「コーヒー以前の問題」の後日談になりますので、そちらから読んでいただけると幸いです。




コーヒーの問題、それから

 テーブルの側を通りがかったセルフィが、驚きの声を上げた。
「あれ? はんちょ、それ紅茶?」
「…ああ」
「めっずらしー、どしたの? コーヒー党だと思ってたのに」
 先に売店に寄って来たのだろう、ドーナツの紙袋を手にしたセルフィは、俺の顔とテーブルの上の紙コップをしげしげと見比べた。
「…最近、紅茶も悪くないと思うようになったんだ」
 不本意な嘘をついて、俺はベンダーで買った美味しくないアイスティーをひとくち飲んでみせた。
 午後3時、ガーデンの食堂は空いている。打ち合わせにはなかなか良いロケーションだ。…コーヒー以外の飲みものもあるし。
「へええ? この前まで、紙コップの紅茶は苦手だって言ってなかった~?」
 対面に座ったキスティスは、下を向いてノースリーブの肩を小刻みに震わせている。
 笑い事じゃない、と俺はため息をつく。
 左前方に置かれた彼女の紙コップには、アイスブレンドが入っている。…本当は、俺だってコーヒーを飲みたいのに。
 キスティスが、苦しげな息を整えて、ようやく顔を上げた。まだ笑いが完全に引いていない。
「コーヒーよりも好きなものが出来たのよ。ね?」
「…キスティス。口は災いのもとって格言、知ってるか」
 テーブル越しに睨みつけ、低く凄んでみても、無駄だった。
「知ってるわ。だってそれって、まさにあなたのことじゃない?」
 そう言って、キスティスは吹き出した。愉快でたまらないようだ。セルフィはさっぱり分からない、と言う顔でぽかんとしている。
 確かに、キスティスの言うとおり、この状況は自業自得だ。俺は、外ではコーヒーを飲めない。…そういうことになってしまったのだ。それにしても、人の窮地をそんなに面白がらなくてもいいだろう。
「キスティ、どーしちゃったの~? 何かいいこと~?」
 身を折って笑いを鎮めようとするキスティスを見下ろし、頭の上に「?」マークを並べてセルフィは首を傾げるが、俺は説明する気はない。セルフィなんかに知られたら、どんなふうに広まるか分かったものじゃない。

 * * * * *

 一週間ほど前の夜、まだそれほど遅くない時刻。
 俺はキスティスの研究室で、新しいプロジェクトの打ち合わせをしていた。
 魔女戦争後、ガルバディア周辺の国際情勢は一変し、ガーデンも傭兵派遣業だけでは存続が危ぶまれるようになってきた。そこでスポンサーから、新事業を立ち上げたらどうかという発案があったのだ。
 引き取り手のないアイデアは、カッコウの託卵のごとく研究員のキスティスに押し付けられ、キスティスは指揮官をとうに降りた一般SeeDの俺を引きずり込んだ。
「で、スコール…これ、ビジネスとして成り立つと思う?」
「最初は赤字で回してみるしかないな」
 マーケティングに奔走し、集めた数字で試算を積み重ね、半信半疑で企画書の体裁を整えたものの、ふたりとも素人だ。結果が出るのかどうかなんて、見当もつかない。
 それでもどうにか、あとは付属資料だけ、というところまでこぎ着けて、休憩を取ることにした。
 キスティスが大きな伸びをして、応接セットのソファから立ち上がる。
「あなたのおかげで助かったわ、みんな協力的で。…サイファーに睨まれたのには参っちゃったけど」
 ローテーブルに広げた企画書のページを並べ直す俺に、キスティスは意味ありげに微笑んだ。
「…」
 俺とサイファーの交際は、驚くべきことに二ヶ月が経過しても続いていた。
 一時の気の迷いにしては、長いな、と思う。
 長いし、…何と言うか、やけに拘束が激しい。
 前に付き合っていたヤツとは、そんなにべったりした仲じゃなかった。相手は俺に他に好きな人間がいると承知していたから、万事において控え目だった。しかし、サイファーは違う。この企画のために俺の時間が取られることも大いに気に入らないらしく、実際、キスティスに嫌味のひとつも言ったのかもしれない。
「で、ホントのとこ、どうなの?」
 キスティスは部屋の隅のキッチンワゴンに、赤と白のマグカップを並べる。慣れた手つきでインスタントコーヒーの入った瓶の蓋を開け、粉をカップの中へと振り入れる。
「どうって」
「とぼけちゃって。…やっと想いが通じ合ったんでしょう?」
 …こういうことに、一部の女子は異常なほど敏い。
 俺の片恋は、どうやらキスティスにはお見通しだったようだ。
「通じたって言うか…」
 率直なところ、通じ合った、っていうほどには通じてない。
 がぼぼ、がぼぼ、と濁った音を立て、旧式のエアーポットから二つのカップに湯を差しながら、キスティスは畳みかけてくる。
「ねえ、どっちが告白したの? スコール? それともサイファーのほう?」
「…」
 馬鹿げて聞こえるのは分かっている。
 しかし、どっちもしてない……としか言いようがない。
 サイファーは相変わらず俺の気持ちを誤解したままだし、俺も、サイファーがどういうつもりで俺と付き合っているのか、未だにきちんと確認していないのだ。
 聞くのが怖い気もするが、さすがに、そろそろ真意を知りたいと思う。
「もう、ケチねえ。ちょっとぐらい、ノロケてみたらいいのに」
「ケチとか、そういう話じゃない」
 ワゴンから戻って来て、キスティスは俺の前に白いマグを置いた。
「…どうしたの、スコール。深刻な顔しちゃって」
 自分は赤いマグを持って、俺の正面のソファに腰を下ろした彼女は、冷やかし混じりだった口調が改まって、けげんな顔で俺を見つめてくる。
「正直…よく分からないんだ」
 キスティスのコーヒーを啜って、俺はひとつ息をついた。
 確かに、サイファーは真剣に見える。
 こちらが驚くほど熱心に、恋人の役割を務めようとしてくれる…特に、コーヒーに関しては。
 彼の部屋に、俺専用のカップを用意してくれたし、出張のたびに、豆を土産に買って来る。この間も珍しくPCで何を見ているのかと思ったら「ハンドドリップ上達」とかいうサイトだった。とにかく、コーヒーを淹れることが、恋人としての最大の義務だと思っているらしい。
 任務に支障を来すのが嫌で、翌日が休みでないかぎり、夜はそれぞれ自室で眠ることにしているのだが、サイファーは最近、朝になると俺の部屋までコーヒーを淹れに通ってくる。
 俺も、初めは断ったんだ。いくらなんでも、そこまでしてくれなくてもいいって。だけど、サイファーはかえって気分を害したみたいで、つい「もちろん、来てくれれば嬉しいが」と言い足してしまった。以来、ふたりともガーデンに居る朝は、俺の部屋で一緒に朝食を取っている…。
 これが他人の話だったら、俺だってうんざりするところだが、当事者としての感想はまた別だ。なんだか、どんどん得体の知れない深みに嵌っている気がする。
「分からないって…いったい何が分からないの? だって、付き合ってるんでしょう?」
 マグの鮮やかな赤を長い指先で支えて、キスティスは眉をひそめた。
「そうだけど。…どうして付き合ってるのか、はっきりしないんだ」
 俺の言葉にキスティスは目を丸くして、自分のカップをテーブルに置き、正面から真剣に訊いてきた。
「……スコール。あなた、それ本気で言ってるの?」
 俺が肯定しようと口を開きかけたとき、ガンガン、と入口の方角から激しいノックが響いた。思わず、キスティと顔を見合わせた次の瞬間には、もうドアが開いて、金髪の男がずかずかと部屋に踏み込んできた。乱入者の機嫌が最悪なことは、俺もキスティスも一目で見てとれた。
「あ、あら、サイファー、」
「どうしたんだ。キスティに何か用事でも、」
 サイファーはキスティスを無視して、俺の前に腕を組んで仁王立ちになり、低く唸るように訊いた。
「スコール。なんだそれは」
「それって…」
 サイファーの尖った視線は、一直線に俺の手のマグカップを射抜いている。中味は、ただのコーヒーだ。インスタントの。それも、結構安いやつ。
「外を通ったら、それの匂いがしたんだ」
 いかにも非難がましい言い方だが、何が気に障っているのか分からない。
「あんた、何を怒ってるんだ? キスティスと打ち合わせするって、ちゃんと言ってあっただろ?」
 言いながらキスティを見やると、展開についていけない顔で硬直している。無理も無い。恋人ってことになってる俺だって、ついていけてない。
「一緒にコーヒー飲むなんて、聞いてねえ!」
 眼光がますます鋭くなり、立ちはだかった巨体が、苛立ちでぶるぶると震えだした。しかし、
「それって、事前にいちいち断らなきゃいけないことなのか?」
 …俺のうかつな聞き方も良くなかった。
 とうとう怒り心頭に達したサイファーは、俺の胸倉を掴んで引き寄せ、恐ろしい剣幕で怒鳴った。
「お前…俺のコーヒーが好きで付き合ってるんじゃなかったのかよっ!!」
 至近距離での割れんばかりの大声に、鼓膜も思考も痺れた。…何だって?
 俺もキスティスも絶句していると、サイファーは俺のシャツを離して白いマグを取り上げ、半分ほど残っていたコーヒーをあっという間に勝手に一気に飲みほし、きっぱりと宣言した。
「禁止だ」
「…禁止?」
 恐る恐る訊き返す俺に、サイファーはいっそ悲愴にも見える顔で命令した。
「お前、もう余所でコーヒー飲むな!」
「…」
 自ら播いた種とはいえ…こんなふうに育つとは、思いもよらなかった。キスティもあっけにとられて、赤い口紅を引いた唇をあんぐり開けている。ガーデン一の美女の実に珍しい顔だが、今はそんな場合じゃない。このままじゃ、本当に外でコーヒーが飲めなくなってしまう。
「サイファー…、ちょっと待て。いくらなんでも、」
「待たねえ!…こんなの、浮気じゃねーかっ!!」

 そんな馬鹿な…。

 だけど…、俺も、救いようのない馬鹿だと思うけれど。
 口をへの字に曲げて、少し情けない顔で睨み下ろしてくるサイファーを、俺はまじまじと見つめた。
 これってつまり……サイファーが、妬いてるってことだよな。
 そう思うと、胸のなかと頬が、同時にじんわり熱くなった。
「…わかった」
「えええっ!?」
 俺の返事に、キスティスが仰け反った。
「なんだよ、センセ。何か文句あんのか、ああ?」
「……い、い、いいえ、何も」
 サイファーがぎろりと睨みつけると、キスティは生唾を飲み込み、首と手を同時に振って否定する。
「なあ、まだ終わんねーのか?」
「後は資料のまとめだけだ。もう、それほど時間はかからない」
 とにかくこの場を収拾すべく、俺はソファから立ち上がった。
 サイファーの背中に手を置いて、さりげなく部屋の外へ出るように促す。身体を寄せて「後で部屋に行くから」と耳元に囁くと、不機嫌そのものだった顔が、いくぶんか緩んだ気がした。
「センセ、邪魔したな」
 サイファーも頭が冷えてきたのか、少しきまり悪そうに振り返ってキスティスに声を掛け、ふたりでいったん廊下に出た。
 夜の研究棟の廊下は人影もなく、空気は室内よりもひんやりとしていた。サイファーはあたりを見回した後、素早く俺の眉間にキスして、怒鳴って悪かった、と呟いた。
「つい、頭に血が上っちまってよ」
 気落ちした顔で、そんなふうに言われたら…無茶な注文でも、飲むしかないじゃないか。
「いいんだ。…俺も、あんたのコーヒーが一番好きだし」
 俺もいい加減、頭が沸いてるな、と自分でも思う。
「ホントか?」
 俺の間抜けな台詞に、サイファーの顔がぱっと明るく輝くと、俺まで嬉しくなってしまう。勢いで唇にまでキスしようとしてくるのを、流石に「それは後で」と押しとどめた。

 * * * * *

 サイファーを見送ってからドアを開けると、脱力したキスティスがソファのひじ掛けに頬杖をついていた。
「…スコール。あなたたち、どういう状況なの?」
「…まあ、聞いてのとおり」
 なんとかあれ以上の修羅場は避けられたが、正気に返ると、顔から火が出そうだ…。
「サイファー、あれ、本気で信じてるみたいじゃない」
「…どうもそうみたいだな」
 俺は残りの作業に取り掛かってしまおうと、付属資料の入ったファイルをあけた。
 レイアウトを考えるフリをしても、キスティスは誤魔化されてくれない。
「『そうみたいだな』じゃないでしょ。スコール、ちゃんと言ってあげなさいよ」
「何を」
「コーヒー中毒のあなたがあんな返事するぐらい、好きなんでしょう? 本人が」
 キスティは「ほ・ん・に・ん・が」、と一音節ずつ区切って、俺の顔を覗き込んでくる。
「でも…向こうだって、何にも言わないんだぞ」
「何にもって?」
「だから、…その、好きだとか、そういうこと、言わないんだ。一度も」
 淡々と事情を説明するつもりの声が、自分の耳にもひどく不満そうに聞こえて嫌になる。
「……何ですって?」
 向こうが先に言ってくれさえすれば、後は「俺も」とひとこと言うだけで解決するのに。
 卑怯かもしれない。
 だけど、出しぬけに押し倒してきたサイファーのほうが、未だにその理由も言わないんだ。一応折れて付き合い始めたことになっている俺の方から「ずっと好きだった」なんて…言いだしにくいことこの上ない。
「…まあ、女のあんたには、分からないかもしれないけど…とにかく、俺からは言いづらいんだ」
 想っていた相手とは言え、抱かれる側のこっちはやっぱり、いろいろと複雑な心境だし。
 キスティスは、言葉もなく俺の顔をしげしげと眺めてくる。その呆れ顔に「もしかして、ホントに馬鹿なんじゃないの、あなたたち」と書いてある。
「でもスコール、それでコーヒーやめるの?」
「…」
 …実際、俺は本当にコーヒーが好きだ。
 レギュラーは勿論だけれど、インスタントもまた、別物として好きだ。
 講義の合間に食堂で、自販機のコーヒーを飲むのは大事な息抜きだし、任務終わりに余裕があれば、その街のコーヒー屋に立ち寄るのも楽しみだった。
 しかし、それも…どうやら今日限りらしい。
 俺の沈黙に、キスティスはため息をついて天井を仰いだ。
「わかった。次から打ち合わせは食堂でしましょ。…あなた、相当な重症ね」
 資料が仕上がった帰り際、キスティスは「それじゃ、お大事に」と優雅に手を振ってみせた。

 * * * * *

 再び話は戻って、一週間後、午後の食堂。
 最後まで不思議そうな顔のまま、セルフィが帰ったのと入れちがいに、ガンブレのケースを引っ提げた男が視界に入ってきた。
「スコール!探したぜ。こんなとこに居たのかよ」
 明日の午後まで大陸に滞在するはずだったサイファーは、俺を見つけて大股に近づいてくる。
「…あんた、また勝手に予定繰り上げて帰って来たのか」
 とりあえず、怪我が無さそうなのを見てほっとしたが、ずいぶん無茶をしたのだろうと思うと、つい、責めるような口調になってしまう。
「タラタラやんのが性に合わねーんだよ。…何だよ、早く帰ってきちゃ迷惑だったか?」
 …そんな恋人っぽい会話は、外ではあまりしたくないのだが、サイファーは、誰が周りにいようがおかまいなしだ。
 男の俺と付き合っていることに全く抵抗がないらしく、おかげでふたりの仲は、ガーデンで知らない人間は居ない公然の事実になってしまっている。
「そんなこと言ってないだろ…打合せ中なんだ。もうすぐ終わるから、後で」
「おう。土産に豆買ってきたから、お前の部屋で待ってるぜ」
 早く帰って来いよな、とサイファーは俺じゃなく、キスティスの方をじろりと見ながら念を押すと、これから事務局で報告、と慌ただしく去って行った。
「健気ねえ。サイファー、すっかりあなた専属のバリスタになっちゃって」
「やめてくれ」
 いきさつを知っているくせに、キスティは歌うように「羨ましいわぁ」なんて当てこすり、それからいかにも楽しそうに、俺に微笑みかけてきた。
「ねえ、スコール。これでもう本当のこと、言えなくなっちゃったわね?」
「…」
 そうなんだ。
 いまさら知られる訳にはいかなくなってしまったんだ。
 コーヒーは特に重要な問題じゃないことも、俺がずっと以前から、サイファーに恋をしてたことも。
「バレたらどうなるのか、楽しみだわ」
「…バラすなよ」
 バレたらどうなるか、想像しただけで眩暈がする…。
「後になればなるほど、大変なんじゃない?」
 俺の秘密が利いたコーヒーが、よっぽど美味しいらしい。キスティスはアイスブレンドを干して、満足そうに長い息をついた。
「それより、さっきの続きだが」
「OK、さっさと済ませましょ。あなた、早くコーヒー飲みたいものね?」
 キスティスは俺の思惑を見透かして、青い目を意地悪く細めてみせる。気まずい俺は、手元の資料をばさばさ言わせて、意味無く並べ変えてみる。
 まったく、彼女の正しさときたら、ときどき辟易させられる。
 キスティスの言うとおりだ。俺は一刻も早く部屋に帰って、サイファーのコーヒーが飲みたい。



2012.8.10 / コーヒーの問題、それから / END

 昔の淡い失恋を根にもっているのか、ちょっと意地悪なキスティスです。キスティス好きなので、書いているうちにどんどん長くなってしまって参りました。
 この文章だと、バラムの公用語は日本語だとしか考えられませんが、まあ、このサイトでは今さら些細なことですよね…。
 最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました!