俺だけは本当のお前が好きだ

 隙あらば落ちそうな瞼を無理に持ち上げて、俺は目に染みる空を見ている。隣ではSeeD服を着崩したサイファーが、退屈そうな横顔でハンドルを握っている。古びてひび割れた舗装。何処までも続く錯覚を起こしそうな一本道だ。
 著しく気が進まない。
 考えるな、と俺は胸の内で自分に言い聞かせる。
「なあ、この車って、何キロぐらいまで出るんだ?」
「そりゃ、メーターいっぱいまでは出るんだろうな」
 俺の突然の質問に、サイファーは気のない調子で答えた。
 右手の森の向こう側を列車が並走しているせいか、走行する車の姿は他に見当たらない。こんなに何も無いところを、モンスターに襲われる危険を冒してまでドライブする物好きは、確かに俺たちぐらいなのかも知れなかった。
「…針が振り切れるまで踏んでみたいって思わないか?」
 昨夜、エスタに派遣したチームリーダーから切迫した通信が入って、俺は本部に呼び戻された。慌てて状況を把握して、何とか現場に指示を出したが、全てが遅れ遅れになった。明け方に行方不明者との回線が復旧し、無事が確認出来たのも、ただ運が良かったに過ぎない。
「スピード出るのが好きなら、普通に特急に乗りゃ良かったじゃねーか」
「随行者のチケットはこっち持ちだし、誰か来ると気づまりだ。列車は逃げ場がないから困る」
 あんたとふたりのほうが気楽でいい、と呟くと、俺の非社交的な感想にか、不真面目な態度にか、あるいはその両方にか、サイファーは呆れた顔をしてみせた。
「ゴメイレイなら飛ばしてもいいが、…そんなに早く着きたいのか?」
「…着きたくない」
 着いたら着いたで、前泊している関係者に捕まるだろう。特に会いたくない相手が居る。
「なら、法定速度でいいだろ」
 隣国の軍の幹部で上得意だから無碍にも出来ないが、スカウトがしつこくてうんざりしている。男の顔を思い出したら、ますます気が滅入ってきて、俺はつい、馬鹿げた発言をしてしまう。
「いっそここは行き過ぎて、地球を一周してから行くことにしないか?」
 昨夜の采配ミスが、またちらりと脳裏をよぎった。俺は…他人が思っているような人材じゃない。ガンブレードを振るえと言われれば幾らでも振るうが、最近はそれも期待されていない。
「スコール」
 サイファーが諌めるような声音で俺を呼んだ。
「勲章なんか、ほしくない」
 積み重なった疲労で、理性が麻痺している。思考がそのまま口から零れて、俺はぼんやりと、上司がこんなで、サイファーも災難だな、と思う。
「ガキみたいなこと言ってんじゃねーよ。宣伝も任務のうちなんだろ?」
「……そうだ」
 淡々とした部下の指摘に、俺は顔を覆った。
「商売にはブランドイメージも大事だって、自分で言ってたくせによ」
 全くそのとおりだ。
「あんたに正論吐かれるのってこたえるな」
「どういう意味だ」
 自分がものすごく常識のない人間に思える、と答えると、「実際そうじゃねーか」と返された。そうかもしれないが、あのサイファーから言われるなんて、なんだか変で少し笑えた。
「お前、昨夜も遅かったんだろ。…寝てろよ」
「そうする。…ゲートの手前まで来たら、起こしてくれ」
 サイファーの心遣いに感謝して、俺は素直に目を閉じた。
 こんなふうに感じるようになったのは、一体いつからだろう。
 お互い憎まれ口ばかり叩いているのに、いつの間にか…俺はあんたに一番心を許している。

 * * * * *

 式典は異常に長く感じられた。終わった今は、もう思い出したくない。昼食会がお開きになった後も、他の出席者に呼びとめられ質問に答えたりしているうちに、すっかり遅くなってしまった。
 俺に好意を持つ人間ばかりじゃなく、あきらかに敵を値踏みする目つきの奴も居て面倒くさい。そのうち待ちくたびれたサイファーが現れ、「時間だ、帰るぞ」と言い放って俺の腕を引いたので、どうにかその場から抜けだすことが出来た。
 四駆は市街地を抜けて、朝走った道を順調に引き返していく。
 真新しい住宅の建ち並ぶ郊外のルートを走りきり、再び人気のない直線道路にまで行きついて、ようやく落ち着いた俺は、助手席でネクタイを緩めた。
「…疲れた」
 精根尽き果てた俺に、サイファーは運転しながら器用に左手を席の後ろに回し、ステンレスのボトルを取り出した。ほれ、と前を向いたまま渡される。小さな銀色の水筒は、中からカラン、と涼しげな氷の音がする。
「…アイスコーヒー?」
「アイスコーヒー」
「…甘いヤツ?」
「甘いヤツ」
 サイファーは甘いコーヒーを飲まない。ということは、わざわざ俺のために用意しておいてくれたのか。今日の授与式に対する自分の態度について密かに反省しつつ、俺は冷えたボトルに口を付けた。
「…甘い」
 一口含んで、ありがとう、というつもりだったのに、あまりの甘さに驚いてしまった。
「甘くしたからな」
 サイファーは平然としているが、あんた、一体どれだけ砂糖を入れたんだ?
 いくらなんでも、甘すぎだろ。
 そう思いながら、もう一口飲むと、冷たい甘さが弱った咽喉に染み渡って心地よかった。これが丁度いいぐらい、疲れているということか…。
「早く帰りたい」
 このまま何もなければ、この後と明日はオフだ。
 とりあえず眠りたい。
 明日はサイファーも振替休日だ。久々にガンブレの相手をしてくれないだろうか、と思うとも無しに思っていると、サイファーが俺の心を読んだように返事をした。
「しょーがねーなあ。ちょっとだけだぞ」
 え、とびっくりして運転席のほうを見ると、サイファーはフロントガラスの向こうを見据えて、ぐっとアクセルを踏み込んだ。
 エンジン音が高まる。
 みるみるうちに走行スピードが上がる。俺は思わずシートに座り直す。
 平原が終わり、林を一直線に切り拓いた路上で四駆はひたすらに加速する。窓から抜ける空気が震えて、左右の樹々が、飛ぶように行き過ぎていく。
 俺はその景色に見惚れた。
 背後で起きた憂鬱な出来事が、どんどん過去のことになってゆく気がした。流れる色彩は長い帯に、変化は瞬きになって明滅し、残像の上に残像が重なる。
 いくら見ても見足りないような思いで、俺は黙って窓の外を見つめていたが、サイファーはやがてアクセルを緩めた。
「もう終わりか」
 正直、名残惜しくて不満を漏らすと、ガソリンが勿体ねーだろ、と軽くあしらわれた。
「あんたってロマンチストなのかリアリストなのか、全くわからないな」
「両方だ。だいたい、両方じゃなきゃ人間やってけねーだろが」
 もっともな言い分に、俺は黙ってコーヒーの残りを飲み干した。
 甘苦い後味。ざらり、と溶け残った砂糖が舌のうえで擦れる。
「お前、気を張り過ぎなんじゃねーの」
 サイファーがいかにも見かねた、という口調で小言を言ってくるが、気を張っていないと、実力が追い付かない。
「完璧にこなすから、次も完璧を求められるんだぞ」
 完璧なんかじゃない。
 だが、実力以上のことをしようとしていると言う意味なら、まさにその通りだ。それはガーデン運営上の都合もあるが、何よりもまず、俺が飛んでくる石に当たりたくないからだ。
 サイファーは石を恐れない。当たっても平気な顔をしている。どうしたらそんなふうに振る舞えるんだろう。
「あんたは神経が太くていいな」
 割合心からの感想だったのだが、サイファーは憮然として言い返してきた。
「失礼なヤツだな。俺だって神経にこたえることぐらいある」
「大声で喚きたくなったりするのか? さっきみたいにスピード出したり?」
「…お前とは違う狂い方だな」
「…誰か、殺したくなる?」
 もしも俺がサイファーだったなら、こうしてB.G.に戻って俺の元で働くなんて出来なかっただろう。自分ならおそらく、あの魔女と一緒に死ぬか、刺し違える覚悟で、もう一度俺と戦うか。
「いや、…滅茶苦茶にしてやりたくなる」
 なんだ、殺さないのか。
「半殺しか」
「そうだな、半殺しまでヤリてえところだな」
 俺はひとつ瞬きして、血生臭い物思いから覚めた。…ヤリたい?
「え、…性的にか?」
「…性的に」
「へー、あんた、そっちに行くのか…。なんか意外だな」
 外泊もままならない身分だし、サイファーには今、そういう相手は居ないのだと勝手に思っていた。
「お前は興味なさそうだな」
「ないわけじゃないが、正直、面倒くさい」
「ひでー言い草だな」
「そうか?だけど、ああいう…キレそうな気分が鎮まるなら、それもいいな」
 じりじりと内側から焼かれるような苛立ちが、それで少しは癒されるのなら、誰かと寝てみるのもいいかもしれない。
 もしかしたら、俺に足りないのはそれなのかもな、と初めて思った。俺も誰かに受け入れてもらったなら、もっと安らかな心持ちになれるんだろうか。
「あんたの恋人は、半殺しにしても許してくれるのか?」
 人の惚気話を聞いて妬んだ記憶はなかったが、サイファーのそれは羨ましい気がして聞いてみると、苦々しげに、出来たら苦労しねーよ、と返ってきて拍子抜けした。
「なんだ、しないのか」
 サイファーは、やりたいことをやりたいようにやるタイプだと思ってたのに、案外そうでもないんだな。
「惚れた相手に実際んなことできっかよ」
「あんたにしちゃ、まるでローティーンみたいなこと言うんだな」
 ますます意外だった。今日は驚くことばかりだ。
 隣でむくれているいかつい幼馴染が、なんだか可愛くさえ思える。昔、俺を訓練に付き合わせるときはいつもあんなに強引だったのに、好きな相手だと勝手が違うのか。
「うるせーな。だいたいお前、一緒の部屋に住んでて俺に恋人が居ないっつーのも知らねーのかよ」
「居ないと思ってたけど居たのか、と思ったらやっぱり居ないのか」
 お前だって居ねーだろ、と返されて、そうだな、と思った。
 俺には、恋愛以前に大きな問題がある。
 ポケットに仕舞った小箱を取り出して、蓋を開けた。
 紋章を象った金の地に小さな貴石を散りばめた、美しい勲章が入っている。
 他人はB.G.指揮官のスコール・レオンハートは知っていても、今ここに居るこの俺を知らない。
「…俺のことを、こんな奴だって分かってない人間と深く付き合うのって、すごく難しいんだ」
 手のひらでキラキラ光っている、偽善者の印を眺めた。
 俺はどんどん俺の知らない誰かになっていく。世間ではそっちの俺が褒めそやされている。
「俺、世界を騙してるような気がする」
 言ってから、我ながらあまりの軟弱さに後悔したが、サイファーはぶっきらぼうな口調で答えた。
「俺は騙されねーよ」
 不意打ちに、呼吸が止まった。
 そんなふうにあっさり言われて、ぐらり、と謎の眩暈がした。
 まるで俺が言わせたみたいな台詞、と思った途端、カーッと頭に血が上る。
 違う。そんなつもりで言ったんじゃない。
 だが、そんなつもりで思い返してみると、自分の言動の何もかもが恥ずかしくてたまらなくなった。特急のチケットを断り、サイファーを長々とドライブに付き合わせたことも、スピードを出してみて欲しいとせがんだことも。
 それどころか、「いっそ地球を一周したい」とまで言ってしまった…。
 違うんだ、そんなつもりじゃなかった。
 逆にそんなつもりなら、そんなこと到底言えるか!
 声無く叫んでも、口には出せない。だって、言葉にしたらもっと変だ。
 手の中の繻子張りの小箱の蓋をぱくんと閉じて、元通りポケットに仕舞いながら、ちらりと運転席に目を遣ると、険しい表情でフロントグラスを睨んでいる横顔が見えた。
 サイファーは、俺の態度をどう思っていたんだろう…。
 俺のために甘いコーヒーを用意し、ちょっとだけだぞ、とアクセルを踏んでくれたことを思うと、心底いたたまれなくなってきた。
 黙り込んだ俺を気遣ってか、サイファーがラジオのスイッチを入れた。
 間が悪いことに、ラブソングが流れだした。
 俺だけは本当のお前が好きだ、なんてぞっとするほど甘ったるい歌声が、俺の胃にとどめを刺す。
 やめてくれ。これじゃ、俺がそう言われたがってるみたいじゃないか。サイファーには、ちゃんと好きな相手が居るって話なのに。
 息が苦しくなって、顔を背けたままラジオのスイッチを切ろうと手を伸ばしたら、

 指先が触れた。

 驚いてそちらを向くと、サイファーは火傷でもしたかのように、ぱっと手をひっこめた。俺の方を見ないで。俺と同じぐらい、気まずそうな顔で。
 え。
 あんた、なんだその反応。
 唐突に胸に浮かんだ答えにぎょっとして、俺は慌てて窓の外に目をやった。
 まさか、何を考えてるんだ。
 打ち消しながらも俺は、サイファーの態度にときどき違和感を覚えていたことを思い出してしまう。俺には理解できないことで何故か苛立っていたり、ときには背中に強い視線を感じたりしたけれど、流石にそんな理由は思いつかなかった。
 サイファーが、この俺を? …そんなことってあるだろうか。
 滅茶苦茶にしてやりたくなる、と言ったサイファーの声が耳の奥に甦って、頭蓋の内が甘く痺れた。
 信じられないスピードで妄想が暴走して、俺は何とか元の世界へ戻ろうと足掻く。俺は考え過ぎだ。いったい何を期待してるんだ。こんなにも良い天気の昼日中で、勲章なんか貰った帰り道で…当のサイファーが、隣で運転してくれている最中だっていうのに。
 きっと俺は、何かひどい勘違いをしているに違いない。
 だって、サイファーだ。
 あんたは、こんなふうにみっともない俺を、一番よく知っているはずじゃないか。
 気が付けば俺は、必死になって自分を抑えようとしている。
 抑え込もうとする自制と同じぐらい強く、強く、胸の奥から熱い何かが湧きあがって来る。
 不意に、サイファーがアクセルを踏み込んだ。
 風景が再び加速していく。それにどういう意味があるのかなんて、俺は知らない。だけど、泣きそうになった。
 サイファーは黙ったまま、多分、ハンドルを握って正面を睨みつけている。
 自分でも、今まで知らなかった。思いもよらなかった。
 俺は言って欲しいんだ。「俺だけは本当のお前が好きだ」って、サイファーに言って欲しいんだ。
 それがどうしてかぐらいのことは、俺にだって分かる。
「サイファー」
「…なんだ」
 俺もサイファーも、声がいつもと違っていた。強張って震えた声。
「……俺、」
 あんたのこと、好きみたいだ。
 そう言っていいのかどうか判断がつかなくて、言葉が途切れる。
 窓の外は、時速260キロで世界が流れ去って行く。



2012.6.8 / 俺だけは本当のお前が好きだ / END

すでにお気づきかと思いますが、当サイトのバラム=ドール間は先日海底トンネルが開通してますので、そのつもりでお願いします。最後までお付き合いいただいた方、どうもありがとうございました!