※「会いたかった」の10年後という設定なので、出来れば前作からご覧ください。




10年後の薔薇と、特別なソファの話。

 シャワールームから出て来たスコールは、テーブルを見下ろし、呆れた声を出した。
「あんた、結局また薔薇買ったのか」
「まーな」
 そう言われるのは分かってたが、俺は敢えていつもと同じものを用意した。
「…もう、祝うような歳じゃないって言っただろ」
 タオルで髪のしずくを拭いつつ、しかめっ面でパラフィンで巻かれた花束を取り上げるスコールに、俺は添えたカードを指差して見せた。
「お前があんまりそうやって嫌がるからよ、今年は誕生祝いはやめた」
「…え?」
 スコールは不審げに眉をひそめ、閉じられていたアイボリーのカードを開く。その視線が文面に落ち、髪を拭いていた片手が止まった。
 今年、俺はお馴染みの"Happy Birthday"じゃなく、"For Our 10th Anniversary"と書いた。
「…誕生日じゃなくて、記念日のほう。それなら、祝ったっていいよな?」
 俺が冷蔵庫から冷えたボトルを取り出し、グラスふたつをローテーブルに置くと、ヤツは放心から覚めて、花束を抱えたままくるりと背を向けた。
「…どっちにしろ、薔薇で祝うようなガラじゃないだろ」
 そっけない口調で返してくる耳元が、花と同じ色に染まってるのを見て、俺は密かに笑いを噛み殺す。
「花は要らない」、なんて良く言うぜ。やっぱり「結局また薔薇」でいいんじゃねえか。
 春にこの部屋に引っ越して以来、初めて花瓶を出して、スコールは薔薇を飾った。


 捨てる、捨てない、で一悶着あった古びたソファに並んで座る。
 照れて渋るスコールの手にグラスを握らせ、フルート型のグラスのふちを合わせた。
「10周年だぜ? すげーよな」
 細かい泡の粒子がグラスの底から生まれて、水面に昇って行くのを眺め、俺は実感を込めて呟く。
 俺たちの関係は、いつも順風満帆、とは行かなかった。
 決定的な別れ話が出たのも一度や二度じゃきかねえし、たった三週間だったが、実際別れたこともある。
 きっかけは様々だ。
 他愛もない行き違いに始まって、誰かからのひどい侮辱、善意の忠告、あるいは仲間の結婚だとか、子どもが生まれただとか、めでてえニュースが火種になったこともあった。
 一緒に住もうぜと誘っても、スコールはなかなか同意しなかった。春にこの部屋を新しく借りて、やっと二人暮らしになったばかりだ。
「…そうだな、意外に続いたな」
 可愛げ無い返事をするスコールの横顔を、俺は意味ありげに見つめる。ヤツは俺の視線に気づき、居心地悪そうに「…何だ」と軽く睨んでくる。スコールの両目を覗き込んだまま、ニヤリと笑って言ってやった。
「10年前、このソファで、初めてしたよな?」
「…な、」
 大きく見開いた薄蒼い目の焦点が、宙を揺れた。
 その手のグラスが、ぐらり、と傾くのをとっさに手を伸ばして支える。
「…お前、思ったよりちゃんと覚えてんのな」
 その反応に思わず俺が目を細めると、スコールはハッとしてこっちに向き直った。
「あんた、まさか……それでこのソファ捨てなかったのか!?」
「…まーな。初めての場所って、特別だろ?」
 引っ越しのとき、スコールは新しい部屋に合わせ、新しいソファを買いたがった。座り心地が良く、スプリングの軋まない新品は確かに魅力的だったが、俺はどうしてもこのソファを持って行くと譲らず、「どうしたんだ? こんな不格好なソファに入れ込むなんて、あんたらしくもない」とスコールを呆れさせた。


 スコールがガーデンを卒業したあの日を、俺は一生忘れねえだろう。
 10年前、スコールは二十歳だった。
 狭いフラットで、俺の作ったナポリタンを食べ、スコールは「やっぱりしょっぱい」と文句をつけた。
 …それから、このソファに座って、キスをした。
 俺のキスが少しずつ長くなると、スコールは怒ったような顔をして、身体を離した。
 ソファの隅へ隅へと身を寄せて…それでも、ソファの外にまでは逃げ出さず、それで俺はスコールが本気で逃げる気はないと分かった。笑っちゃいけねえ、と思いながらどうしても笑ってしまう俺を、スコールは睨み上げた。
(何が可笑しい)
(いや、…悪い。スコール、そう怒るなって)
(あんた、ホントにヤな奴だ。そうやってひとりだけ余裕で)
(余裕じゃねーって)
 実際、余裕なんざ無かった。
(何の相談もしてないのに、俺を女扱いする気満々なんだろ、どうせ)
 否定できねえな、と俺は苦笑した。
 別に女扱いっていう訳じゃねえが、性分の問題だ。
(お前、俺の薔薇を黙って受け取ってくれたじゃねえか。今さら拗ねんなよ)
 そう言ってスコールの前髪をかきあげて傷跡にキスすると、向こうも自覚があったのか、不服そうにしながらもしばらく黙り、ため息をついた。
(…あんた、絶対に笑うなよ)
 そう前置きして、スコールはうつむき、ひどく恥ずかしそうに打ち明けた。
(俺は、…まだ一度もそういう…経験が無いんだ。…女とも)
(…あ? …え、お前、…マジでか?)
 本気で驚いた。
 いくら恋愛に興味が無さそうと言ったってこのツラだ、女子がほっとかねえ。言い寄って来る女のうち、誰かと寝たことぐらいあるだろ、と思い込んでいた。
(…そうだ、悪かったなっ)
 驚く俺にスコールは機嫌を損ねて顔を背けたが、こっちも笑うどころじゃねえ。
 俺は…スコールのまだ誰も触れたことがないところに触れ、誰も見たことが無いスコールを見られるのだと知って、しばらく言葉が出なかった。
 興奮で気が遠くなりそうだった。ただ、ぎゅうと力を込めてスコールを抱き締めた。
 考えてみりゃ、俺だって二十歳だったんだ。


「ずっとあのボロいフラットに住んでるわけにもいかねえから、ソファだけでもとっときたくてよ」
「そんな理由で気に入ってるんだと思わなかった…!」
「あんときはなかなか入んなくて、お前、マジで死にそうな顔してたよなぁ。懐かしいぜ」
 初々しいスコールの泣き顔を思い出せば、どうしたって顔がニヤける。今日はもうやめるか、と俺が言ってもスコールは強情で、こんな思いまでしたので中途半端なんて嫌だ、構わないからやれ、と涙目で言い張って…
「…買い替える」
 眉間に皺を寄せたスコールが低く宣言する。
「嫌だ。絶対捨てねー」
「あんたが特別に気に入ってるっていうから譲歩してやったんだ。そんなヤラしい理由なら、認めない」
 そう言ってスコールは、まだ7割方残っていたグラスを一気に干した。
「そんなこと言うなって」
 すっかり機嫌を損ねちまったスコールの手から、空になったグラスを取り上げる。
「たぶん、この部屋からもいつか引っ越すんだろうけどよ、そのときはまた持ってくからな」
 この件に関しちゃ、俺は引くつもりはない。
「そのうち壊れる。…もう、破れてるし」
 投げやりに呟くスコールの肩を抱いて、引きよせた。
「修理に出せばいいだろ。これ、フレームだけはやたら頑丈だからよ、あと10年でも20年でももつって」
 スコールは、ときどき疑う。こういう毎日が、ずっと続いていくと思えなくなって、ひとりで勝手に悩み始める。
 些細な誤解やすれ違いが、時折ひどくこじれるのは、こいつの心の何処かに、俺との関係を信じていない部分があるせいだ。
 だけど、お前が信じなくてどうする?
 お前が信じなくちゃ、何もかも、意味がねえだろ?
「なあ、スコール…50周年も、このソファでふたりで並んで、コーヒーでも飲んで祝おうぜ?」
「…50周年?」
 スコールは突拍子もない、という顔で瞬きするが、俺は本気だ。
「そーゆーのって、すげえロマンティックじゃねえ?」
 額を突き合わせて笑ってやると、スコールの顔が泣きそうに歪む。
「…あんたのロマンは、俺には何年経っても分からない」
 口ではそう言っても、お前はこういう俺に惚れてるんだ。
 ゆっくり顔を近づけると、スコールが目を閉じる。
 唇を重ねて、ゆっくり覆いかぶさり、ソファの上に恋人の身体を押し倒す。いつもベッドでするように、両の手首を押さえると、スコールが慌てて身を捩った。
「…、ちょっと待て! ここでする気か!?」
「今日ぐらいいいだろ。記念行事ってことで」
 何しろ長い付き合いだ。明るいリビングでの情事をスコールが嫌がることぐらい知ってるが、抵抗出来なくなるやり方も分かっていて、俺はヤツの両手を捕まえたまま、耳の裏に口づけた。
 やめろ、ばか、という制止を無視して、付け根の際に何度もキスを繰り返すと、悪態がだんだん弱々しくなってくる。
「…あんた、卑怯だ…! さっきは並んでコーヒーとか言ってたくせにっ」
 負けを悟ったスコールの、悔しそうな口調が可愛くて参っちまう。
「それは、まだ先の話だろ。今は…」
 一番ふさわしい続きを探して言葉を切り、俺は身体を起こす。
 蒼い目と目を合わせれば、答えは言葉にするまでもなく、

 お前をもっと、愛してやりたい。



2015.8.23 / 10年後の薔薇と、特別なソファの話。 / END


 スコールの誕生祝いに新しいお話が思いつかず、苦し紛れの三十路ものになってしまいました。2年前に「会いたかった」を書いたとき、おまけ的に次のシーンを書いたものの、とうとう仕上がらなかったんですよね。今回の話には、そのボツ部分が散りばめてあります(笑)。
 すてきな薔薇の写真は、「ミントBlue」さまからお借りしました。ひと目見たときから「この写真をどこかで使いたい!」とずっと思っていたんですが、うちのサイトじゃなかなか使いどころが無くて…やっと念願かなって幸せです。お付き合いくださった方、ありがとうございました。