One and Only * 1

 7年後、エスタにて、クリスマスの朝。

 昨夜、官邸の打ち上げで引き取らされたプレゼントの箱を前にして、俺はため息をついた。
 パーティは厄介だ。平和になったところでそれは変わらない、と思い知らされた夜だった。
 おまけにこういう下らないものを引き当てる羽目になるし…。
 これ、いったいどうすればいいんだ?

 昨年までは、パーティと言えば、まさに危険なイベント。
 なかでもクリスマスのそれは大規模で注目度が高いため、テロの標的として申し分なく、官邸のセキュリティスタッフにとっては、身辺を整理し直すほどの緊迫感があった。
 その警戒すべきクリスマスパーティで、スタッフの副責任者である自分が護衛の任務を外されるなんて、去年の今頃には、想像もつかなかった。

 昨晩、クリスマス・イヴ。
 各国の大使夫妻やら、軍の幹部やら、正装の要人でごった返すパーティ会場。
 きらめくシャンデリアの下、男性はタキシード、女性はロングドレスが主流だが、最近は滅多に目にしなくなった、エスタ特有の国民服もちらほらと見うけられる。
 その会場で、どこぞの大使の奥方にがっちりと手を握りこまれて、俺は閉口していた。
「今度は是非うちのパーティにも、ゲストとしていらして頂きたいわ。ね、ガードのお仕事抜きで」
見上げてくる眼差しにこもった、ただならぬ熱意が恐ろしくて、少々腰が引けてしまう。
「大統領の前で、そんなことを仰らないでください。クビになったら困ります」
 さりげなく手を引っ込めようとするのだが、ホスト側として応対する俺が珍しいらしく、ぽってりとした両手を全く離してくれる気配がない。
「でも…」
「今日は干されましたが、あちらが本業ですので」
 隣のラグナに聞こえるように台詞に刺を含ませ、俺は精神力を消費して、奥方に微笑みかける。
「でも…」
 彼女の夫が、お前、ご迷惑だろう、いい加減にしなさい、と俺の手を覆っている手を引きはがし、名残惜しそうな奥方を連れ去ってくれて、ようやく俺は一息ついた。
「スコール、シフトから外したの、まぁだ怒ってんのか~?」
 タキシード姿のラグナは、来客をホストとしてフレンドリーにもてなしつつも、合間にちらちらと俺の顔色をうかがっていた。
 グリーンの濃淡が印象的なドレスを纏ったエルが、困ったように微笑みかけてくる。
「ね、スコール。そんな怖い顔してないで、そろそろ機嫌直して?」
 怖くて悪かったな。もともとこういう顔なんだ。
 パーティだから仕方ないが、俺はあまりタキシードが好きじゃないし、いつも任務中に掛けているサングラスが無いのが、ひどく居心地悪い。
 銃もショルダーホルスターに一丁きりだし。
 おまけにラグナは、しきりと来客に俺を紹介したがる。
 これ、オレの息子、スコール!
 相手からは「もちろん存じてます」と笑われるばかりだ。
 中にはジョークと解釈して爆笑する客までいて、本当に恥ずかしい。
 俺は仕方なく、本日はお忙しいところお運びいただき…とか何とか、常套句をぼそぼそ呟きながら、なんとか笑顔を作って握手するのだが、俺はいい歳して未だに、そういうのが苦手だ。
 ガード役なら、「任務中ですので」の一言で済むのに…。
 後ろで任務中の同僚が、笑いを噛み殺しているのも気に障る。覚えとけよ。
 そのうえ、ゲストのお世辞をラグナがいちいち真に受けるし…。
「サングラスを外すと、信じられないほどハンサムねえ。大統領のお若いころにそっくり!」
 やたらと大袈裟に持ち上げてくる女性客(たしかデザイナーか何かだ)が居て、ラグナはすっかり舞い上がっていた。
「いやーホント? ホントに似てる? オレ達似てるって、どうするスコール!?」
 どうするもこうするもあるか。
 何期も務めてる大統領のくせに、どうしてお愛想でそこまで有頂天になれるんだ…。
「へへ。オレはこいつは母親似だと思うんだけどさ~」なんてデレデレして、目も当てられない…。
 立ち去ろうとする彼女を引きとめ、まだ何かロクでもない自慢をしているラグナを黙らせたくて、エルに目で助けを求めると、彼女は笑いながら囁いてきた。
「駄目よ、スコール。今日くらいは付き合ってあげて」
「…」
「本当はずっとこうやって、スコールのこと見せびらかしたかったのを、何年も我慢してたんだから」
 …言っておくが。俺はもう25歳だ。見せびらかされるような歳じゃない。
「スコール! 一緒に写真撮ってくれるって!」
 いつの間にか別の客を捕まえたラグナが、満面の笑顔でぶんぶん手を振っている。
 隣の、あれは有名な報道カメラマンじゃないか…。あんたいったい何を頼んでるんだ…。
 胃が痛くなってきた俺の背中を、エルがそっと押して「ほら、呼んでる」と微笑んだ。

 パーティは予定よりもずっと長びいたうえに、今年はそれだけでは終わらなかった。
 オフィシャルのパーティが終了して、ゲストが帰った後、ラグナが「今年は二次会をやる!!」と宣言したとおり、官邸スタッフ限定の打ち上げが続けて始まった。
 どこの世界に二次会なんぞやる官邸があるんだ!と俺だけは反対したのだが、多勢に無勢で押し切られた。
 結局、ラグナなんか慕って集まってきたスタッフに、常識を求めても無駄だと言うことだ。
 手の空いている人員のほとんどが参加して、クリスマスを祝った。
 ここ数年の緊迫した状況しか知らない俺には、まるで異世界だ。
 揚げ句の果てには、余興のゲームにも強制参加させられ、無闇に大きい包みを引き当ててしまった。
 宴会がようやくお開きになった頃には、午前2時を回っていた。
 ガードの任務についているほうがマシなほど疲れた…。
 義足に無理が来たラグナを車椅子に乗せて、居住区のマスターベッドルームまで送り届けた後、
 ホールに戻って荷物を回収し、官邸に隣接する公舎にたどり着くと、まっすぐベッドに倒れ込んだ。

 で、現在、クリスマスの朝。
 クリスマスにオフだなんて、俺の記憶のある限りでは初めてだ。…何の予定も無いが。
 気が重いのを我慢して、ゆうべ引き取らされた巨大な箱の包装を開けてみると、組み立て式の派手なクリスマスツリーが出てきた。
 …頭が痛い。
 なんでクリスマスプレゼントにクリスマスツリーなんだ…。
 このセンスは、間違いなくラグナだ。
 景品は俺が選ぶ!と、移動時間に車の中で、楽しそうにカタログをチェックしていたのを思い出した。
 こんなもの、いったいどうしろって言うんだ。
 官邸には本物のツリーがあるし、この部屋に誰かを呼ぶ予定もない俺には無用の長物でしかない。
 家族持ちの同僚に押しつけてもいいが、いま渡されては相手も迷惑だろう。
 次のクリスマスは丸一年先だ。
 俺は再びため息をついて、このバカげたプレゼントの収納場所を思案した。
 ともかくこのガラクタを、どこか目につかないところへ片づけたい。
 やっぱりあの物入れを整理するしかないのか…。
 俺は重い腰を上げてクロゼットの前に立ち、扉を開けた。
 比較的見慣れた、手前の物はまだいい。
 エスタに来てから集めた資料の束や、シーズンオフの衣装ケースは、一応、内容物も把握している。
 問題はその奥。
 6年前、バラムから引っ越してきたときの荷物の残りが、乱雑に突っ込んだままになっている。
 得体の知れない段ボール箱やスーツケースなんかが、放りこんであるのが見える。
 中味は持ち主であるはずの俺にも分からない。
 忙しさにかまけてまともに手を付けたことが無く、いったい何が入っているのか、いまさら開けるのも怖くて放置している状態だ。
 しかし確かに、永遠にそっとしておくわけにもいかない。
 これも神の啓示とかいうヤツと思うことにして、覚悟を決め、クロゼットの手前の物から、順番に取り出し始めた。

 言い訳になってしまうが、ここまで放っておいたのには理由がある。
 俺の記憶は、ほぼ直近の6年分しかない。
 5年前、ジャンクションしていたG.F.が暴走する事故があり、俺の記憶は大部分が消えてしまった。
 エスタに来てからの1年分は割合残っていたが、その前、セントラとバラムで過ごした19年の記憶が、今の俺にはほとんどない。
 もともと穴だらけだったらしいが、なけなしのそれが丸ごと無くなってしまった。
 記憶が飛んだと言っても、個人的な出来事や関係する人間が思い出せないだけで、身についた体術、武器の扱いなどの専門知識、とっさの有利不利の状況判断には影響が及ばず、エスタに来てからの記憶はかなり残っていたことも幸いして、大統領の護衛は続けることが出来た。
 ラグナもエルも、G.F.を使うのをやめるよう俺に諭したが、それでは俺はただの人になってしまう。
 家族にはG.F.のジャンクションは必要最低限に抑えると約束して説得し、俺は業務に復帰した。
 オダインのラボで記憶の復元の研究をしているセクションがあり、そこで診断してもらったところ、記憶を取り戻せる可能性は五分五分という結果が出て、俺は、もしかしたら、と思っていたんだ。
 昔の荷物の選別は、記憶が戻ってからしたほうがいいに決まっている。
 そう思って、ずるずると先延ばしにしているうちに、…いつの間にか、5年も経ってしまった。
 そろそろあきらめた方がいいのかもしれない。

 取り出した収納物を順に並べて行くと、結構な分量だ。
 床がほとんど見えない。何やらオオゴトになってきてしまった…。
 …これ、今日中に始末つくのか?
 クリスマスに我ながら何をやっているのかと思うが、これも乗り掛かった舟だ。
 後のことは考えないようにして、奥の荷物を引っ張り出すうちに、何やら不審な箱を発見した。
 30センチ四方ほどの箱の蓋に俺の字で「後日処分」という注意書きが付いている。
 処分すると決めたのなら、なんでまた「後日」なのか…。
 自分のしたことながら、意味不明だ。
 蓋を開けるのが怖くて迷う。
 開けるべきか、そのまま捨てるべきか。
 開けるな、と直感は言っている。
 しかし、開けないで捨ててしまうと俺のことだ、後々まで、中味がいったい何だったのかが気になって気になって仕方が無いに違いない…。
 我ながら難儀な性格だと思う。
 熟考の末、恐る恐る開けてみて、拍子抜けした。
 切り落とされた人の手や、血染めの裏日記、あるいは白い粉のようなものまで想像してみたが、出てきたのは、特にどうということもないマグカップや、フレグランスの空き瓶。
 ガスやオイルの切れたライターがいくつか。
 ギミックの効いた好みのデザインのものもあるが、煙草をやめた今の俺には、そういくつも必要ない。
 ほとんどがガラクタだった。どうしてすぐに処分せず、取っておいたのか分からない。
 ただ、中にひとつだけ、気になるものがあった。
 黒いレザーの小さな袋に入った、銀の指輪。

 やや幅の広い、シンプルなデザイン。
 シルバーがくすんでしまっている。
 おそらく、それほど高価なものではないだろう。
 内側に刻まれた文字に目を凝らす。
 7年前のクリスマスの日付。
 SからSへ、愛を込めて。
 贈ったものか贈られたものかの見当さえつかない。
 この時期、付き合っていた恋人は居ないはずなのだが。
 G.F.のジャンクションを続ける限り、副作用として、少しずつ記憶が失われる恐れは消えず、過去の日記データは定期的に読み返すことにしている。
 ガーデン時代のそれには、魔女リノアのことは書いてあった。
 しかし、Sのイニシャルを持つ女性で、それらしい人物には心当たりがない。
 18歳のスコール・レオンハート。
 記憶を失くした俺には、遠い人間だ。
 宇宙まで行ったとか、未来まで行ったとか言われても…自分のこととは思えない。
 魔女戦争の後、初めてのクリスマス。
 俺が誰かに贈ろうとして、つき返された指輪なのか。それで、日記に付けなかったのかも。
 でも、このリングの素っ気ないフォルムは、やはり男性用のように見える。
 人差し指にはやや小さい。
 何気なく薬指を通すと、すんなりと嵌った。
 その嵌った姿に、見覚えが、あった。
 それはひどく重大なことのようで、俺はしばらく身動きも出来ず、ただ自分の左手を見つめた。
 …俺は、この指輪をしていたんだ。

 誰に愛されていたんだろう。
 誰を愛していたんだろう。

 薬指に嵌めた指輪を、部屋の明かりにかざしてみる。
 頭の中で一瞬だけ、何かがきらりと光った。

 そうだ。俺はこの指輪を指に嵌めて、時には口づけさえしていたような気がする。
 大切な指輪だった。
 この箱に入れたときには、覚えていたはずだ。
 そして俺は、その箱をあえてクロゼットの奥に仕舞った。
 何の手がかりにも長く触れないでいると、俺はどんなことでも忘れてしまう人間だ。
 こんなふうに仕舞い込めば、暴走事故などなくても、いつか記憶から消えてしまうことは、自分自身、よく承知していたはずだ。
 おそらく俺は、忘れるつもりで、これを自分から隠したのだろう。

 Sという女性は、どうなったのだろう。
 もう、何処かの誰かと結ばれて、幸せに暮らしているのだろうか。
 SeeDだったのなら、任務で命を落とした可能性もある。
 いずれにせよ、もう7年も前の話なのに。
 中味なんか見ずに捨てるべきだったと後悔しても遅い。
 昔、この指輪をしていた、それ以外何も覚えていないのに、どうしてか、泣きそうに切ない。
 散らかりきった部屋で、途方に暮れる。
 俺はもう、この指輪を捨てられない。



2011.11.30 / One and Only * 1 / to be continued …