Poisson d'Avril

 ベッドに入ってアラームをセットし、まさに灯りを落とそうとしたとき、コンコン、とノックの音がした。
「スコール、起きてるか?」
 俺は驚いて、横たえていた身体を起こす。
「…ああ。どうした?」
 答えて上掛けを退けると、ドアが開いて、就寝用の黒いスウェット姿のサイファーが入って来た。
 ついさっき、まだ慣れない「おやすみの挨拶」を交わしたのに…
 いったい何の用だろう、と思わず身構えてしまう。
「悪りい。…回収すんの、忘れてた」
 そう言って、サイファーは俺のベッドサイドのチェストを指差した。
「ここ、開けるぜ?」
「………ああ…」
 目当ての品が分かった。
 サイファーは引き出しを開けると、チューブと薄い箱を取り出す。
 やっぱり俺のじゃなかったんだな。
「…結局、それは何だったんだ」
 このロクでも無いジェルとロクでも無いゴム製品のおかげで、俺がどれだけ苦悩したか思い出せば、どうしたって眉間に皺が寄る。
「これか? 寮検査の没収品だ。定番だし、前にも見たことあるだろ?」
 どうせ捨てんだけど、一度担当に返さねーとな、とサイファーは元通りにチェストを閉めてから、俺のしかめ面を見て、ニヤリと頬を緩めた。
「そんなに睨むなよ。悪かったって」
「…あんた、顔が笑ってる」
 それ、どう見たって、「悪かった」って言う顔じゃないだろ。
「そりゃ…お前、驚いただろーなと思うと、どうしてもよ…」
 つい昨日、そうやって騙された俺を笑って、あんなにも怒らせたばかりのくせに、懲りないサイファーは顔を背けて肩を揺らす。
「…楽しそうだな」
 この男はこういう性格なんだと分かっているが、頭に来るものは仕方ない。
「そこまで怒んなって」
 どうにか笑いを収めたサイファーは、没収品をチェストの上に置き、ベッドに座って俺を引き寄せた。
「なあ、…機嫌直せよ」
 サイファーの低い声が、耳元で響く。
「スコール…好きだ」
 …こういうやり方は、卑怯だと思う。
 けれど、頬に軽くキスされ、「ごめんな」と囁かれると、不本意ながら、胸の奥から自分のものとも思えないような甘ったるい気持ちが湧いて来て、俺の怒りはうやむやになってしまった。
 丸め込まれた半端な気分を持て余して、背中を撫でてくれる手に身を任せていると、サイファーが唐突に言った。
「なあ、今度どっか…遠くに行きてえな」
「遠く?」
「ああ。バラムじゃ面が割れすぎだろ?」
 確かに、バラムでサイファーを知らない人間はまず居ないだろう。
 だが、保護観察中の彼がバラムから出るには、俺かアーヴァインが同行する必要がある。
 どうせとやかく言われるとは思うが、二人で出掛ける名目も立つし、それも悪くないかもしれない…。
「…遠くって、何処に行きたいんだ?」
「あー…。ドラッグストア?」
「…ドラッグストア?」
 予想外の回答に、俺は面食らった。
「そんなの、バラムにもあるのに」
 サイファーは「分かんねえか」という顔で苦笑して、チェストの上を指さした。
「やっぱ…要るだろ、ああいうの」
「…!」
 指差した先には、例のいかがわしいチューブが立っていて…
「ばっ…、あんた、男ふたりで店入って…あんなもの買う気か!?」
 かーっと頭に血がのぼり、ふわふわした考えが一瞬で吹き飛んだ。
 まさか、そんな即物的な話だと思わなかった…!
「バラムじゃ誰に見られるかわかんねーだろ? 別に俺は気にしねえけど」
 俺が買ったら、相手がお前だってすぐバレるだろーし、などと平然と続けるサイファーの話を、俺は必死で遮る。
「待て! なんでいきなり買う前提なんだっ」
 俺の横槍に、サイファーは大真面目な顔で眉をひそめた。
「だって、無いと痛てえぜ? それにお前、新品じゃないと嫌だろ?」
 露骨な内容に、眩暈を覚えた。
 …いちいちもっともな意見だが…俺はそういうことを言ってるんじゃない!
 そりゃ、俺だって、サイファーを好きなのは間違いない。
 だから今後、嘘じゃなくて本当に…「恋人」として付き合うっていうことになるのは分かる。
「だけど…昨日の今日で、話が急過ぎるだろ!」
 突然、ここがベッドの上だと気付いてしまって、俺は近過ぎる身体を離す。
 サイファーは焦る俺をまじまじと見下ろして、ずばりと核心を突いた。
「スコール。…お前、もしかして…怖えのか?」
 …。
 そうだ。悪かったな。
 だけど、あんただって、試しに逆の立場で想像してみろよ。怖いに決まってるだろ!
 心の中で反論するが、仮にもSeeDの男が、好きな相手と寝るのが怖い、なんて言いづらいことこの上なくて…結局黙りこくったままの俺に、サイファーは半ば呆れた顔で尋ねてくる。
「それじゃ、ずっと何もしねえつもりか? 中等部のガキでもヤッてんのに」
「それは…」
 さらに痛いところを突かれて、ぐっと言葉に詰まる。
「…それは?」
「それは………………、中等部のガキがヤッてるほうがおかしい」
「逃げたな」
 俺が苦し紛れに論点をはぐらかすと、サイファーは「ま、今回は逃がしてやる」とあきらめたように笑って、俺の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「それじゃ、とりあえず今度、オフが重なったら…ドールにメシでも食いに行こうぜ」
「…ドール?」
 次にオフが重なったら…、その言葉を聞いた瞬間、不思議な反響が耳に残った。
 何かを確かめなければいけない気がして、俺は視線を巡らせる。
 壁のカレンダーの…三日前の日付が、丸印で囲まれているのが、妙にくっきりと目に入ってくる。
 あれは…何の印だ?
 そう言えば…リビングのカレンダーにも、同じ印があった気がする…。
 サイファーはそんな俺に気づかず、俺の髪を撫でながら話を続ける。
「行きたいと思ってたフレンチの店が、ドールにあるんだ。出来ればジャンク屋にも寄りてえし」
 今度こそ、呼吸が止まった。
 間違いない。…俺は、この会話を知っている。
 いや、…少し違うが、とても良く似たやりとりを交わしたことがある…。
「…どうした? …スコール?」
 サイファーが動きを止めた俺を不審がって、顔を覗き込んで来た。
 オフが重なったら。…ドール。…フレンチの店。…そうだ、キスティスが話していた…、

「……ポワソン・ダヴリル」

 不意に、その単語が浮かんだ。
「あ?」
「ポワソン・ダヴリルだ。ドールの…店の名前」

(サイファー、…たまには、その、…外で昼メシでも食わないか?)
 あれは、俺にとって、ひどく勇気のいる提案だった。
 おそらく…前回の事故の後の記憶だと思う。
 保健室で目が覚めると、知らぬ間に数ヶ月が過ぎ去り、サイファーが俺の補佐官になっていた。
 俺は当然、サイファーをそこまで信用できるのか、と訝しんだが、日を追うにつれ、彼が俺の業務を正しく把握していて、的確な判断も下せると分かり、考えを改めた。
 しかし…俺にとってさらに奇妙なのは、サイファーがしばしば見せる優しげな態度だった。
 戦争前のサイファーも、何かにつけて俺に構ってくる傾向はあったが、それとはまるで違う。
 執務室での仕事を手伝うだけでなく、朝、俺の分の朝食も作ってくれたり、寒い日はリビングを俺の好みに合わせて暖めてくれたり…数え上げればきりがないが、そんな分かりやすい気遣いが続いて、俺は心底戸惑った。
 いったい、どうしたんだろう。
 俺の知っているサイファーは、例え気まぐれに親切心を起こすことがあったとしても、傍目には嫌がらせに見えるような形を取る男だったのに…。
 そんなふうに、初めは腑に落ちなかったが、やがて少しずつ…俺は、そういう彼の態度を嬉しく思うようになっていった。
 サイファーをドールに誘ったのは、俺なりの感謝のしるしだった。
 彼はそれまでのオフをずっとバラムで過ごしていたから、そういうのもいいかもしれないと思ったんだ。
 もちろん、俺と二人で食事なんて、変に思うだろうか、と悩みはした。
 だが、思いきって誘ってみると、サイファーは意外なほど喜んでくれた…。

「スコール…」
 サイファーはぼんやりと俺を見つめ、二、三度瞬きした。
「…本当に思い出したのか?」
 自分でも信じられない思いに浸りながら、俺は頷く。
 サイファーは驚きから覚めると、ぎゅっと眉をしかめて、何とも言えない苦しげな表情になり…いきなり俺の腕を強く掴んだ。
「お前、自分で誘っといて忘れやがって」
 低い声でそう言うと、痛いほど強く抱き締めて来る。
「……ごめん。……悪かった」
 謝って、肩に頭を擦り寄せる。
 そうだ。
 はっきりと思い出せる。
 あのトラビアの山で、俺は…自分が記憶を失うだろうことを知っていた。
 それどころか、いっそ忘れてしまったほうがいい、そう思いながら雪を踏んで歩いていた。

 * * * * *

 連れてきた人員を休ませ、ひとりで偵察に出た俺は、疲労で方角が分からなくなり、吹雪のなかをさ迷っていた。
 天候が酷く、通信も出来ない。
 寒さはとうに寒さを通り越して苦痛になり、手も足も、カンも働かない。
 風を避けられる場所を探して、休むべきか。
 このまま無理に歩き続けたら、また記憶が飛ぶだろう、と考える。
 それとも、もしかしてこれは…死ぬかもな。
 うつろな思考でそう意識したとき、いちばん初めに頭に俺の頭に浮かんだのは、別れた恋人のリノアではなく、エスタに居るエルオーネでもなく、B.G.の行く末でもなかった。
(お前、デートの約束、忘れんなよ)
 トラビアへ発つ前、そう言って笑ったサイファーの顔が頭の中いっぱいによみがえり、彼の居る部屋を恋しいと思い…俺は、そういう自分に驚いて、思わず足を止めた。
 以前なら、真っ先にリノアの姿が浮かぶはずの状況で…
 そのとき、やっと解ったんだ。
 自分がどうやら、間違ったルートをだいぶん進んでしまってるってことが。
(参ったな…)
 降りしきる雪以外、何も見えない。
 俺は、白い世界のなかで立ち尽くした。
 前回記憶を失くしてから数えれば、たった2ヶ月。
 長年不仲で通して来たサイファーが、前より優しいというだけで、2ヶ月で俺は…こんなふうになってしまうのか。
 およそ、恋愛対象としては…最悪の人選だ。
 しばらく考えた俺は、横から吹く雪に打たれつつも、来た道だと信じる方角へ、もう一度踏み出した。
 歩こう。
 この記憶と引き換えてもいい。
 無事に戻らなければ救援どころか、今回一緒にトラビア入りした連中も危ない。
 それに、もしもこれでこの2ヶ月を失えば…また、初めからやりなおせる。

 * * * * *

(そして…そのとおりになった)
 俺は偵察から無事に合流し、体力も気力も使い切って、ゼルのチームを連れて生還した。
 そして、自分がサイファーに抱いた厄介な感情ごと、2ヶ月間の出来事を忘れた。
 そこまでは、まったくもって計画通りだった。
 それなのに、俺はあのくだらない企画で見事に騙されて…もう一度、サイファーを好きになってしまったんだ…。
「お前から、俺を何処かに誘うなんて、一度も無かっただろ。すげー楽しみにしてたんだぞ」
「…」
 記憶が繋がって、自分の間抜けさに脱力し、サイファーの文句が耳から抜けていく。
 俺は、自分で思っていたよりも、ずっと単純な人間なのかもしれない…。
 何のことはない、騙されたってあんなに怒ったのに、真実の成り行きだって、あのシナリオと似たようなものじゃないか。
「スコール…おい、聞いてんのか?」
 反応の無い俺に苛立って、サイファーが抱き締めていた身体を離し、睨んで来た。
「…ああ。少し眩暈がして」
「反省したか?」
「それは、あんた達の企画のおかげで、じゅうぶんに反省したさ」
 俺の反撃に、サイファーは苦笑した。
「まあ、それはもういいじゃねーか。終わり良ければ全て良し、で」
 俺を騙して落としたつもりでいるサイファーが、目を細め、ゆっくりと顔を寄せてくる。
 あの嘘さえ無ければ、俺は…元通りの俺に戻れただろうか?
 分からない。
 結局、俺はどうしたところで、目の前の男の魅力に捕まったのかも。
 俺は目を閉じて、サイファーのキスを受け入れる。
 敢えて記憶を飛ばしたことを、黙っているのは卑怯だろうか。
 だけど、それを話してしまったら…あまりにも、分が悪いってものだ。
 身体の奥から込み上げる衝動に、我慢できなくなって、両腕をサイファーの首に回した。
 こうして唇を重ねているだけで、気が遠くなる…。
 俺は…こんなにも、あんたに夢中なんだから。


 2014.04.01 / Poisson d'Avril / END
 

 後書き、というか言い訳、長いです…

 この話は本編を書き終わって、ずいぶん経ってからやっとサイトに上げました。
 ご存じの方も多いと思いますが、タイトルの「ポワソン・ダヴリル」は「四月の魚」という意味のフランス語で、エイプリル・フールの慣習を表す言葉です。FF8世界にチカラワザでカジュアルフレンチを持ち込んだのは、ひとえにこの番外編とお店の名前を「ポワソン・ダヴリル」にしたい!というだけの理由だったのに、連載終了当時、自分の文章を修正する作業に疲れ果て、この番外編をあきらめてしまいました…。根性なくてすみません。
 それと、リノアと別れて以来、自分の記憶に執着出来なかったスコールが、サイファーの(役作りのための)態度の変化によって、少しずつ彼に心を開き、覚えておきたい日々を積み重ねていたはずなのに、何故トラビアであっさり記憶を失くして帰ってきたのか、という部分が明かされないままになってしまいました。この点を放置したのはゼルにも申し訳なかったです。いい子なのに、いつもごめんよ…!

 これで一応、「偽の物証回収」と「なにゆえにフレンチ」と「スコールが記憶を手放してもいいと思った理由」の3つはクリア出来たと思いますが、実はまだ不足があります。
 いろいろと杜撰な作文でホントにすみません…。よろしかったら下のNextから、もう1話だけお付き合いください。