下世話な話。

 *** とある夜、門限破りのサイファー。 ***

 しつこい女にひっかかっちまった。
 今夜はオンタイムで戻るつもりだったのに、これじゃまた、ドアを開けたら即説教だ。
 かったりーな、と思いつつカードキーで扉を開ける。
 予想に違わず、PC前から監視役が顔を上げ、それはそれは冷やかに睨みつけてきた。
「サイファー、遅刻だ」
「うるっせーなぁ。こんなお子様みてえな門限、守れっかよ」
 スコールのデスクトップには、俺がさっき管理棟のゲートで身分証を通した時刻が表示されている。
 22:36.12。おっしゃる通り、約6分のオーバーだ。
「前回の報告からもう3回目だろ。これじゃ、レポートに『素行良好』なんて書けない」
「たかだか5分や6分で、どんな悪さが出来るってんだ」
「…態度の問題だ」
 苦々しげに息を吐いたスコールは、デスクチェアをくるりと回して俺に向かい合った。ふんぞり返って腕を組んでる、そっちの態度だって大概だろ。
「お前がいちいちチクんなきゃいいじゃねえか」
「管理棟の人の出入りは0.1秒刻みでレコードされてるし…だいたい、何で俺があんたのためにウソを書かなきゃいけないんだ。あんたが時間どおりに帰ってくればいい話だ」
 ごもっともな意見に飽き飽きしながら、俺は上着を脱いだ。
「そう言ったって、女とヤってりゃ時間だからハイ終わり、ってわけにいかねーこともあんだろ?」
 わざと露骨な言い方をしてやると、スコールは嫌そうに顔をしかめた。
「…サイファー。門限を守る気が無いのか?」
「んなこたねーよ。61日中、58日は守ってる計算だろ」
「いい加減にしないと、コミッションに『矯正の見込みなし』って率直に報告するぞ」
「へいへい、わっかりましたよ」
 俺は自室の扉の前まで来て、言い足りない気分で、スコールを振り返った。
「…まったく、これならまだ候補生寮のほうがマシってモンだぜ。せっかくSeeDになったってのに、テメエなんかと一緒の部屋に放りこまれてよ」
「俺だって、好きで監視官やってるわけじゃない」
 スコールは迷惑そうに眉間に縦じわを刻んだ。
 まあそうだろうな。
 スコールこそ一人部屋に住みたいタイプだってのに、俺の番なんざ押し付けられて。その上、お忙しいもんな? 今だって、持ち帰り残業を中断しての御指導だしな。
「お堅い指揮官様は平気かもしんねーけどよ、2230なんて宵の口だぜ。こーんな部屋に戻ったって、楽しみもなんもねーし」
 俺は、ふん、と鼻を鳴らして奴を挑発した。
「まあ、お前がヤらせてくれるってーんなら、話は別だがな?」
 ニヤニヤ笑って見下ろしてやると、すうっとスコールの顔が強張った。もともと強張ったような顔だが、長い付き合いでそのへんは見分けがつく。
 おーおー、侮辱されてマジで怒ってやがる。
 スコールの余裕を無くした表情に、さっきまでの面白くねえ気分が少しはマシになったそのとき、奴が俯いてぼそりと言った。

「…どうせ勃たないくせに」

 …………ああ!? 今なんつった!?
「…何だとお!? もっかい言ってみろゴルア!!」
 瞬間的に頭が沸いた。自室に帰りかけていたことも忘れて、どかどか大股でスコールに近づく。
「何でもない」
 スコールが「しまった、めんどくさいことになった」って書いてある顔を背けるのがまたムカつく。
どうせ勃たないくせにっつっただろテメエ!!」
 胸倉を掴むと、奴はしぶしぶ立ち上がり、俺を見上げた。
「…聞こえてるんじゃないか」
「撤回しろ!」
 俺はスコールのシャツを両手で掴み上げ、怒鳴りつけた。
「…」
「…」
 抵抗もせず、無言で俺の目を覗き込んでくるスコール。
 至近距離で、長い睫毛がひとつ瞬きした。
(そう言うが…あんた、俺相手で勃つのか?)
 スコールの心の声が聞こえて、俺は「うっ」とひるむ。
「…」
「…」
(…勃つって言いたいのか?)
 薄蒼い眼の、雄弁な沈黙の間に、俺は胸倉をつかんだ手を離した。
「…撤回する必要あるか?」
 スコールが、今度は声に出して確認してくる。
「…そう冷静に訊かれると…アレだな」
「撤回した方が、いいか?」
 引っ張られたシャツを直し、重ねて尋ねるスコールに、俺は自分の誤りを認めた。
「…いや、そうだな。……撤回しなくていい」
 確かにお前相手に勃つかどうかなんて、声を荒げてまでこだわるポイントじゃねーな…。
「それを聞いて安心した」
 スコールは真顔でそう言うと、元通りに腰を下ろしてチェアをくるりと回し、PCに向かって仕事を再開した。
「お前、冗談をマジに取るなよ」
「マジに取ったのはあんただろ」
 背を向けたまま俺の文句をストレートに打ち返して、スコールは振り向きもしねえ。
「あーあーもういい。お前と話してると苛々してくる。…俺は寝る」
「もう門限破るなよ」
 背中越しに聞こえる念押しにスライドドアを閉め、自室に入った俺は上着を椅子に放り投げた。
 クソっ、スコールの奴。
 しれっとしたツラしやがって、可愛げのねえ。
 あの野郎、いっそ本当に押し倒してやろうか、と思いながら、俺はベッドに転がった。



 *** 3週間後、残業中のスコール。 ***

 夜の執務室。
 眼の疲れを感じて、時刻表示に目を遣る。
「ああ…もうこんな時間か。…終わりにしないとな」
 首を回し、マグカップを取って立ち上がると、もう一人残っていたアーヴァインが伸びをした。
「じゃ、僕も上がろっかな~。やっぱり、休み明けは身が入らないな~」
 斜向かいの席で拡げていた資料を閉じた彼は、俺がPCからメモリを抜くのを目ざとく見つける。
「あれ、また持って帰るの~?」
「…あと少しだけ。作業の続きだけやってしまいたいんだ」
「そっか。門限までに帰らないとだもんねー。監視官は大変だ」
 でも、無理はやめなよ?と優男らしい笑顔で俺に笑いかけてから、アーヴィンはふと首をかしげた。
「だけど、最近はサイファー、大人しいみたいじゃない?」
 そのとおり。
 何を言っても無駄だろうと思っていたのに、あの晩から、サイファーの門限破りはぴたりと止んだ。
 夜の外出も目に見えて減り、自室にこもってしおらしく課題に打ち込んでいるようだ。
「…そうなんだ。夜も早く帰ってくる。どうしたんだろうな」
 それはめでたい…はずなのだが、何となく、最近のサイファーは体調に問題があるような気がする。
 全然俺につっかかって来ないのはいい事だが、顔色があまり良くないし、食事の量も減っている。
「あんた、大丈夫か?」って俺が訊いても、「何でもねえ」の一点張りだ。
 そう思ってるの、俺だけじゃ無かったんだ、と俺はどこか安心すると同時に、逆に少し不安になる。
 つまり、客観的に見ても、今のサイファーは元気が無いってことだ。あんまりこの状態が続くようなら、本人がどう言おうと、病院で一度きちんと検査を受けさせた方がいいのかもしれないな…。
 俺がそんなことを考えていると、アーヴィンが急に声をひそめて訊いて来た。
「…ねえ、スコール。サイファーの噂、知ってる?」
「噂?」
 二人しか居ない執務室で、なんでそんな小声で話さなくちゃいけないのかは分からないが、俺の声も自然とアーヴィンに合わせて小さくなる。
「ガーデンの裏サイトでさあ、サイファーのこと、噂になってるんだよね」
「…知らないな。俺はそういうのはもう見ないようにしてるから」
 昔は何が書かれてるのかが気になってチェックしたこともあったが、俺に関しての項目は読むだけで頭がぐらぐらしてくるような妄想が渦巻いていて、まともな神経ではもたないと分かった。
「ま、君はそのほうがいいかもね~。根も葉もないようなこと、いっぱい書かれてるし」
 一部の女子がどうして人をそこまでゲイにしたがるのか、俺には未だにさっぱり理解できない。
 アーヴィンは、あれが読めるのか…。あんた、思ったよりタフだな。
「それで? サイファーがどうかしたのか」
「それがさー…」
 自分で始めた話なのに、アーヴィンは言い淀んだ。
 何かを誤魔化すみたいに、人差し指で頬をかいたりしている。
「何だよ」
「うーん……、実はね、…病気じゃないかって話があってさ」
「……病気?」
 ぎくりとした。…サイファーは、何か悪い病気なんだろうか。
「そ。彼に振られたコが、腹いせに書きこんだんだと思うけどさ~」
 腹いせ?
「腹いせで、なんで病気だなんて…?」
 ピンとこない俺に、アーヴィンがさらに言いにくそうに、ひそひそ囁いた。
「病気って言うか…ほら、アレ。…ED」
「EDって…?」
 何だっただろう? 確かに聞いたことはあるが、思い出せない。
 まだ首を捻っている俺に、アーヴィンは困ったように笑った。
「もー、やだな、スコール。アレだよ、アレ。ほら……、勃たないヤツ」


 その話を聞いてから、俺は悩んでいる。
 サイファーは、今夜も早々と自室に引きこもってしまった。
 俺はいつものように、持って帰った仕事をPC上に展開しているが、今一つ集中出来ない。
 あの夜、俺はサイファーのふざけた態度についカッとなり、くだらない発言をしてしまった。
 アレは……もしかしたら、酷い失言だったのかもしれない。
 まさか、あの尊大で、過剰なほどの自信家のサイファーが……?
 そんなことってあるだろうか、と疑いながら、このところのサイファーの冴えない表情を思い出し、俺はその噂を聞き流せないでいる。
 本当なら…本人は、きっとものすごくショックだろうな…。
 これは…謝ったほうがいいんだろうか。
 それとも黙って見守るべきなのか…。
 謝るにしても、何を謝っていいのかがはっきりしない。
 問題の症状があると仮定しての話だが、いわゆるそれの始まりが、俺の発言より前なのか後なのかも分からないし…。
 こうなってしまうと、もう迂闊に体調を尋ねることも出来ない。
 サイファーの機嫌は、このところ最悪だ。
 それなのに、喧嘩を売る気力も無いらしく、指示や注意にも不服そうな顔で睨んでくるだけだ。
 別に俺も怒鳴られたいわけじゃないんだが…サイファーらしくない態度が、どうにも落ち着かなくて困る。
 早く良くなるといいとは思うが、俺には何にもしてやれないし。
 閉じたままのドアを眺めて、俺は幾つ目かも分からないため息をついた。


 *** 1ヶ月後、休日の朝のサイファー。 ***

「サイファー、コーヒー飲むか?」
「いらねーよ」
 指揮官のお優しい申し出を蹴り飛ばし、俺はテーブル上の新聞を取ってさっさと自室に引っ込んだ。
 以前の俺なら、ソファでゆっくり新聞を広げていただろう。ついでに仕事中のスコールをからかったり、俺のほうがコーヒーを淹れてやったりしたもんだが。
 ベッドで新聞を広げ、煙草をくわえてライターの蓋を開けたが、ガス欠だ。
 思わず舌打ちした俺は、チェストをひっくり返して古びたブックマッチを探し当て、それでようやく火を付けて、ひと口目を吸い込んだ。長く煙を吐きながら、さっきの断り方は不味かったかもしんねーな、と内心で思う。
 クソ。…しょーがねーじゃねーかよ。
 俺は今、どうしたってスコールと顔を合わせたくねーんだ。

 問題は、あの門限を破った夜に起きた。
 あの後、つい魔が差して、うっかりスコールで抜いてみたのが失敗だった。
 今は猛烈に後悔している。
 あの晩、俺はそれなりに満足して帰って来たはずだったのに、いったい何だってそんな馬鹿げたことをしちまったのか…。
 過去に戻れるモンなら戻って、自分を一発殴ってでも思い留まらせてえぐらいだ。
 それ以来、女と寝ようとすると、必ずスコールの冷めた顔が頭に浮かんできやがる。
 あのお綺麗なツラで、「どうせ勃たないくせに」と言ってくる。
 そうすると、俺はもう、目の前の女に興味が持てなくなっちまう。もっといい女なら違うのじゃないか、そう思ってランクを上げて数人試したが無駄だった。
 女どもの間では、俺が不能だって噂が流れているらしい…。
 うるせー! そうじゃねえ! と怒鳴ってやりたいが、土壇場でヤル気が失せるのは事実だしな…。
 それに加えて、我慢がならねえのが、あのスコールの態度だ。
 どこかであのロクでもない噂を聞いたに違いねえ。
「俺、かわいそうなこと言ったな…」って顔に書いてありやがる。
 うるせー! そうじゃねえ! と怒鳴ってやりたいが、説明なんかできねーしよ…。

 適当に読み流した新聞を適当に畳み、顔を伏せてリビングに出た。
 俺の気分と裏腹に、外はいい天気だ。
 無言でキッチンや洗面所の洗濯物を回収し、専用のバスケットに次々に突っ込んでいると、さっき冷たい言葉を浴びせてやったスコールがなおも声を掛けてくる。
「サイファー。…疲れてるなら、当番代わるぞ?」
 こいつのこんな台詞、今まで聞いたことあったか? いやない。
 あの噂がよっぽど哀れを誘うのか、なけなしの優しさMAXで接してきやがる…。
「疲れてねーよ。余計な気を回すな」
 クソっ。とんだ腫れもの扱いだ。
「そうか…?」
 スコールはあまり詮索してもな、って顔で引き下がった。
 俺が戻した新聞をソファで広げ、コーヒーを啜っている。
 キッチンのサーバーにもう一人分のコーヒーが余ってるのを見て、気が咎めた。スコールは新聞を読むふりをしながら、俺の動向を気にしている。
 俺の機嫌が悪いのを見て、「気の毒に、まだ治らないのか」とでも思ってやがるんだろう。
 朝のシャワーを浴びたスコールの髪からシャンプーの甘い香りが漂ってくるのにイライラしながら、俺は洗濯スペースに向かった。
 洗濯機の中に籠の中身を空け、スイッチを入れると、勢いよく水が洗濯槽に注がれていく。
 あの野郎、まったく分かってねーな…。
 少しは俺じゃなく、自分の身の心配をしたらどうなんだ。
 俺は昨夜だって、選択の余地なくお前で抜いてんだぞ。
 腹を立てる筋合いじゃねえが、元凶だと思うと締めあげたくなってくる。
「お前にしか勃たなくなっただろーがどうしてくれる!」って、

 まるで愛の告白じゃねーか…

 病名をほぼ悟った俺は、ごうんごうんと回る洗濯機の蓋の上に突っ伏した。
 うう、畜生。どうしてくれるんだ…。



2012.11.30 / 下世話な話。 / END

 いつにもましてカッコ良くないサイファーですみません。
 スコールがサイファーのことをほとんど飼ってるワンコみたいな扱いしてるのもどうなのか…。
 こんな話にお付き合いくださった方、どうもありがとうございました!