コーヒー以前の問題(解答編)

 ずっと昔、子どもの頃の話。
(スコール。こんなところにいたのかよ)
 灯台近くの岩影に隠れて、俺が独りで海を見ていると、サイファーが隣に来て座った。
(いつまでもメソメソしてんじゃねえ! うっとおしい)
 俺の顔を覗き込み、いかにも嫌そうに幼い顔をしかめてみせる。
 …うっとおしいなら、わざわざ僕のとこなんかに来なければいいのに、と俺は思う。
(お前もいいかげん、エルが居なくたって死にゃしねえってわかっただろ)
(……)
 今思えば彼女が居なくなって、サイファーも内心寂しかったのかもしれない。けれど、ちいさな膝を抱えた俺は、サイファーから少し離れて座り直す。
(なあ、なんでそんなにエルがいいんだ)
(……)
 サイファーは俺が空けた距離に気付いてカチンと来たらしい。
 せっかく空けたスペースを詰め、わざとぴったり体を寄せて腰を下ろす。
(言えよ)
 あぐらをかいたサイファーが横から睨んでくる。
 …言わないと必ず面倒なことになる。俺は重い口を開いた。
(…手、つないでくれたし)
(手ぐらい、俺がつないでやる)
 そう言って、サイファーは俺の手を無理に掴んできた。
 なんか違う気がして、子どもの俺はさらに言い募る。
(…歌、うたってくれたし)
(お前、バカじゃねーのか。…歌ぐらい、俺だって歌ってやる)
 サイファーはムッとした顔で、俺の手を握ったまま、歌い始めた。
 凪いだ海をふたり並んで座って眺めながら、俺は黙って歌を聴いていた。奇妙な午後だった。海は青く澄んで、柔らかい潮風が吹いていた。
 サイファーの歌はヘタクソだった。
 …でも、俺はあのときから、サイファーを好きになった。

 * * * * *

 目が覚めると、コーヒーの香りがした。
 俺の部屋じゃない、と気付くと同時に、この状況に至る過程が甦った。
 …あれ、現実の話だったのか。
 体の奥には、確かに鈍い痛みが残っている。
 ゆうべ、そこにサイファーを受け入れたことを思い出してしまい、俺は思わず頭を抱えた。
 違う。あれは、俺のせいじゃない。サイファーが強引にしてきたことだ。
 半年前は反吐を吐きそうな顔で俺のことを見ていたくせに、どういう風の吹きまわしか知らないが、昨夜のサイファーは変だった。
 初めは俺も死にもの狂いで抵抗したが、途中からどうしていいのか分からなくなった。サイファーはまるで、好きな女を抱くみたいなやり方で、俺を抱こうとしてくるのだ。
 暴行されそうになったことなら過去に何回かあったが、普通は先に手足を何かで拘束しようとする。そして速やかに目的を達するべく、殴るか蹴るかした後は、即座にベルトを外しに来るものだ。
 それなのに、サイファーは違った。
 さんざん暴れた俺をようやく押さえつけたのに、熱っぽい声で名前を呼び、何度もキスしてきて…SeeDの男を襲おうってのに、武器で脅すどころか、自ら急所の舌を相手の歯の間に入れるなんて、非常識もいいところだ。
 よっぽど噛みついてやろうかと思ったが、やっぱり俺にはそんなことは出来ず、迷っているうちに、どんどんコトが順番通りに進行して…、そのうち、俺もどうでも良くなってしまった。
 怪我をするのが嫌だから、と渋々応じた格好にしたものの、サイファーはどう思っただろう。
 …少しばかり、協力的過ぎたかもしれない。
 けれど、それも仕方ないと思う。
 だって、俺の方はずっと…サイファーのことが好きだったんだから。

 * * * * *

 候補生になった頃からだろうか。
 訓練にのめり込み、G.F.をジャンクションし過ぎた俺は、次々と記憶を失っていった。それが原因で、サイファーと何度も喧嘩をしたことも、あの戦争が終わってから思い出した。
 そのときにはもう、俺とサイファーの仲は、修復のしようがないほど険悪な状態になっていた。にも関わらず、子どもの頃の記憶を取り戻し、サイファーという男の全体像が見えてくると、俺は日に日に彼のことが気になってどうしようもなくなり、終いにはそれが恋だと認めざるを得なくなった。
 叶うはずもないそれに鬱鬱としている現状を打破したいと思って、別のSeeDと付き合い始めた。結局、誰かと付き合ってみても俺の病気は治らなかったが、サイファーの反応は分かり易かった。嫌悪に満ちた態度を見て、ヘタに告白しようとか血迷わなくてよかった、と心から思ったものだ。
 だけど、昨日のサイファーの振る舞いは、全く正反対に見えた。
 正直…向こうがどういうつもりなのか、俺にはさっぱり分からない。
 ゆうべの俺は疲れきっていた。
 渡されたコーヒーを飲みながら、一応、どう返事すべきか考えたが、考えても考えても駄目だった。そもそも、あんなに激しくされた後で、難しいことなんか考えられるものか。
 それに、つまりのところ、俺は断りたくないのだ。
 これが一時の気まぐれだとしたって、構わないじゃないか。
 どうせ、もう最後までしてしまったんだし…。
 開き直った気分で、コーヒーについての感想をそのまま返事にすると、彼には意外だったのか、終始不思議そうにしていた。俺が自分を好きだと、全然気付かないのが可笑しかった。
 向こうの心境は不明だが、少なくとも、俺を嫌いなら付き合うなんて言わないだろう、そう思うと、長い間胸に刺さっていた氷の棘が溶けていくようだった。
 俺はもう、心身共にへとへとだった。
 だいたい、あの資料をサイファーに届けるかどうかで既に、一時間はたっぷり苦悩したんだ。
 半ばヤケクソになって部屋を訪ねた結果が、この展開だ。
 とっくに限界を超えていた。笑っているうちに、すぐに眠ってしまった。

 * * * * *

 寝癖のついた髪をかきあげて、冷静になろうと深呼吸したとき、ベッドの側に人の気配がした。
 うわ。サイファーだ。
 サイファーの部屋なんだから居るのは当然だけど…ものすごく緊張する。
「起きたのか、お前」
「…ああ」
「…調子はどうだ、その、…」
「…」
 Tシャツに短パン姿のサイファーは、珍しく歯切れが悪い。
 どうだと言われても、…「痛い」なんて言いたくなくて、横たわったまま目を反らす。
 俺が黙っていると、サイファーはベッドの上にかがみこみ、手を伸ばして、俺の頬に触れた。まるで俺が噛みつくとでも思ってるみたいな、怖々とした手つきで。
「…ゆうべは悪かったな。いきなりでよ」
 なんだか赤くなって、ぎくしゃくしている。
 どうやら向こうも相当に気まずいらしいと分かって、俺は少しだけ、心の余裕が戻ってきた。
「…いい匂いだな。コーヒー、もらえるか?」
「おう。そろそろ起きるかと思って、今淹れたところだ」
 遠まわしに怒っていないことを伝えると、サイファーはホッとしたようで、すぐにベッドまでマグを持ってきてくれた。
 痛みを堪えながら、そろそろと半身を起こした。
 白いカップに注がれたコーヒーは、昨晩と同じように美味しい。
 サイファーは俺の居るベッドに斜めに腰掛け、自分もカップを傾けている。
 …それにしても。
「…あんた、撤回しないのか」
「あ?」
「昨日の話…本気なのか?」
 どうしても聞かずにはいられなくて、つい、自分から蒸し返してしまう。撤回して欲しいなんて、全然思っていないのに。
「…コーヒー、不味いのか?」
 サイファーはほんの少し怒ったような顔で、俺の顔を覗き込んでくる。
「いや、…美味しい」
「んじゃ、いいだろ」
 本当にいいんだろうか…? と思うが、ともかく、彼の気が変わっていないことは分かった。
「…このあと、シャワーも借りたい」
「おう、ゆっくりしてけ。俺も午前中はオフだしよ。…着替えも貸すか?」
 サイファーは俺の申し出に機嫌を直したようで、自分のコーヒーを飲み終えて立ち上がる。そう言われると、いま着ている昨日と同じシャツは着たくない気がした。
「あんたの服じゃ大きすぎる。悪いが、俺の部屋から取って来てくれないか」
 自室は実はすぐそこなのだが、俺はまだ普通の顔で廊下を歩く自信が無い。
「お前の部屋に、俺が入っていいのか?」
 サイファーはかなり驚いたようだ。昨日までロクに口も利かなかったのに、急過ぎただろうか。いや、それを言ったら何もかもが急なのだけど。
「…誰かに見つかると、面倒かな」
 サイファーがキーを使う姿を見られたら、また口さがない連中が大喜びで吹聴して回るだろう。俺はいまさら構わないが、サイファーには迷惑かもしれない。
「…いいや。そのほうが、かえって話が早いだろ」
 男らしいのが信条のサイファーは、ロクに考えもせず、そう答えた。椅子に掛けられた俺の服から、カードキーを取りだす。
「じゃ、行ってくっからよ」
 サイファーはそう言うと、ふと動作を止め、少しためらった後、意を決したようにベッドサイドに戻って来て…俺の頬にキスして、出て行った。
 ……。
 ひとりになった部屋で俺はうつむき、熱くなった頬を手のひらで押さえた。
 どうやら、本気で俺の恋人になってくれるつもりらしい。
 彼の唇がそこに触れたのは一瞬で、本当に軽いキスだった。
 なのに、サイファーがあんまり真剣な顔でしてくるから、俺も変にどぎまぎしてしまった…。
 なんだか、信じられない。
 昨夜、突然押し倒されたときは驚いたけど…ここまで俺に都合良く、話が進んでいいのだろうか。サイファーが淹れてくれた二度目のコーヒーを、サイファーのベッドで啜っている自分が不思議だ。
 どうも騙されているような気もするが、こんなに幸せな気分になれるなら、俺は…もう少しだけ、騙されていたい。



2012.7.26 / コーヒー以前の問題(解答編) / END


 似たような話ばっかりですみません。サイファーがコーヒーを淹れるのは書き手の趣味ですが、すぐに歌うのは何故なのか謎です。しかも多分ヘタだし、と密かに思っていたら、とうとうスコールがハッキリ言ってしまいました。駄目じゃん。
 ここで終わるつもりが、後日談的に続きました。よろしければ、下のリンクからさらにお付き合いください。