いっそ地球を一周

 助手席のスコールが唐突に言った。
「なあ、この車って、何キロぐらいまで出るんだ?」
「そりゃ、メーターいっぱいまでは出るんだろうな」
 午前9時半を回った晩春の空は、爽やかな青。
 上がり始めた気温からすると、SeeD服を着込んで過ごすには少々暑い一日になりそうだ。
 ハンドルを握っているのも馬鹿らしくなるほどの直線道路。
 左右は草原で、その向こうに森林。絵に描いたような田舎道が続いている。
「…針が振り切れるまで踏んでみたいって思わないか?」
 一般SeeDの俺とは違う、指揮官専用制服なんざ着用している身分のくせに、気だるげなスコールは物騒な提案をしてくる。確かに任務でも、トップスピードを出さなきゃなんねーような局面は、案外回ってこないもんだが。
 道中の危険を考慮し、外交向けのセダンを蹴って、俺が選んだ四駆の上限は260km/h。この地方の節度あるドライバーには、無用な数値だ。
「スピード出んのが好きなら、普通に特急に乗りゃ良かったじゃねーか」
「随行者のチケットはこっち持ちだし、誰か来ると気づまりだ。列車は逃げ場がないから困る」
 あんたとふたりのほうが気楽でいい、なんて言いやがる。
 以前、依頼者が用意したコンパートメントに乗ったら、何処から聞きつけたのかガーデンの得意客が挨拶をしたいと現れ、そのまま居座ったことがあって、それは大変だったらしい。
「ご命令なら飛ばしてもいいが、…そんなに早く着きたいのか?」
「…着きたくない」
 スコールはたちまち元気を失くして、ため息をついた。コイツのセレモニー嫌いは重症だ。
「なら、法定速度でいいだろ」
 なんだってこの俺様が、こんなモラリストの役をやんなきゃいけねーんだよ、とぼやきたくなるが、スコールのほうが良識を放棄しているときは、俺がストップをかけてやるのが暗黙のルールだ。
「いっそここは行き過ぎて、地球を一周してから行くことにしないか?」
 俺の上司は部下の模範回答を無視して、さらに突拍子もないことを真顔で言ってくる。
「スコール」
 たしなめるように名前を呼ぶと、本当はそんなこと出来ないと判り切っている奴は、ぼそりと呟く。
「勲章なんか、ほしくない」
 その言葉がスコールの本心だと、俺も知っている。
 これみよがしなそれが、自分の胸に飾られるのを、鳥肌が立つほど嫌だと思っていることも。
「ガキみたいなこと言ってんじゃねーよ。宣伝も任務のうちなんだろ?」
「……そうだ」
 指の長い両手で、奴は顔を覆った。
「商売にはブランドイメージも大事だって、自分で言ってたくせによ」
 さらに駄目押ししてやると、何かしら踏ん切りがついたのか、手を降ろしてスコールは薄く笑った。
「あんたに正論吐かれるのって、こたえるな」
「どういう意味だ」
「自分がものすごく常識のない人間に思える」
「実際そうじゃねーか」
 奴は今度はもう少し、本心から笑ったようだったが、その顔には疲れが滲んでいる。
「お前、昨夜も遅かったんだろ。…寝てろよ」
 昨日はエスタの依頼で派遣したチームに行方不明者が出て、無事に発見されたのは深夜だった。スコールは結局、明け方まで本部に詰めていたはずだ。
「そうする」
 ゲートの手前まで来たら起こしてくれ、と言って奴は目を閉じた。
 あの戦争が終わって丸2年、スコールは指揮官の実務に加えて、ガーデンの広告塔という任務を嫌々ながらこなしていて、それは本人の意に反し、恐ろしく上手く行っている。

 * * * * *

 式典でのスコールは、別人のように涼しい顔をしていた。
 この国のやんごとなき身分の人物から勲章を賜り、恭しく応える仕草はなめらかで、次の授与者がうっかり見惚れるほどだった。
 その後の昼食会でも、奴は鮮やかに自分の役回りを演じていた。受賞の感想を求められると、B.G.は依頼の趣旨を汲んで対応しただけだが、任務遂行の能力が評価されたことは大変に光栄だ、と控え目にコメントしてみせた。
 俺は関係者控室のモニターでその様子を眺めながら、配られた弁当を食った。元は旧体制時代の宮殿だという議事堂は異常に古めかしく、そこに最新式の、巨大な薄型モニターがぶら下がっている光景は、どこかシュールだ。
 かつて併合した国が次々と独立し、いまやガルバディアという国家は地図から消えてしまった。その名を残した大陸は、大きさも歴史も多種多様な国々に分かれ、独立を勝ち取った指導者たちは、様々な手法を尽くして、終わった戦争を美化しようとしている。
 単に雇われただけのガーデンの取った戦術が、とりわけ人道的だったという理屈をつけて、この国はスコール・レオンハートを独立運動の功労者リストに加えた。二か月ほど前、まずは内々に打診があって、スコールは「なんで俺が」と顔をしかめたが、シュウは「美談に華が欲しいんだろ」と事もなげに断じ、もちろん貰うだろう?と指揮官に微笑みかけた。それから、本人も熟考の結果、受賞する方が得策という判断になったわけだ。
 指揮官用にデザインされた開襟のSeeD服に黒いタイをきっちりと締め、背筋を伸ばし、長い睫毛を伏せてテーブルについているスコールは、軍人らしいストイックな色気を放っている。
 とてもさっきまで、助手席でうだうだ言っていた奴と同じ男には見えない。同席している女どもはまだいいとしても、オッサンや爺さんまでうっとりしてやがるのはどうかと思う。
 自分に話題が集まるのを避けるために、スコールはさりげなく他の受賞者の功績について質問する。問われた相手はスコールから興味を示されたことに少し面食らいながら、嬉しそうに説明を始めた。
 必要最小限の発言しかしないのに、それが何故か良い印象を残す。その理由は、際立って見栄えがいいのは勿論だが、スコールがこういう受け答えに多少は慣れてきたからだろう。相手が自分に何を言って欲しがっているのか、奴は奴なりに考えるようになっている。
 そのスイッチが、俺の前だと完全にオフになるっつーのは、スコールにとって俺が「特別」だからと思っていいのか悪いのか…。
 若き英雄のスコールに対して、俺は未だに、アルティミシアの騎士のイメージが売れすぎている。まあ、それだけのことをしでかしたんだから仕方ねえが、「B.G.は何でよりによってサイファー・アルマシーを同行させたのか」と、非難がましい連中がチラチラこっちを窺ってるのがカンに障る。
 ぎろりと睨んでやると、遠巻きに見ていた奴らがバカ正直に慌てふためいて目をそらした。
 くだらねえ。
 スコールを待ってるんでなけりゃ、このお上品な丸テーブルを蹴倒して、とっとと帰るところだ。
 勝手になんとでも蔑めばいい。お前らは俺が居て不愉快だろうが、スコールには、帰りのドライバーが必要だ。
 布張りの椅子にふんぞり返って伸びをする。
 モニターの中では、胸にリボンと金の飾りを山ほど付けた男がスコールに熱心に話しかけている。

 * * * * *

「疲れた」
 帰り道、助手席に収まったスコールは、猫のように背中を丸めてぐったりとしている。4時間の「営業」は奴にとって、戦闘よりも遥かに消耗するものらしい。
「ほれ」
 ハンドルをキープしたまま、運転席の後ろに置いた荷物から、手探りで水筒を取って渡してやる。
「…アイスコーヒー?」
「アイスコーヒー」
「…甘いヤツ?」
「甘いヤツ」
 スコールは大人しく蓋を取って飲み始めた。
 普段は砂糖もクリームも使わないスコールだが、精神的な疲労が極まると、やたらと甘いコーヒーを飲むことがある。多分、俺以外は誰も知らない。俺に知られたときも、ひどく気まずそうにしていた。
「…甘い」
「甘くしたからな」
 素っ気ない感想は抗議のようだが、気に入っているはずだ。
 スコールは、ほっと息を吐いて、もう一口飲んだ。
 ステンレスのボトルを両手で包むようにして覗きながら「はやくかえりたい」と小さい声で言う。
 ガーデンに辿りつけば、スコールは久々にオフの予定だ。
 行きと同じさびれた道路は、ほとんど貸し切り状態で、バックミラーには、車の影は見えない。遠くに目を凝らして、対向車も来ないことを確認する。
「しょーがねーなあ。ちょっとだけだぞ」
 スコールが不思議そうにこっちを見る気配を感じながら、俺はアクセルを踏み込んだ。徐々に強く、遊びいっぱいまで、深く。
 エンジンが本気で唸り始めて、車がぐんぐんと加速していく。
 疲労で座り崩れていたスコールが、シートの上で身を起こした。
 すぐ隣にある体に生気が甦って、飛ぶように流れる景色に、奴の心が吸い寄せられるのが分かる。
 路面が万全じゃねーからどうかと思ったが、メータの針は揺れながらマックスに達した。無茶させてるエンジンが鼻血でも吹きそうだ。
 頃合いを見てアクセルをゆるめると、スコールは、もう終わりか、と残念そうな声を出した。
「ガソリンが勿体ねーだろ」
「あんたってロマンチストなのかリアリストなのか、全くわからないな」
「両方だ。だいたい、両方じゃなきゃ人間やってけねーだろが」
 徐々に減速して、ガーデン12号車はもとのスピードに戻った。さっきまで見ていた風景なのに、一度速い流れを見てしまうと、ひどくゆっくりに感じられる。
 スコールはコーヒーを呑みほして、水筒を荷物に戻した。
「お前、気を張り過ぎなんじゃねーの。もっと楽に構えたらどうだ」
 完璧にこなすから、次も完璧を求められるんだぞ、と、無駄だと承知しつつも意見してみる。
「あんたは神経が太くていいな」
 助手席の窓べりに頬杖をついた奴は、まんざら嫌味だけでもない調子でそんなことを言ってくる。
「失礼なヤツだな。俺だって神経にこたえることぐらいある」
「大声で喚きたくなったりするのか? さっきみたいにスピード出したり?」
「…お前とは違う狂い方だな」
「…誰か、殺したくなる?」
 穏やかならぬ発言に、隣を盗み見る。気だるそうな横顔。蒼い眼の焦点は、ここではない何処かにある。細く開けた窓から抜ける風が、奴の前髪を散らしている。垣間見える白い額…俺が付けた傷跡。
「いや、…滅茶苦茶にしてやりたくなる」
「半殺しか」
「そうだな、半殺しまでヤリてえところだな」
 露骨に卑猥なニュアンスを込めてやると、それに気付いたスコールが、驚いて聞き返してきた。
「え、…性的にか?」
「…性的に」
 他のことはだいたい敏いくせに、スコールは人間関係、特に恋愛沙汰には全くカンの働かない男だ。どうせ誰のことを言ってるのかなんて、分かりゃしねーだろ。
「へー、あんた、そっちに行くのか…。なんか意外だな」
「お前は興味なさそうだな」
「ないわけじゃないが、正直、面倒くさい」
「ひでー言い草だな」
「そうか?…だけど、ああいうキレそうな気分が鎮まるなら、それもいいな」
 あんたの恋人は、半殺しにしても許してくれるのか?と真面目に訊いてくるので、俺はため息交じりに否定した。
「出来たら苦労しねーよ」
「なんだ、しないのか」
 スコールは拍子抜けしたらしく、がくっとテンションを落とした。なんだじゃねーよ、まったく。
「惚れた相手に実際んなことできっかよ」
「あんたにしちゃ、まるでローティーンみたいなこと言うんだな」
 俺が苦い顔でぼやくと、スコールは珍しく、くすくすと声を殺して本当に笑いだした。
「うるせーな。だいたいお前、一緒の部屋に住んでて俺に恋人が居ないっつーのも知らねーのかよ」
「居ないと思ってたけど居たのか、と思ったらやっぱり居ないのか」
「お前だって居ねーだろ」
 ふん、と鼻を鳴らして言い返してやると、スコールはポケットから小箱を取り出して蓋を開けた。
 青紫の箱の中には、さっき授与された、金色の勲章が入っている筈だ。
 その印に視線を落として、スコールはごく自然な調子で、淡々と答えた。
「…俺のことを、こんな奴だって分かってない人間と深く付き合うのって、すごく難しいんだ」
 余計なお世話だ、とでも返って来ると思ったのに、本音らしきものを打ち明けられてどきりとする。ときどき、スコールはこういうふうに気まぐれに、俺のすぐそばまでやってくる。もしかして、手を伸ばせば届くんじゃねーかって、思っちまうぐらいに。
 スコールのこういう態度はつまり、相当参っているって証拠だ。
「俺、世界を騙してるような気がする」
 手の中の勲章を眺めるスコールが俯いて、しおれた声で呟く言葉に「俺は騙されねーよ」と返し、返してからすぐさま後悔した。
 何だ今の。
 いくらなんでも、直球すぎるだろ…。
 この流れと最悪の空気に、さしものスコールも何かを察したらしく、ぴたりと口を利かなくなった。
 ヤバい。いくらコイツが腹が立つほど鈍いからって、油断し過ぎた。
 ハンドルを握った手のひらに、じんわりと汗が浮いてくる。
 落ち着け。確かにクサイ台詞だったが、何も、決定的な事を言っちまったわけじゃねえ。とりあえず、この気まずい沈黙を薄めたい。
 間をもたせようとラジオを点けたら、俺だけは本当のお前が好きだ、とかいう考えうる限り最悪な歌詞のゲロ甘いラブソングが流れて来やがって、倒れそうになる。マジでやめろ。
 助手席を見ないようにして速攻でスイッチを切ろうとしたら、スコールも耐えられなかったのか、

 指先が触れた。

 俺は、電光石火で手をひっこめた。スコールも多分、同じだったと思う。
 ラジオはどっちが切ったのか分からないが、一応切れたらしい。
 真っ昼間で、空と道しかないようなド田舎で、世界に二人しか居ないみたいで、死ぬほど良い天気で。
 ちらりと横目で確認すると、スコールは必死で顔を背けて、なんら変わり映えしないはずの助手席の窓に夢中なフリをしている。
 …手遅れだ。もう誤魔化しは効かねえだろう。
 いつかバレるかも、という思いはあった。
 だが、その一方で、スコールは永遠に気が付かないような気もしていた。
 襟足から覗くいつもは白い奴の首が、赤く染まっている。
「半殺しまでヤりたい」とまで抜かした自分の軽率さを呪い、俺は頭を掻き毟りたくなる。
 ああクソ、一体どうすりゃいいんだこの空気。

 どうしようもなくて、俺はもう一度、アクセルを床に着くまで踏んだ。エンジンが、ぶおう、と駄犬のように吠えた。



2012.6.1 / いっそ地球を一周 / END