俺の手に余る荷物を背負って、夜の舗道を歩く。
間近に迫ったクリスマス用イルミネーションのまたたく光が、暗い路地にも差し込んでいる。
深夜0時。
大通りもすでに人影はまばらだが、あまりにも目立ち過ぎるので、俺は裏通りを選んだ。
背中じゅうに、ずっしりとのしかかる体重。吐く息は白く、鼻先が冷たい。肌寒いのか、右肩に乗っかっている頭が擦り寄せられるたびに、強烈なアルコールの匂いがする。
「…酒臭い」
「んー? お前の飲みが足りねーんだろ」
サイファーはいつもより間延びした声で、機嫌良く答えた。
人に担がれておいて、いい気なものだ。
首に回されたサイファーの手に、プレゼントの紙袋が幾つもぶら下がっていて、非常に歩きづらい。俺より大柄な上背が余って、妙に顔が近いのもやりにくくて困る。
「あんた、どう考えても飲み過ぎだ。これから独りで暮らすんだぞ。大丈夫なのか、そんなんで」
無駄と知りながら、説教のひとつも垂れたくなる。
主賓だからさんざん注がれるし、飲まされるのも分かるが、いくらなんでも、歩けなくなるまで飲むのは無いと思う。
「そりゃ、こっちの台詞だ。お前、俺が居なくて寂しくて泣くんじゃねーの?」
耳元から響いてくる、からかうような口調を聞き流して、俺は黙って夜道を進む。サイファーの引っ越した部屋は、バラム市街地の南の外れに立つ、古いアパートメントの一室だ。契約に立ち会ったから、場所は分かっていた。
「考えてみりゃ、お前と離れるのって、すげー久しぶりだよな…。お前がガーデンに来てからは、何だかんだ言ってもずっと一緒だったし」
「あの戦争のときは、離れてただろ」
あんた勝手にひとりで、あの魔女について行ったじゃないか。
そこまで言うと、余計なことまで伝わってしまいそうで、俺は言葉の後半を飲む込む。
「あんときゃ俺の方はあんまし現実感無かったからなぁ。ま、あの女の魔法にやられてたんだけどよ」
中心街を離れると、途端に灯りが少なくなる。
荷物に道を聞いてもアテにならない。
俺は記憶を頼りに十字交差を数えて角を曲がり、アパートを見つけた。
ポーチの照明が、切れかかって細かく震えている。いまどきエレベータもないビルの階段を巨体を背負って上って行き、ようやく目指すドアが見えた。
「…ほら、着いたぞ。まったく、あんた自分の図体考えてくれ」
「スコール、」
「鍵」
呼ぶ声を無視して必要なことを訴えると、ため息とともにごそごそとポケットを探る気配がして、俺の目の前にキーリングがぶらさがった。後ろに回した左手一本で、サイファーの胴体を背中に乗っけた状態を保ちつつ、簡素なドアの鍵穴に受け取ったキーを差し込んで回す。扉を引き開けて、閉じようとする隙間に片足を突っ込み、よろけながら室内に入り込んだ。
「サイファー、電気点けてくれ」
「おう」
スイッチへ手を伸ばすのが面倒で、背中のサイファーに頼むと、ぱっと室内が明るくなった。
まだ引越しの荷ほどきが途中らしく、段ボール箱があちこちに積まれ、いくつかは蓋が開けっ放しになっている。
決して広いとは言えない部屋の隅に、シングルベッドが寄せてあった。ちゃんと寝られるようにベッドメイキングされていて、ほっとする。
背中にのしかかる重量にうっと息を詰めながら身をかがめ、片手で毛布を剥がして片側に寄せる。露わになったシーツの上にサイファーを降ろそうとするのに、酔っぱらいが俺の首に回した手を離さないので、つられてバランスを崩しそうになる。手首を掴んで引き剥がし、ようやく腕の輪から抜け出した。
「ああ、重かった」
サイファーがその手首からぶら下げていた、皆からの卒業祝いの紙袋も取り上げて床に下ろし、ついでにダウンジャケットも脱がせて、どうにか長身を正しい方向に寝かしつける。
「お前って、何にもジャンクションしてねーと、案外非力だよなぁ」
後生大事に背負ってきてやったのに、荷物が恩知らずな口を聞いてくる。
「あんた、たいがいにしないと表に転がして帰るぞ」
「そう怒んなよ、スコール。…運んでくれてありがとよ」
ベッドに収まったサイファーが俺を見上げて、ガラにもなく礼など言うので、少しひるんだ。緑の両目が、何か違うことを言っているみたいに笑いかけてくる。
「まあ、あんたの世話焼くのも、これが最後だから」
目線を外して毛布を広げ、横たわった体に掛けてやる。
サイファーの保護監察期間は、今日までだった。俺もこれで、監視官の任期は満了だ。
俺はエアコンのパネルを探し、冷えた部屋に暖房を入れた。
少し考えて、オフタイマーをセットする。
「つめてーな。近くなんだから、たまにはメシでも食いに来いよ」
「あんたのあのヘンな料理をか」
アレから逃れられると思うと、その点だけは心の慰めになるぐらいだ。
「その前のお前のメシのほうがよっぽどヒドイじゃねーか」
お前、俺が居なくてもちゃんとまともなモン食えよな、と寝転がったまま説教を返して来る。以前、俺は部屋では栄養補助食品のビスケットやゼリーばかり食べていたのだが、サイファーと同室になったとき、「こんなもんメシじゃねえ」と禁止されてしまった。俺から言わせれば、あんたの料理だって十分問題だ。…まあ、もう口にする機会もないだろうが。
「スコール」
サイファーが、今夜はやたらと俺の名前を呼ぶ。そのたびに、俺の胸のうちで何かがざわめく。
「鍵は新聞受けに入れとくからな」
それを気取られないうちに帰ろうとすると、横になったサイファーは俺のコートの裾を捕まえて、「お前、泊まってけよ」なんて無茶を言う。
「泊まれるわけないだろ。あんたはめでたく卒業でも、俺は明日も朝から仕事なんだから」
グレイのダッフルの裾を引っ張り返して、サイファーの手から逃れた。本当は、今日中に済ませるつもりだった仕事だって、途中のままなんだ。
「絶対出席!」と皆から釘を刺されまくって、仕方なく業務を後回しにして送別会に出たら帰してもらえなくなり、こうしてサイファーを部屋まで送り届けなきゃならない羽目になった。
ガーデン行きのバスはとっくに終わってるし、ここまでとうとうタクシーの姿も見かけなかった。あのクソ寒い夜道を、とぼとぼ歩いて帰らなきゃならない俺の身にもなれ、と思う。
「お前が卒業するときは、俺が迎えに行ってやるからな」
「はいはい」
またコートの裾をつかまれそうになって、ベッドから離れた。
「でっかい花束持ってくから、ちゃんと待ってろよ」
「はいはい」
さっき床に投げ出した紙袋を並べ直しつつ生返事を返すと、サイファーはむくりと上体を起こして、俺を指さして不満そうに絡んでくる。
「スコール。信じてねーだろ。だいたい、お前はいつも…、」
クダを巻きかけて、サイファーの体が、がくんと揺れた。
酔っぱらいはそのまま横向きにばたり、とベッドに倒れ、ほどなくして、軽く寝息を立てはじめた。
「…」
お前はいつも、…何だって言うんだ。どうせ、悪口だろうけど。
俺は、幼馴染の呑気な寝顔を眺めた。
今日、今はもう昨日だけれど、12月22日はサイファーの誕生日で、彼はガーデンを卒業したのだ。
おめでとう、と俺は呟いた。
卒業おめでとう。
いろいろあったけれど、二十歳まで生き延びて、職もみつかった。一時はどうなることかと思っていた。…本当に良かった。
眠るサイファーの頬に手を伸ばしかけて、俺は、触れたい衝動ごと、その指を握り込んだ。
帰らなくちゃいけない。
さよなら、と心の中だけで囁き、俺はその部屋を後にした。
シリンダー錠を回してロックを掛け、鍵を新聞受けに鍵を放り込む。
このまま、もう会わないかもしれないな、と思った。
白い息を吐いて、来た夜道を引き返す。
荷物をなくして、恐ろしく軽くなった背中が寒かった。
ほんの少しの間、俺の卒業の日に、サイファーが迎えに来てくれるところを思い浮かべてみる。
花束か。
歩きながら、ひとりでに笑いが零れた。悪くない想像だった。
朝になったらもう、サイファーは自分の言ったことなんて覚えていないだろうけど、子どもの頃から彼はいつも、俺に不思議な夢を見せてくれる。ガンブレードなんて、時代錯誤な武器を俺が選んでしまったのは、サイファーのせいだ。
白い息は、吐くそばから闇に溶けていく。
あんたはいいよな。
新しい部屋で、新しい仕事で。そこに俺が居ないのは当然のことだ。俺のほうは何もかも今までどおりの生活の中で、あんたの欠落と向き合わなきゃいけないのに。
本当は昨日、サイファーから何か告げられるんじゃないかと、漠然と予感していた。
俺はずっと、それを恐れていた。
けれど、結局彼は何も言わなかった。
そうして言われないまま終わってみると、本心ではその告白を待っていた自分を認めざるを得ない。
まだ仕事が残ってるのに、引きとめられるままにずるずると一番最後まで付き合って、部屋まで送り届ける役まで断り切れなかったのは、きっと、サイファーが何か言ってくれるんじゃないか、と期待する気持ちが何処かにあったせいだ。
バカみたいだな。
何も言われない方がいいし、何も言わない方がいいって、何度も同じ結論に達してるのに。
俺たちは危ない橋を渡っていた。少なくとも、俺はそうだった。
これで無事に渡りきった。たぶん、そういうことなんだろう。
冬の空気は冴え冴えとして、深く吸い込むと肺の底から冷えた。
俺は黙々と両足を動かして前へ進む。
会わずにいれば、忘れられるだろうか。
…まだ、わからない。
自分の問いを保留して、黒い空を見上げる。
散らばった星が瞬いて、わざとらしいほど綺麗だ。
確かなことはひとつ、明日からもうあの部屋に、サイファーは居ない。
2012.8.17 / 会いたかった 1 / to be continued …
スコールの誕生日祝いという触れ込みなのに、いきなりの真冬…。
季節感皆無の有り得ん導入部ですみません。
次回、後半はちゃんと8月になりますので、どうか見捨てずお付き合いください。