禁煙三日目 (スコール編)

 サイファー・アルマシーから任務失敗の報告を受けた。中間報告で状況は聞いていたから、ほとんど形式上のものだ。そのときも、それほど驚きはしなかった。指揮官としてはただ、クライアントからの評価が下がることと、負傷したSeeDふたりを当てるはずだった任務の穴をどう埋めるかが気になった。
 もともとサイファー向きでは無い任務だった。スケジュールの都合で割り振ったのはマネージャのミスだ。このくらいなら大丈夫かと思ったが、甘い判断だった。報告を終え、一礼してサイファーが指揮官室を出て行く。かなり参っているように見えた。

 ドアが閉まったのを見届けてから椅子に掛け、机の上に広げた書類の続きに目を通そうとしても、数字が頭に入って来ない。失望しているのは指揮官としてではなく、個人的な感情なのだから、今は考えてはいけないのだが。
 サイファーは、どんどん遠くなる。
 一時は誰よりも自分に近しい人間だと勘違いしていたが、やはり俺とは本質的に違う。彼がまともな大人になっていく姿を寂しいと思う俺のほうが、世間的にはまともな人間として敬われ、曲がりなりにも教育機関のトップに磔になっている現実が皮肉だ。
 かつてSeeDが二十歳であがりだったのは、例の呪文が効かなくなってくるからだと俺は思っている。
 何故と問うなかれ。…そう言われてもな。
 要件を満たせば二十七歳まで在籍可能になったガーデンは、呪文の綻びを酒と煙草で繕いながらどうにか回っている。そしてその裏側を知りつくした俺は、おそらく年齢に関係なく、この組織から抜け出せない。


 自動扉の向こうは眩しいくらい良い天気だった。
 ガーデンの二階デッキ。外洋の青は鈍く、しかし今日の波は割合に静かだ。金髪の大男が、手すりに凭れかかって閉じていた目を開けた。面倒くさそうな顔でちらりと俺を見て、すぐ視線を逸らす。
 まるで昔の俺だ。迷える小羊。
 断りも無く隣に立って、さっき新しい煙草を入れたシガレットケースから、中身を一本抜き出す。
「あんたは?…また禁煙中か?」
 分かっていて訊いてやると、うるせーよ、と悪態が返ってきた。
 そんなに苛々してるのに、まだ続ける気なんだな。
 手で潮風を避けながら、うつむいて煙草の先にライターで火を付けた。ひとくち吸い込むと、懐かしい味がした。どことなく紙臭くて、野暮ったい味。
 大袈裟にふーっと煙を宙へ吹くと、思惑どおり、サイファーが横目で睨んでくる。憎々しげな視線をよこすのに、何も言わない。戦争前とまるで逆だ。…以前のあんたなら、とっくに怒鳴ってた。
 携帯灰皿の蓋を開けて、灰を落とす。
「…何日目になる?」
「三日目だ、くそ」
「へえ。キツそうだな」
「お前もやめたらどうだ。健康に悪いぞ」
 女医の恋人に言われているんだろう。
 カドワキが去年の夏、体調を崩して入院したときに、バラムの病院から医師をひとり回してもらった。やってきたのは栗色の髪をアップに結ったたおやかな美女で、保健室常連のサイファーと彼女は、たちまち恋に落ちたらしい。
「俺はやめられないな。麻痺させてくれるから」
 水平線を眺めながら答えた。
 カドワキは結局一ヶ月程で復帰してくれたが、ふたりの付き合いはそこからもう半年以上続いている。昔、リノアとは押し切られて付き合ったみたいだけど、あんたって、やっぱり年上が好きなんだよな。それでもこうして隣に立ってしまう自分がこのごろ、他人事のように憐れで可笑しい。
「わざわざ毒を吸い込んでるようなもんだ」
 すっかり脳まで洗われたのか、女の受け売りが続く。確かに溜めすぎているかもしれない。
「俺の仕事なんかどうせそんなものだし、」
 もうひとくち、毒を吸い込んで吐き出す。
「麻酔なしでは痛みが過ぎる」
 答えが決まっているのなら、迷っても苦しいだけ。現実を正しく認識していては、身がもたない。そうだろう? ターゲットも同じ人間だ。自分なりの人生の途中を生きている、ひとりきりの人間。でも、それじゃ続けられない。それと向き合ってたら、続けられない。

 サイファーは遠ざかる街をしばらく眺めた後、瞼を閉じた。昨日の任務のことを考えているのだろう。見当外れの命令に付き合えず、現場で自分の判断をした人間をふたり、処刑台まで送り届ける任務。組織とはそういうものだ。俺がもしもここから消えたら、俺の頭に書き込まれた機密を回収するために、次の指揮官は即座に追手を放つに違いない。
 あんたは女医の言いつけを守って、肺を綺麗にしようとしている。いつかガーデンを出て、外の世界で生きるために。正しい感覚だ。酒よりも女を、煙草よりも明日の健康を。そうするのが正しい道だ、でも。
 俺はケースからもう一本煙草を取り出して、口にくわえる。息を吸い込みながら火をつける。吸っている短い間だけ、火のついた先端が赤くきらめく。
 好きだ、サイファー。
 煙草を左手の指の間に挟んだまま、その手のひらを翻した。怒鳴られてもいい。拒絶されてもいい。どうしてもそうしたくて、俺の唇で汚れたフィルターを、手すりに背を預けて目を閉じた男の唇に無理やり押し込んだ。サイファーが驚いて目を見開く。

 目を合わせたまま沈黙。

 ……予期したようなリアクションが起きない。
 何しやがる、そう言って投げ捨てるかと思ったが、口に火の付いた煙草を突っ込まれたまま固まっている。形のいい鼻から煙が抜けてもまだ呆然としていて、そんなにショックだったのだろうかと、なんだかちょっと可哀想になった。
「…要らないなら、続きは俺が吸うけど?」
「…」
 遠くで海鳥が啼いている。
 返事が無いので、とりあえず取ってやろうと手を伸ばしたら、ばしっと振り払われた。
 それからようやく、サイファーは煙草を指に取り、はっきり意思を感じるやり方で吸った。
 手すりを背にしたまま、ずりずりとしゃがみこんで、憮然とした面持ちで煙を吐き出す。
「……死ぬほど美味い」
 不機嫌そうな声に、思わず口元が緩んだ。
「へええ。それなら俺も三日ぐらいやめてみようかな?」
「悪魔だな、お前」
 そうだよ、サイファー。俺は悪魔だ。
 デッキにどっかりと胡坐をかき、睨みあげてくるサイファーを見下ろす。
 その翠の眼に、かつてのような強い光が戻ってきたように見えるのは、きっと光線の加減なのだろうけど。
「今さらあんただけ清らかに生きようなんて抜けがけが赦せない」
 呪いのような本音を吐いた。俺はあんたを道連れにしたいんだ。引きずり戻したいんだ。ただ、好きだというだけで。
 まるで俺の心の声が聞こえたみたいに、サイファーはどこか意外そうに見つめてくる。顔に出たかな。他人のことなどお構いなしに見えながら、案外鈍くない男だ。
「じゃ、俺は戻る」
 長居は無用と、俺はサイファーに背中を向けた。
「お忙しいこって」
「ごゆっくり」
 嫌味の応酬を済ませ、デッキの自動扉が開いたところで思いついて、そうだ、灰皿は貸しとく、とアシュトレイを放った。サイファーが受け取める寸前で扉が閉まった。もういちど目が合わなくて良かったと思った。

 指揮官室に戻り、デスクから自分の煙草を取り出して封を切った。紙箱の底を叩いて一本目を浮かせ、軽くくわえて火をつける。馴染んだフレーバーが肺を満たし、鼻腔から脳へ安らぎが上がってくるのを感じながら、机の上に放りだした別のパッケージの中に、シガレットケースの中身を戻す。
 合計十八本、紙臭い煙草が余った。
 バラムなら何処でも手に入るありふれた銘柄は、まだ未成年だった頃、サイファーから一本盗んで、初めて吸った煙草だ。あれから何年たったのか、ずいぶん遠くまで来てしまった気がする。これで一応返したことになるのかな、と考えて思わず苦笑した。独り相撲もほどほどにしたいんだが。
それにしても、あそこまでする筈じゃなかった。サイファーが断れば引きさがるつもりだったのに、自制が効かなくなってきている。良くない傾向だ。
 火のついた煙草をねじ込んだ唇と、サイファーの驚いた顔を思い出す。本当はキスしてみたかった、でも、これだけは誰にも言えない秘密。



2011.11.30 / 禁煙三日目 / Sqall / END