Awfully Sweet

 三つ目は、ごくシンプルなトリュフチョコだった。口に入れると、薄い被膜はすぐに割れて、なかのガナッシュは柔らかく、ラムの香りがした。高価かっただけあって、なかなか美味しい。
 四つ目のチョコレートは、オレンジピールのクラッシュが飾られている。これはきっとグランマニエかキュラソーだろうな。舌の上のラムの味が消えてから、それにも手を伸ばす。思ったとおり、甘苦い果皮とビターチョコの風味が口いっぱいに広がった。
 これも美味しい、が、やっぱり、自分には少し甘過ぎる。そう幾つもは食べられないな…。自室のライティングデスクに置いた箱の中に、二粒残ったチョコレートを眺めて思案する。
 壁の時計の針は2340過ぎを指していて、あと20分足らずで今日が終わってしまう。このチョコレートは、今日中に片づけてしまいたい。でも、捨てるのはイヤだ。気分の問題として。あんなに迷って買ったものを、ごみ箱へ入れる気になれない。

(スコール、お前はチョコくれねーの?)

 …サイファーはおそらく、そんなこと言わないだろうけど。
 俺とサイファーは微妙な関係だ。付き合っているわけじゃない。好意を告げたことも告げられたこともない。しかし、何でも無いというわけでもない。
 二人きりで部屋にいると、サイファーのほうからべたべたしてくるし、俺もそれについて苦情も言わず、好きにさせている。というか、もっとべたべたしてくれてもいい、と思いながら、何も言えずにいる。
 こういう状態を世間でどう評するのか分からないが、多分…サイファーは俺にチョコレートを期待してはいない、と思う。

 大体、チョコなんか、リビングに並べた段ボール箱に山盛りに入っている。
 俺は一応、指揮官というお飾り的立場にあるから、こういうイベントの標的になるのも理解できるが、サイファーの分の箱だって、ハート模様の包装紙、色とりどりのセロファン、金色のシール、シックなリボンの掛った高級そうなものまで、種々雑多なプレゼントで満たされている…十分に間に合ってるんだ。そもそもサイファーが、バレンタインにチョコを欲しがるような男だとは思えないし。
 しかし彼は、ロマンティストを自称していて、こういったイベントを大切に考えている可能性もある。それより何より、俺が悩む筋合いなのかどうかが…今一つはっきりしないのが困るんだ。

 サイファーの態度が変わったのは、ガルバディアから帰ってきてからだ。
 機嫌がいいと、リノアの言うところの「はぐはぐ」を頻繁に俺に仕掛けてくる。同性の幼馴染に対するスキンシップとしては、いささか過剰だと思う。
 でも、それはバラムの慣習から判断した限りの話。もしかしたら、ガルバディア軍では普通なのかもしれない…。それ以上のことをされることもあるが、つまり…端的に言えばキヨラカな仲で、どうも真意が分からない。
 さらに問題を重たくしているのが、あの「お返し」というしきたりだ。あれは本当に良くない。廃止したらどうか。もしもこのチョコレートが見当違いなものだったとしても、あのルールさえ無ければ、数日気まずい思いをすれば済むことなのに、一ヶ月後にそれがまた蒸し返されると思うと、そうそう気安く渡せるものではない。
 くどいようだが、サイファーは俺からチョコなど貰うつもりはないと、基本的には思っている。しかしまさか、そんなことはないだろうが、サイファーが俺からチョコが無くてがっかり…、とまではいかなくとも、俺がチョコを渡すのがこの状況では普通だと万が一判ったときに備えて…、要するに、念のために買ってみた。あくまで、念のためにだ。サイファーが当日、チョコレートのことを聞いてこなければ、そのまま処分するつもりだった。

 それなのに…サイファーは今朝、突然任務を割り当てられて、ばたばたと出て行ってしまった。俺がまだベッドで寝ているところへ入ってきて、スコール、と俺を呼び、急に代打で出ることになった、明日帰ってくるからな、と頬に軽くキスをして。
 あっという間だった。チョコレートなんか、つけいる隙も無かった。
 俺のデスクに隠されていた小さな箱は、今朝の0515には不要になった。

 * * * * *

 チョコレートの包装を解いて、ひとつ目を食べてしまってから気が付いたんだ。本当は、これもあの段ボール箱の中へ突っ込んでしまえば良かったんだよな…。でも、開けてしまった以上、今さらあの中へは入れられない。それに、もしあのチョコの山にこれを紛れ込ませたら、俺はきっと…サイファーが捨てるか食べるかはっきりするまで、やきもきし続けることになっただろうし。
 もう甘いものへの欲求を感じなかったが、頑張ってもうひとつ、金箔をあしらった一粒を摘みあげて、えいっと口に放りこんだとき。
「スコール、入るぞ」
 背後から予期しない声が掛って、俺は驚きのあまり、口の中のチョコをごくんと飲み下してしまった。
「あんた、何で…早いじゃないか」
 チョコレートの箱を、机の一番上の引き出しにさりげなく滑り込ませながら、俺は振り返った。5つ目のチョコは、結局何味だったのかよく分からなかった…。
「おう。速攻で片づけて来たからよ」
 まだコート姿のサイファーはそう言いながらグローブを外し、デスクチェアに座った俺の髪を撫で、かがみこんで頬にキスしてくる。外から来たばかりの彼の指も唇も、微かに触れる鼻先もつめたくて、表の空気の匂いがした。こんな時間に帰ってくるなんて…本当は宿泊の予定だっただろうに。
「あんた、今日の任務は車か?」
「ああ。あー、日報書いてねーや。ま、明日でいいよな」
 一緒に行ったSeeDも日帰りに付き合わされたのかと思うと、気の毒になってくる。サイファーは機嫌良く俺の髪に顔を埋めていたが、ふいに面を上げて、表情を曇らせた。
「お前…チョコレート臭い」
「え」
 俺の口元のあたりをふんふんと嗅ぎ直し、サイファーは、眼光鋭く俺を睨みつけてきた。
「貰ったチョコ、食ったのか?」
「いや、…」
 食べたけど。貰ったのを食べたんじゃない、というのを、どう説明したものか迷って、口ごもった。
「いや、じゃねーだろ。お前…誰からのチョコ食ったんだよ?」
 いったい何で俺がこんなに怒られるんだ?
 チョコレートは食品だし、受け取ったら、もう自分のものじゃないのか?
「食べたら駄目なのか?」
 バレンタインデーには、何かまだ俺の知らないルールがあるのかもしれないと思い尋ねてみた途端、サイファーは俺の両肩をがっと掴んで怒鳴った。
「あったりめーだろーが! お前、俺と付き合ってる自覚あんのか!?」
 俺は、耳を疑った。
 今、何て言った? …付き合ってるって、言ったのか?
「……そうだったのか」
 放心して思わず呟くと、サイファーが俺の肩を掴んだまま、凄まじい貌でぶるぶると震えだした。
 マズイ。つい口にしてしまったが、どうやら間違った感想だったみたいだ。
「いや…その、そうかも、と思っていないことも無かったんだが…」
「もーいい。黙れ」
 俺の下手くそなフォローを遮って、サイファーは怒った顔のまま、キスで俺の口を塞いだ。…そうだよな。こういうことするってことは…付き合ってるっていうことだったんだ。
 いつもはほんの一瞬、触れるか触れないかというほど軽いのに、今日のキスは違った。重ねたまま、何度か柔らかく押し付けられて、すごく…どきどきした。けれど唇が離れると、俺はいつものように、つい何も無かったような態度を取ってしまう。
「で、誰のチョコだよ」
 サイファーが、コートを脱ぎながら、まだ少し棘のある口調で聞いてくる。その話、終わってなかったのか。
「買ったんだ」
「買った? お前が? 自分で? ……何で?」
 しぶしぶ答える俺に、彼は眉をひそめる。
「その…念のために」
「念のためって…何が」
「何って言うか…」
 あんたのために買った、とはどうしても言えなくて、要領を得ない答えになる。サイファーは俺の反応を不審そうに見下ろして、俺の腹の前にあるデスクの引き出しを開けた。上手く誤魔化したつもりだったけど、見えてたんだな…。彼は六個入りだった箱の右下に、ぽつんとひとつだけ残ったチョコレートを凝視した。
「あの…食べるか?」
 それを今からどう処理すればいいのか分からなくなった俺は、場当たり的にサイファーに勧めてみる。
「食っていいのか?」
「だって…俺が買ったんだし」
 変な会話だ。主に俺のせいだが。
 サイファーは腑に落ちない顔のまま、最後のチョコを取って口に入れる。
「美味い」
 サイファーの感想に、ほわり、と温かい気持ちが胸に湧いた。嬉しさを押し隠し、ベッドに腰を下ろした彼に、俺は気のないふうを装って聞いてみる。
「ふーん。何味?」
「チェリー」
 簡潔な答えと同時に、ぐいと腕を引き寄せられて、俺はデスクチェアからサイファーの隣に座り直す。再び重なった唇の隙間から、食べかけのチョコのかけらが入ってくる。ダークチェリーとキルシュの味がして、軽く眩暈を覚えた。キスの終わりに、俺の唇に溶けだしたチョコを、生温かいものが拭った。
「…っ!」
 唇を舐められたのだと分かって、一気に頭に血が上る。
 視線を反らし、離れた位置に座りなおそうと腰を浮かせるが、「こら、逃げんな」と引き戻された。
 待て。なんなんだこの急な展開は!
 つい今朝まで、こんなヤラシイ雰囲気なんかなかったぞっ。
 無言で焦る俺の腰をしっかりホールドしたサイファーは、しばらく考えた末に、その空き箱について、ついにひとつの仮説を立てたらしい。
「スコール。…このチョコ、もしかして、俺にくれる気だったのか?」
「………」
「どうなんだよ。言ってくれなきゃ分かんねーだろが」
 サイファーが沈黙に苛立って、俺の背けた顔を振り向かせようとするのを拒み、俺は重い口を開いた。
「………まあ、会話の流れとか、空気とかで…、万が一、必要になったら渡そうかと…」
「マジかよ! なんでそれを自分で食うんだ」
 聞いといて真剣に驚くな。
「あんた…今日帰ってくると、思わなかったから」
「お前…じゃ、明日帰ってきたら、これは無かったことになってたのかよ?」
「…まあな」
 あとちょっと遅かったら、確実にそうなっていたと思う。
 サイファーは呆れたようにため息をついて、俺の頭をがしがしとかき回した。
 だって、バレンタインデーは一日きり。ただでさえ、男がチョコを渡すなんて変なんだ。それでもまだ当日なら、冗談めかして差しだすことも出来るだろうが、翌日になってまで贈るなんて…よほど本気の告白か、恋人同士のすることだろう。俺には無理だと思ったんだ…。
 ひとしきり俺の髪をかき回して気が済んだらしいサイファーは、自分で乱したそれを手櫛で直した。
「……帰って来れてよかったぜ」
 そう言って腕を回してくるので、俺は大人しく腕の中に収まる。
 それにしても、いったいいつから付き合ってたんだろう。サイファーってまったく分からないな、と思っていると、サイファーのほうが、お前ってまったく分かんねえ奴だな、と頭の上で呟いた。何が?と訊き返したかったが、訊いたらまた怒られそうな気がして、黙っておく。
 迷ったけど、やっぱり買ってよかったんだな…。彼の体に自分の身を馴染ませながら、俺が密かに満足していると、上からは不満げな声が降ってきた。
「おい。良く考えたら、お前、俺のチョコ、5つも食ったのか」
 …そう来るか。
「…渡す前なんだから、まだ俺のだろ」
「ひどいじゃねーか。俺、もっと食いたかった」
 子どもじみた苦情を、いまさら言ってくる。たった一個きりで悪かったな。そんなこと言ったって、あんた、今日はもう戻らない予定だったんだから、しょうがないじゃないか。サイファー宛てのチョコレートの本命度の高さを思い出して、俺は幾分か冷たく言い返した。
「チョコだったら、リビングにいくらでもあるだろ」
「お前のが良かったのに」
 …。
 サイファーは何気ない一言のつもりなのだろうけど、慣れない俺は、いちいち心拍が乱れる。
 もっと早く言ってくれれば、無理して自分で食べたりしなかった。俺だって本当は、あんたに食べてもらいたかったのに…などと死んでも言えないことを思っていると、サイファーの手が俺の顎に掛って、ぐいと仰向かされる。
「さっきのチョコ、返せよ」
 そんな無茶な、と言う前にもう唇が重なって…いったい今日は何回キスする気なんだ!急に態度が変わり過ぎだろ!と心の中で文句を付け、少しだけ抗ってみるが、目を閉じてる時点で、多分俺の負けなんだろう。サイファーはお座成りな抵抗を軽々と押さえつけ、初めて深く口づけてきた。
「さっきの」なんて言われたって、もちろんそんなの、とっくに溶けて無くなってる。
 しばらく、あるはずのないチョコを探された…。
 お互いまだ口の中にカカオの香りが残っていて、死にそうに甘かった。



2012.2.3 / Awfully Sweet / END