Brilliant Tears : 2

 ガーデン最後の夜も、ごく普通に、あっさりと明けた。
 業者のオッサンは9時ぴったりにやってきた。
 部屋にまとめた荷物を、俺と引っ越し業者のオッサンの二人で運び出す。
 こんな日でも、スコールはリビングでいつも通りにPCに向かっている。
 スコールの肩越しに画面を覗き見ると、例の来週の任務のデータらしきものが映っている。
「お前、それ昨日終わったんじゃなかったのか?」
「俺もそう信じてたんだが、今朝6時にクライアントからコールがあって、昨夜のデータ、間違ってたとか言うんだ」
「…ひでーなぁ。送る前に確認しろっての。ペナルティふんだくってやれ」
「あんた、依頼する側になっても、その気持ちを忘れないでくれよ」
 残ったベッドを持ち上げると、二年近く暮らした部屋はシーリングライトと、家具の跡のついたグレーのラグだけになった。
「それで最後か?」
 オッサンと二人でベッドを提げてリビングを横切る俺に気付き、スコールが顔を上げた。
「ああ。…じゃーな、スコール」
 まったく重くないが、嵩張るベッドから両手が離せず、顔だけ奴に振り向けて、別れの挨拶をする。
 チェアに掛けたスコールも、立ちあがりもせず視線だけこちらに流して、短く「またな」と答えた。
「悪りいが、ロック開けっぱなしで行くからな」
「ああ、閉めとく」
 スライドドアが自動で閉まって、スコールの姿は見えなくなった。

 ベッドを管理棟の入口に横づけにしたトラックまで運び、荷台まで引っ張り上げた。
「じゃ、アルマシーさん、出発していいですかね?」
 荷台にすすけたオレンジの幌を掛け終えて、オッサンが笑顔で尋ねてくる。
「おう、それじゃ…」
 助手席のドアを開け、タラップに片足を掛け、…俺は次の一歩を迷った。
「……」
 俺は…スコールに言いたいことがふたつある。
 長年無駄に温めてる一つ目はともかく……二つ目の、魔女戦争の後、山ほど世話になった礼だけは言えばよかった。
 あいつがあまりに素っ気ねえから言いそびれちまったが…今言わねえと、一生言えねえ気がする。
「どーしました? 何か忘れ物でも?」
「…悪い、もうちょっと待っててくれ」
 俺はタラップを降り、部屋へ駆け戻った。

* * * * *

 閉めといてくれ、と頼んだはずのロックは開いていた。
「…?」
 ドアの向こうに、スコールの姿は無かった。
 さっきまで急ぎのデータを見ていたはずなのに、デスクチェアは空っぽだ。
 PCは点けっぱなし。スクリーンセイバーがモニタに映った書面を揺らめかせている。
 ぐるりと部屋を見渡すと、俺の個室のドアも開けっぱなし。
 その奥に、投げ出された長い脚が二本見えた。
 細身のブラックデニムに、黒のワークブーツ。
「…スコール?」
 部屋に一歩踏み込んで、俺は息を呑む。
 スコールは居た。
 用などないはずの、がらんとした俺の部屋で、壁に背中を預け、床に座り込んで。
 戻って来た俺に気づき、特にこれといった表情無くこっちを見上げてくる…その頬が濡れていた。
 目尻と目頭から、左右二筋ずつ、雫が伝っている。
 絶句した俺の反応を見て、奴は今気が付いたというふうに、手のひらで無造作に頬を拭った。
 高い窓から差し込む陽を受けて光るそれが、まるで、ただの水のように。
「何だ。忘れ物か?」
 平然とスコールは尋ねる。
「…」
 まだ潤んでいる蒼い両目。
 俺は今…見るはずじゃ無かったモンを見てる。
 もしも、さっきあのままトラックのタラップを上がっていれば、俺はこの涙を知らなかった。
「…忘れ物かと訊いている」
 言葉が出ねえ俺に、スコールは静かな口調で繰り返す。
「いや、…一応、今までの礼ぐらい言っとこうかと」
「礼には及ばん」
 ふいと目を反らして、つまらなそうにスコールは言い捨てる。
 俺は…ずっと騙されてたのかもしれねえ。この態度に。無関心を装った言葉に。
「何だ。トラックが待ってるんだろう、早く行け」
「…スコール。お前、」
 何で泣いてんだ?と訊こうとする俺の言葉を、スコールは苛立たしげにさえぎる。
「うるさい。なんでもない」
 何でもねえ訳ねえだろう。
「…『今生の別れでもあるまいし』って、…お前が言ったくせに」
「…」
 スコールは目を合わせず、床に投げ出していた両脚をゆっくり折って、背中を丸めた。
 俺が戻って来たのは誤算だったんだろう。
 あくまで平静なフリを貫くつもりだったに違いねえ。
「てっきり、俺なんざ居ねえほうがいいのかと思ってたぜ」
 引き返して来なければ、俺は…そのまま誤解していただろう。
 部屋が広々と使えるようになって、目障りな俺が居なくなって、せいせいしていると思っていた。
 こんなふうに…俺との別れを寂しがってるなんて、知らなかった。
 可愛いげない指揮官の鉄面皮の下に、昔と変わりない、可愛いスコールが居ることも知らなかった。
「別に俺は、あんたが居なくても平気だ」
 よくもまあ、そんな見え見えの嘘がつけるもんだ。
 うつむいた拍子に、また新しい涙があふれる。
「んじゃなんだよ、これは」
 俺は、膝を抱えたスコールの上にかがみこんで、頬の涙を指でぬぐった。
 バカじゃねえの、お前。
 こんな…泣くほど寂しいなら、一言、「ガーデンに残れ」って言えば良かったじゃねえか。
「…ハイペリオン」
 きまり悪そうにしていたスコールが、唐突に口を開いた。
「あ?」
「ハイペリオンが、部屋からなくなるのが…残念なだけだ」
 スコールらしい言い分に、思わず少し笑った。
「そうかよ」
 そう返事して、ゆっくり、スコールの背中に手を回した。
「すごくいいガンブレードだ」
「そうだな」
 座り込んだ身体を抱きかかえても、スコールは拒まなかった。
「あんたには勿体ないぐらいだ」
「へーへー。そんじゃ、卒業してもたまには手合わせしようぜ?」
 言い分を信じたフリをして、ぽんぽん、と子どもの頃のように背中を叩いてやる。
「…ほんとか?」
 震える手が、ゆっくりと俺の背中に回る。
「ああ。俺も…ライオンハートと離れるのが寂しい」
「…そうか」
 スコールが、俺の耳元でちいさく笑った。
 急にぎゅうと胸が苦しくなって、ほんっとにバカだな、と思う。
 ふたりで我慢比べみたいに平気な顔して、そのまま別れっちまうところだった。
 スコールの頭が傾き、俺の頭に凭れてくるのを感じる。
 この際、ずっと我慢してた言葉も言っちまおうか、と口を開きかけた途端、
「アルマシーさーん! どこ行っちゃったんで…」
 リビングの方角から聞こえる引っ越し業者のオッサンの声に、あ、やべ、と思ったが遅かった。
「っ、きゃああああーっ、し、失礼しましたあーーーーー」
 女みてーな悲鳴が響き渡り、どたどた派手な足音とともに遠ざかって行く。
「あ…」
 スコールは角度的に、オッサンとバッチリ顔を合わせたらしい。
 俺を押しのけ、シャツの袖で顔を拭きまくる。
「あー…。ありゃ誤解したな」
 俺は座り込んでるスコールの腕を引っ張ってやりながら、自分も立ちあがった。
 まあ、そうだな。
 二十歳過ぎた男がふたりで抱き合ってて……綺麗な顔した方が泣いてりゃ、そう思うわな。
「あ…、あんたが待たせるからだぞっ」
 デニムの尻の埃をはたき、充血した目で睨んでくる。
「まったく…ゲイの愁嘆場か何かだと…思われたじゃないか」
 取り繕おうと軽口を叩く合間にも、スコールは鼻をぐずぐず言わせている。
 …お前、その顔はねえだろう。
 可愛くなくても惚れてんのに、こう可愛いとマジで参っちまうだろが。
 勝手に顔が緩んで、理性も緩んだ。
「まぁ…似たよーなモンじゃねーの?」
 どさくさに紛れて引き寄せ、白い頬に唇を寄せる。
 涙を拭ったばかりの頬は、まだ湿っていた。

 一秒にも満たない、短いキス。

 最後だし、いいよな。
 こんなふうに泣くほど、俺との別れを惜しんでくれるなら…キスのひとつぐらい、大目に見ろよ。
 スコールは腫れぼったい目をきょとんと見開いた後、血相を変えて俺を突き飛ばした。
「……バカ、ふざけてないで早く行けっ」
 そっぽを向いた耳が赤く染まっている。
「じゃ、またな。…あんまり泣くなよ、スコール」
 ドアを開けて振り返り、やや意地悪くそう付け足すと背を向けたまま「死ね」と罵られた。

 トラックに戻って、オッサンに待たせた詫びを入れ、助手席に乗り込んだ。
 道中ずっと、オッサンが説明して欲しそうな空気を発していたが無視した。
 向こうに着いたら、もうしばらくは、バラムには来れねえ。
 …今度スコールに会えるとしたら、いつ頃になっかな。
 そんときにゃ、あいつは、またしれっとした顔に戻っちまうんだろうな…昔みてーに。
「今生の別れじゃあるまいし」、か。
 あれは、…俺じゃなく、自分に言ってたのかもしんねーな。
 なんて、そりゃ自惚れ過ぎか、とポケットから煙草を取り出す。
 ついでに運転席のオッサンにも「さっきは悪かった」と一本渡すと、「いいいえええ」と裏返った声が返ってきた。

 夕方になってようやく、ド僻地の寮に着いた。
 とりあえず荷物を部屋へ運び込み、オッサンに代金とチップを渡して別れ、事務所へ行ってあれこれと面倒な手続きを済ませると、どかっと疲れが来た。
 それでも、明日からの準備もしねーと、と部屋の家具を配置していると、携帯が短く鳴った。
 表示を確かめて驚く。…スコールからメールだ。珍しい。
 さっきのキスのことで怒られんのか、何か忘れモンでもしてきたか。
「あんたが居なくて寂しい」、とか可愛いこと書いて寄こしたならもっと驚くが、それは無いか…
 開けると、文面は一行。

 I love you.

 催してた眠気が綺麗に吹き飛んだ。
「…………」
 俺が言おうとして…とうとう言えなかった一言が表示されたディスプレイ。
 しばらく口を開けっぱなしで凝視しちまってから、はっと正気に返った。
 慌ててメモリの中からスコールのナンバーを探し出して選択し、決定ボタンを押す。
 ……………………出ねえ。
 もう一度掛け直し、しつこくベルを鳴らしてやったが、出ねえ。
 あの仕事大事のスコールが、携帯の電源を落とすなんてあり得ねーから、要するにシカトだ。
 ったく、あの野郎。
 こっちは明日から研修だっつーのに、これじゃ何にも手につかねーだろーが!
 今すぐバラムに飛んで戻って、締め上げたくてしょうがねえ…。
 俺が当分バラムに行けねーって分かってて、こんなこと言ってきやがって…!

 その後、嫌がらせも込みで死ぬほどコールしたが、スコールは出なかった。
 揚げ句の果てに、「さっきのはやっぱりナシ」ってメールが来た。



 2013.3.1 / Brilliant Tears : 2 / END

 久しぶりの更新なのに、相変わらず押しの足りない人達です。
 こうして遠距離恋愛のような、そうでないような関係に突入してしまうサイスコ。
「お前、たまには写真でも送って来いよな!」ってサイファーがメールすると、スコールから本文無しで、元気なテーブルヤシの写メが送られてきたりする生煮え妄想をひとりでしております。
 作文中でスコールがサイファーを「教師って柄じゃない」とか言ってますが、少なくともスコールよりは向いてると思いマス…。
 でも、このスコールはサイファーを側に置きたいのは自分のワガママだと思ってるので、あーゆー流れになってしまうわけです。難儀な人ですみません。
 今回も最後までお付き合い下さった方、どうもありがとうございました!