勝負はこれから。

 休日の夜、午後10時、リビングルーム。
 デートから帰ってきたスコールを捕まえ、Tシャツの後ろ襟に人差し指をひっかけて中を覗くと、白い背中に赤い爪跡が幾筋も引かれていた。
「はっ、やるな、あの魔女」
「サイファー! 見るなっ」
 驚いたスコールが身をよじって、俺の指と視線を外す。
「また派手に引っ掻かれたな。ケダモノとやってきたみてえだぜ」
「黙れ。これ以上なにか言ったら許さないからな」
 率直な感想を披露すると、奴は彼女の名誉を傷つけられたと思って、たちまち食ってかかってくる。
「お前、勘違いしてる」
「何を」
 スコールは聞きながらキッチンに向かい、冷蔵庫から水のボトルを取り出す。
「あの女は、俺に見せるためにわざわざ跡付けたんだよ」
「なに…?」
 俺の答えに意表を突かれたのか、ボトルに口を付けていた奴は一瞬ひるみ、それから、怪訝そうに振り返った。
「あんたは…リノアがまだ自分に気がある、そう言ってるのか?」
 見当違いの答えに、思わず吹き出しちまった。
「そういう見方もあるか。それはそれで面白いが、違うな」
「じゃあ何だ」
 笑われてむっとしたようで、一気に表情が険しくなる。
「お前、ここんとこキスマークふたつある」
「え!?…リノア、いつの間にっ、」
 うなじを指さして教えてやると、呑気にそこを晒して帰ってきた奴は慌てふためいた。
 さらに追い打ちをかけてやる。
「ひとつは俺が付けた」
「は!?」
 ポーカーフェイスは何処に行ったのか、完全に予想外の衝撃だったようで、目がまん丸くなった。
「今朝、お前デートだっつうのになかなか起きねえからよ。ま、ちょっとした嫌がらせに」
 電子ロックが故障しているのをいいことに、俺はちょいちょい奴の個室に出入りしている。
 朝が苦手なスコールは、目覚ましを間違って(故意に?)止めることがあり、定刻になっても起きだして来ないときは、起こしに行ってやるのが最近の楽しみになっているのだ。
「なっ、…何考えてんだあんたは!!…ああ、ああもう! 道理で…!」
 スコールはソファにどさりと腰を落として、頭を抱えた。
「なんか言ってたか?」
「スコールの部屋は変な虫が出るのかって聞かれた…」
「はっ、やっぱり俺だと思ってやがる。お前、他に女が居るのか疑われねえのが優等生だよな」
「あんたなあ…! 変な嫌がらせするな! リノアに何て思われたか…!」
「ま、デキてると思ったかもな。リノアの奴、これ見よがしにマーキングしまくりだし」
 背中、シャワー滲みるだろ、と笑ってやる。
「うるさい! 何て事してくれるんだ!」
 スコールの罵声を聞き流しながら、俺は奴の座るソファの後ろに回り込んだ。
「キスマークも…あの女、俺が付けたのの真横に、三倍ぐらいデカく付けやがって。
どんだけ吸いまくったんだよ」
「なっ…見るな!」
 隠そうとするスコールの指を一本掴まえ、関節と逆向きに逸らすように持ち上げると、あっさりと首から剥がれた。
 離せ!と言う抗議を無視して、跡の付いたうなじを観察する。
「これだけされて、お前、気付かなかったのか? どーせまた眠ってたんだろ。寝汚ねえ奴だな」
「見るなって言ってるだろ! ちょ、触るなっ!」
 マーキングされた部分を指先で撫でてやると、スコールの声が上擦る。情事の跡に俺の無遠慮な視線を感じて恥ずかしいのか、耳も頬も薄赤く染まっている。
 掴まれた指をほどこうと、手首を振り動かしてくるが、そもそも体勢が不利だしな。
 それにしても、リノアの付けた右側のマークはデカい。
 こんなにデカいキスマークを見たのは、初めてだ。
 帰り道でも、明るい場所ではそうとう目立ったはずだ。
 もっともこのサイズじゃ、キスマークだと思われなかったかもしれねーが…。
「こうやって並べられると、なんか悔しいな。どれ、」
「あっ!」
 今朝、俺が付けた左側の印のところに吸いつくと、短い声があがった。
「ん~」
「ば、ばかっ! やめろ!!」 
 奴の後ろ髪からホテルのシャンプーの妙に爽やかな匂いがするのにイラっときて、吸いあげながら、舌先を肌に押し当て、乱暴に動かす。
「っ! …、」
 スコールが息を詰めて、それから滅茶苦茶に暴れ出した。
 流石に本気で暴れられると、軽く絡めていた腕は振りほどかれてしまう。
「サイファー、ふざけるのもいい加減にしろっ!」
 ソファから立ち上がって、間合いを取って怒鳴ってくる。
「まだ途中なのによ」
「そういう問題じゃない! なんなんだ一体!? あんたほんと変だ!」
「いいじゃねえか。あの女は、ライバルがいたほうが燃えるんだぜ? 協力だよ、協力」
 意味ありげに笑ってやると、なにやら思い当たる節があったのか、奴は「うっ」と言葉につまり、一層赤くなった。
「…余計なお世話だ!」
 スコールはぷりぷり怒りながら、首の後ろを手でがっちりガードして、バスルームへ入って行った。
 せっかくつけたマーキングを消すつもりらしい。
 まあ、そんなことしても、またつけるけどな。
 俺はスコールの座っていたソファに腰掛ける。
 一本吸いたいところだが、このリビングルームは、禁煙エリアに指定されちまった。
 手持無沙汰な俺は、放り出されていた雑誌を取って眺めるふりをする。
 スコールのことは、あの女より俺の方が良く知っている。
 ポーカーフェイスのマスクの下に隠れているスコールは、寂しがりで甘えたがりで気にしいで。
 意外と情が移るタイプなんだよな。
 こんなふうに毎日一緒に居るっていうのは、最高のポジションだ。
 こうやって、少しずつスキンシップを取っていけば、嫌でも意識してくるはずだ。そうだろ?
 今だって、他の奴がやったら殺されそうなことをしたのに、結局あいつは殴りもしねえ。
 うなじに唇を落とした瞬間の声が色っぽかったのを思い出すと、自然と顔がにやけてくる。
 しぼったタオルを首にあてて、スコールがバスルームから出てきた。
 ぎろりと俺を睨みつけて、扉の横に壁に掛けた鏡を外し、再びバスルームへ引き返す。
 合わせ鏡を使って、首尾を確かめるつもりらしい。
 タオルを当てた部分の皮膚は、真っ赤になっていた。あれは熱いだろーな。
「消えたか見てやろうかあ?」
「黙れ」
 腹から絞り出すような低い声で威嚇してくる。
 ま、俺にとっちゃ、そういうところもたまんねえんだが。
 あいつがバスルームから出てくる前に、このエロい笑いをひっこめようとするが、上手くいかない。
 とりあえず機嫌を取るために、コーヒーでも淹れるとするか。
 キッチンに立ち、湯を沸かす。豆を測ってミルに入れる。
 ごりごり挽いていると、さっきとは別のタオルを首にあてたスコールが出てきて、準備されたカップふたつに気づき顔をしかめた。
「…卑怯だよな、それ」
「飲むだろ?」
 にやりと笑ってやると、スコールがふんと鼻を鳴らす。
 挽いたコーヒーをフィルターに入れて、上から細く湯を垂らすと、ふうっと粉が膨らんで、良い匂いの空気を吐き出す。奴はこの香りには抵抗出来ないのだ。その証拠に、怒っているのに自室に帰らず、ソファで今さら今日の新聞を広げている。
 ガーデンの新方針で、やたらと禁煙・分煙が厳しくなって、それまで隠れ喫煙者だったスコールは、立場上、先月から本当に禁煙中だ。
 もともとコーヒー党ではあったのだが、以来、奴はほとんどカフェイン依存症になっていて、一杯のブレンドで面白いように気を惹くことが出来る。
「熱いから気をつけろよ」
 そういってローテーブルにカップを置いてやる。
 奴は礼も言わず、黙ってカップを持ち上げた。それは俺の一連の悪戯を一応受け入れた印でもある。
 スコールの座るソファの隣に腰掛けたら絶対逃げられるので、俺はキッチンカウンターに腰を預け、コーヒーを啜った。
「あんたは今、デートの相手いないのか」
「まあな。今は試験に集中したいから、全部断ってる」
「へえ。感心な事だ」
 スコールは全く心のこもっていない口調で感想を述べた。
 突然そんなことを聞いてくる、スコールの意図は何処にあるのか。
「しかしまあ、デートも悪くねえな。…お前が仕返しに、キスマーク付けてくれるって言うならよ」
「……誰が付けるか」
 まさかこれじゃないだろうと思いつつ選んだ切り返しの答えの前に、思いがけず間があった。
 口笛でも吹きたい気分で、もうひと押し。
「嘘つけ。ちょっと考えてただろ」
「…でも駄目だ。あんた全然気にしそうも無いし」
 スコールが憮然としてカップをテーブルに戻した。
 お前、ホントにそんなこと考えてたのかよ。まったく可愛い奴だ。
 そんな可愛い仕返しなら百回でもやってくれ、と思う俺は少しばかり変態かもしれない。
「そうだな。多分、みせびらかして回るだろうな」
「くそっ。リノアに説明しなきゃ…。信じてもらえなかったら、あんたからも弁解させるからな!」
「おう、いいぜ、任しとけ。わくわくするな」
「サイファー!」
「そう怒んなよ。冗談だ。いいだろ、お前らは幸せなんだから」
 お前らは、と含みのある言い方をすると、スコールは真に受けて黙りこむ。
 俺とリノアが昔付き合っていたことを、スコールだけは未だに少し気にしているからだ。
 当の俺とリノアが毛筋ほども気にしてねえっつうのに。
 だからお前はお人好しだっていうんだがな。
「ま、大丈夫だろ。本気で疑っちゃいねえと思うぜ」
「他人事だと思って適当なこと言うな」
 結局コーヒーを飲み干して、ため息をついているスコールは、もう警戒を忘れている。
 俺はカップをカウンターに残して、さりげなく真横に回り込む。
「信じてもらえるだろ。…もし俺がほんとにお前抱いてたら、こんなとこ一個で済むわけねーからな」
 リノアへの申し開きについて悩むあまり、完全に無防備な状態だったらしく、まだうっすら痕の残るそこをちょいとつついてやると、奴の体がびくんと大きく跳ねた。
「あんたなあ!!」
「うおっと」
 今度こそ切れたスコールがソファから立ち上がり、胸倉をつかまれそうになるのを、スウェイバックして避けたところで、放り出した電話が鳴った。
 あの女が勝手に設定したとかいう、専用の甘いオルゴールのメロディ。
「噂をすればだな。…なんなら俺が出るか?」
「結構だ」
 しっしっと手の甲を振りながら俺を遠ざけ、スコールが電話を片手に寝室へ向かう。
「ああ、リノア? 俺。いや、起きてたよ」
 急にリノア向けのトーンになるのが妬けるが微笑ましくもある。
 さっきまでガキみたいだったのに、いかにも「イケメンの彼氏」っぽい声出しやがってよ。
「え、何? サイファー? ああ…その、……別に、何も」
 スライドドアが閉まって、その先は聞こえなかったが、スコールの困ったような返事に、俺は再び吹き出してしまった。
「別に、何も」ねえ。
 説明するんじゃなかったのか? それじゃ誤解されちまうぜ。
 あの女が直撃で怒鳴り込んでくるのも、そう遠い日じゃなさそうだ。
 ふたりはハッピーエンドのつもりらしいが、俺はあきらめちゃいねえ。
 確かにだいぶん差を付けられちゃあいるが、まだチャンスはあるはずだ。
 宣戦布告は、どんなふうにしてやろうか。
 スコールの嫌そうな顔を想像するだけでぞくぞくする。
 そう、勝負はこれからだ。



2012.2.17 / 勝負はこれから。 / END

 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。サイスコにはまって間もなく、チラシの裏的に書いたものです。当時は「人に見せる」「続きを書く」という概念自体が無かったので、無責任に大見得切って終わっています。見得切るほどの続き書けないのに~。
 なお、サイファーは19歳、スコール、リノアは18歳で、この世界では18歳で成人し、喫煙・飲酒・婚姻可能という設定になっておりますので、ご了解ください。
 次回、本格的に魔女が登場します。どんな展開でもオッケー! という頑丈な方、もし居らしたら、是非引き続きお付き合いください。よろしくお願いします!

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