであれが最初で最後だった」
隣でサイファーが苦笑する気配がするが、泣きそうなオレは、顔を上げることが出来ない。
「…『死ぬな』なんて、言えなかった。あいつは、自分が死ぬってことをもう知ってた」
「…あんたは、それで、承知したんだな」
「そうだ。『リノアのことは俺が護ってやる、心配するな』って言ってやったら、あいつは笑った。『ありがとう、サイファー』って」
それで終わりだ、とサイファーはため息をついて、空を仰いだ。
「スコールのヤツ、すげえ安心した顔で、ひとりだけ満足そうに死にやがってよ。ホントに…清々しいぐらい、お前のママ以外、どうでもいいのな」
サイファーの話は続く。
「あれで良かったんだって、思うときもあるぜ。…だけど、『ずっとお前を好きだったんだ死ぬなこの野郎』ってぶちまけて、死に際を台無しにしてやりゃあ良かったって、思うときもあるな」
ママを残して死ぬってときに、サイファーから突然そんなこと言われたら、親父はさぞ困っただろう。
「…そしたらあいつ、どんな顔したかなって、今でも思うぜ。ときどきな」
サイファーは塀の上でひとつ伸びをして、足を組んだ。
「後からリノアには、死ぬほど怒られたしよ。『なんでわたしを起こしてくれなかったのよ!?』って、すげえ剣幕でよ。面会謝絶だったくせに、無理言うなっての。…リノアのヤツ、未だにそこは俺のことしつこく恨んでるんだぜ」
「…ああ。文句言ってるの、聞いたことある」
いつかの命日の夜に、ダイニングテーブルで酔い潰れたママが、サイファーってばズルイんだから、とぶつぶつ呟いてた。
「…お前がリノアの腹ん中に居るって分かってたら、全部違っただろうな」
「…オレが?」
話が唐突に自分の方へ降って来て戸惑うオレに、サイファーは、そう、お前、と微笑んだ。
「お前が居るって分かってたら、あいつはあんな無茶しなかったかもしれねえ。そしたら、あの国の皇太子が死んで、戦争になって…たくさん兵士が死んで、それでも、スコールはお前に会えたかもな」
サイファーは、仮定の話を積み上げて行く。
「あいつは今日も生きてて、35歳のオッサンになってて、俺もどっかで目が覚めて、今頃いい女と暮らしてたかもしれねえよな」
それは…オレたちの暮らしているこの現実より、調和した世界の話のように聞こえた。
「そしたら、お前と俺も、こんなふうに会って話すことも無かっただろうな。俺なんか、お前に会わせてもらえなかったかも知れねえぜ。教育に悪いってよ」
ずっと笑って喋っていたサイファーの言葉が、ふいに途切れた。
オレが隣を見上げようとするより早く、サイファーの大きな体が、オレを抱きすくめた。
「…分かんなかったんだ、スー」
くぐもった声は、耳元で聞いてもちいさかった。サイファーは泣いていた。
「まだそのときは、誰も知らなかったんだ、お前のことを」
「サイファー…」
いつも強くてカッコ良くて、余裕たっぷりのあのサイファーが…オレにすがりついて泣いている。
「お前に、会わせてやりたかった。いい男だったぜ」
オレは黙って、サイファーの頭を撫でた。
ずっと年上のサイファーが、まるで弟か何かみたいに思えた。
カッコいいサイファーが好きだったはずなのに、オレは腕の中に居るこのサイファーを、ずっと前から知っていて、ずっと前から愛していたような気がする。
サイファーが、親父に会いたがっているのが痛いほど分かった。
オッサンになろうが何だろうが、どんなに生きていて欲しかったかも。
とっくに死んだ男を十何年も想い続けているなんて、つくづくロマンなんて不毛だと思う。
でも、しょうがない。
どうしようもなく好きって、そういうことなんだ。
そして…オレは、そういうサイファーを好きになったんだ。
オレはサイファーに「好きだ」って言えた。
オレの好きなサイファーはまだ生きていて、手を伸ばせばこうして、髪を撫でることもできる。
サイファーはもう二度と、そんなこと出来ないんだ。
好きな人の顔を見ることさえ出来ないんだ。
そう思った途端、眼がしらが熱くなって、涙があふれ落ちた。
「お前、…俺のために泣いてくれてんのか?」
「…だって」
サイファーの優しい声に、オレはますます涙が止まらなくなる。
「そういうところは、リノアに似てるな、お前」
ママに似てる、なんて言われたのは、初めてかもしれない。
「なあ、スー。お前の両親は、すごく…好き合ってたんだ」
サイファーがオレの背に回した手を緩めて、顔を上げた。
ふたつの緑の目が、潤んで光っている。
「それで、お前が生まれたんだ。…そういうのって、いい話だって思わねえか?」
サイファーがオレを見つめて、眩しそうに目を細める。
涙が止まらない。自分がどうして泣いているのかも分からない。サイファーのためかもしれないし、ママのためかもしれない。会えなかった親父のためかもしれないし、オレ自身のためかもしれなかった。
今までオレにとって「スコール・レオンハート」は、架空の人物のようだった。
ママをはじめ、大勢の大人が語りたがるおとぎ話の、出来すぎたヒーローだ。
やたらと美化されまくっていて、血の繋がった親の話だなんて、思えなかった。
それなのに、オレはどこへ行っても「スコール・レオンハートの娘」でしかない。
サイファーにも、そう思われているのが、本当はずっと悲しかった。
でも、もういい。
涙と一緒に、心に古く固まっていた何かが剥がれおちていくような気がした。
もう、それでもいい。「スコールの娘」だっていいじゃないか。オレは事実、そうなんだから。
サイファーがオレの中に「スコール」を見て、少しは幸せになれるなら、オレもそれで構わない。
オレは初めて、心から、親父に会ってみたかったと思った。
きっと、オレの思っていたほどイヤな男じゃない。親父は親父なりに、真剣に生きて死んだんだ。
ただ、どうしようもなく運が悪い男だったんだな、と思った。
そう思うと、急にあの仏頂面が腑に落ちて、オレは泣きながら笑えて来た。
ママにも、サイファーにもこんなにも愛されてて、もう少し生きていれば、オレにも会えたのにな。
いつの間にか立場が逆転して、サイファーの大きな手が、今度はオレの髪を撫でてくれる。
そろそろ涙で汚れた顔がかゆくなってきた。
二人してこんなに泣いてしまって、この後どういう顔をしたらいいんだろう。
まあ、いいか。
向こうの方がたぶん気まずいだろうし、なんて思いながら、おそるおそる顔を上げると、サイファーと目が合った。
「…あんた、ひどい顔」
改めて見ると、情けない顔だった。オレは思わず吹き出してしまった。
「スー、テメエ、人のこと笑える顔かよ! 鏡見てから言えよな」
「オレは15の乙女なんだからいいだろ。あんた、オッサンのくせに、」
後から後から、笑いが込み上げてくる。もう、何が可笑しいのか分からない。
フラれたからって、世界が終わったみたいにメソメソしていた自分が馬鹿らしくなってきた。
サイファーはここに居るじゃないか。オレの隣に居て、オレの話を聞いてくれる。
「そんな鼻水までたらして、何が乙女だ。ほら」
サイファーがポケットからティッシュを取り出して、オレの鼻をつまむ。
オレはちいさな子どもみたいに、好きな男にハナをかんでもらった。
「子ども扱いするな」なんて怒った先週の話は、もう忘れたことにしよう。
「帰ろうぜ、スー。…ママが心配してる」
「…うん」
スカートのことを思い出し、サイファーより先に、下の歩道にジャンプした。
さっきより吹く風が冷えてきた。
オレは顔を上げて、ひりひりする鼻から、つめたい空気を吸った。
失恋したぐらいじゃ、良くも悪くも、世界は終わらない。
皆さびしいのを我慢して生きてるんだ。
明日から、どんなふうに生きようか。
今日の話は、ママには黙っとけよな、と続けて飛び降りたサイファーが言う。
オレは、さあ、どうしようかな、と笑った。
いつのまにか紺色に暮れた空に、気の早い星が光っている。
ふたりともマジ泣きし過ぎです…。
わたしの書くスコールがメソメソするのはいつものことですが、オッサンのサイファーが最高にカッコ悪くてすみません…。
死にゆくスコールが想像した、サイファーとリノアが結ばれて幸せな家庭を築いて…みたいな未来とはまるで違っていて、スコールが霊になって見守ってたら「どうしてそうなる…」の連続だと思います。
成仏してるといいね!(←他人事)
捏造設定がさらっといろいろ出てきてごめんなさい。
本文中の「ママの本」は、リノアが書いた回想録です。スコールには実に気の毒なんですが、世界中でベストセラーになって、ハーティリー家の家計を支えていることになっております。スコール亡き後、よりによってサイファーを魔女の騎士の後任に据えることは、二人にごく近しい人間には納得出来ても、世間ではまさかの悪夢再来…って受け取られかねない人選なので、「大丈夫なんだよー!」ってアナウンスする必要があったわけです。
リノアによるスコールの描写がどのようなものかは…ご想像にお任せします。
娘スコールの感想が酷いですが、大人になってからもう一度読めば、きっと違う印象に変わるものと思われます。本編のスコールは自分に対しても常に無意識に演技をしているタイプなので、途中で急に人が変わったみたいになっちゃってるけど、ホントは最初っからああいう子なんですよね。
それから、えー…言いにくいんですけど、何と、まだ続きます…。
また後日!!